14 愛の行方①
カミラが目を覚まして三日目……の夜。
「あの、本当にここでいいの?」
「はい、いいのです。お母様はここにいてください」
もうすぐルークが帰ってくる、ということでカミラは夫を出迎えようとしたのだが、なぜかディアドラの強い主張により自分が十五年間寝かされていた部屋で待たされることになった。
どうやらこの部屋が夫婦用の寝室らしく、ルークは妻をここに寝かせて毎日メイドに世話をさせ、自分は別室で一人で寝ていたようだ。カミラは知らなかったが、目覚めてすぐに天国にいると思い込み隣人に挨拶しようとしてノックした部屋の一つが、ルーク用の部屋だったという。
ディアドラは「あのいつも澄ましているお父様を、驚かせましょう」とか言って、カミラを夫婦用の寝室で待機するように言った。
そして使用人たちにも「お父様をびっくりさせるわ!」と言っており、屋敷の者全員で壮大なサプライズをかますことにしたようだ。
(大丈夫かしら……)
後でディアドラがルークに叱られないか不安だったが、ディアドラ本人はけろっとしているから大丈夫なのだろう。
そういうことでカミラは大きなベッドに腰かけ、そこでルークが来るのを待つことにした。
(……どうしよう。今になって、緊張してきたわ)
シーツを握ったり枕を揉んだりしながら、カミラはそわそわしていた。
大人の女性になったディアドラと再会したときは全てが急展開だったから状況についていくのに必死だったが、落ち着いてきた今だからこそルークのことを妙に意識してしまう。
(三十三歳のルークって、どんな人なの? というか、本当に私のことを愛しているの? 私を見て、どんな反応をするの?)
そもそもカミラはルークと過ごした時間が短いので、彼がどんな人なのか正直よくわかっていない。わかろうとする前に、石化してしまったから。
(愛しているとしてもそれは昔の頃の私で、七歳も下になった私には関心がなかったり……?)
それも十分あり得る話だ。また、これから結婚などを考えるべき十六歳の娘の母親として、二十六歳のカミラでは務まらないと思うかもしれない。
(不安になってきたわ……)
落ち着かない気持ちでしばらく待っていると、庭の方から馬の鳴き声が聞こえてきた。はっとして窓辺に向かうと、ランタンを手に玄関に入っていく人の影が見えた。
(ルーク!?)
どきどきしていると、やけに聴覚だけが研ぎ澄まされる。
玄関のドアが開いて、閉まる音。ディアドラが何か機嫌がよさそうに言い、それに対して男性が低い声で応じるのが聞こえてきて、目眩がしそうになった。
(ルークの声……)
昔の彼は、声変わりは終わっているもののまだ少年らしい声の響きがあった。
結婚してから二年間は手紙だけのやりとりで、石化する直前に十八歳の頃の彼の声をわずかに聞けたが、あまりはっきりとは覚えていない。
窓辺からベッドに戻ったカミラの耳に、コツ、コツ、と階段を上がる音が聞こえてきた。
いよいよ心臓が口から飛び出そうになるが久しぶりに再会する彼に無様な姿を見せるまいと、カミラは背筋を伸ばしてドアの方を見つめる。
カチャリ、とカミラが内側から鍵をかけたドアが解錠される。
そうしてドアがゆっくり開き――そこに立っていた人と、カミラの視線がぶつかった。
背の高い、男性だ。立派な騎士団の制服姿の彼は廊下の明かりを背に立っており、右手に薔薇の花束、左手に鍵束を手にしている。
彼はカミラを見て、動きを止めた。その手から鍵束が落ち、派手な音を立てる。
カミラは精一杯の笑みを浮かべてベッドから立ち上がった。
「おかえりなさい、ルーク」
「っ……」
ルークの右手から、花束も落ちる。そして彼は大股三歩でカミラのもとまで来て、大きな手のひらでカミラの肩をそっと掴んだ。
近くまで来たので、カミラにもルークの顔がよく見えた。夫の顔は、まさに十六歳の頃の彼がそのまま年を重ねたものだった。
目元や口周りは成人男性らしいりりしさを持っており、目の下にうっすらと皺がある。だが娘も「見目がいい」と認めるほど、三十三歳のルークは格好よかった。
「カミラ、様……?」
ルークの喉が震え、かすれた声で名前を呼ばれる。
「本当に、カミラ様……? 石化から目覚めて……?」
「はい。ずっと、心配させてごめんなさい」
カミラがルークの頬をそっと撫でて言った途端、カミラの手の甲を温かいものが伝った。
ルークが、泣いている。
あの素っ気ない少年だったルークがぽろぽろと涙をこぼし、カミラの手や肩を濡らしている。
「カミラ様……!」
叫ぶように名を呼んだルークは、かき抱くようにカミラの体を抱きしめた。
あのルークがこんな情熱的な行動に移るとは思っていなかったカミラが固まるのをよそに、ルークはカミラの肩に顔を埋めて涙混じりの声で言う。
「本当に、あなたが復活している……! カミラ様、カミラ様。ずっと、あなたにお会いしたかった……! もう一度、私の名を呼んでほしかった……!」
「ルーク……」
「夢か? ああ、そうだ。これはきっと夢だ。どうしよう、カミラ様に会いたすぎて幻が見えているのか……?」
「わっ、待って、ルーク。夢じゃないわよ!」
ぶつぶつ言いながらおかしな方向に走りそうになった夫の背中を叩き、体を離したルークにメッと指を突きつける。
「幻じゃなくて、私はちゃんと目覚めたわ。十五年前に起きたことも今のことも、ディアドラから教えてもらったわ」
「……本当に、あなたなのですね」
娘の名前で一気に冷静になれたようで、ハシバミ色の目に見つめられたカミラは笑顔でうなずいた。
「ええ。……まずはお礼を言わせて。ルーク、十五年間ディアドラのことを守り育ててくれて、本当にありがとう。あの子があんなに素敵な女性になったのは、あなたのおかげよ」
「……そんな、お礼を言いたいのは私の方です」
ルークはかぶりを振り、カミラをベッドにそっと座らせてから自分もその隣に腰を下ろした。
先ほど抱き合ったときから思っていたが十五年間で彼はまだ背が伸びていたようで、並んで座ると見上げなければならないほどの位置に彼の頭があった。
「カミラ様。あなたは私の子を産み育ててくださった。私は……あんなにふがいない夫だったというのに」
「ふがいない……だったかしら?」
カミラにとっては二年前のことなので新婚の頃を思い出しながら言うと、ルークは唇を引き結んでうなずいた。
「あの頃の私は若かっただなんて、言い訳にはならないとはわかっています。私は、あなたのことを大切にしようと思っていました。ですが何をしても空回りばかりで、あなたに悲しそうな顔をさせてばかりでした」
「えっ、待って。それは私の方でしょう」
悔恨に浸るルークの手を握り、カミラは急いで言う。
「私の方こそ……年上なのに全然頼りにならなくて、ルークにいらない苦労ばかり押しつけていたわ。パメラと結婚していれば、あなたはもっと幸せになれたはずなのに、って」
「……なぜそこにパメラ様が出てくるのですか?」
心底不思議そうに、ルークは言う。
「パメラ様とは、何もありません。……今はもちろん、二十年近く前に婚約がまとまったときからです」
「……好き、ではなかったの?」
「少なくとも、恋愛感情を抱いたことはありません」
ルークはそう言い、自分の手を握るカミラの手を愛おしげに撫でた。