1.妖精の警告
(セントジョーンズ・ワートはこの方向にあったわよね……)
侯爵様が鍛錬の時間を多くなさっていると騎士たちから聞きました。
セントジョーンズ・ワートで作ったオイルは、打ち身や筋肉痛によく効きます。
侯爵様に贈りたいと思い、お昼からハーブ園を訪れました。
すぐに戻りますと言づて出てきましたが、最初の目的地から随分と遠いところまで来てしまいました。
他のハーブもと欲を出しすぎてしまいましたので、ここからは本当に必要な分だけ手早く採取していきませんとね。
前世では、自分の部屋に小さな薬草ポットを置いているだけでした。
庭はアリエッサに手を引かれて見て回るものでしたのに、今は違います。
こんなにも、美しい情景が広がっています。
青々とした芝生のライン――侯爵様や使用人たちの為のハーブ園。
「アリエッサが楽しそうにしていたのも分かりますわ」
『見てみて、ティルカ! こんなに綺麗なバラが咲いたんだよ。あなたの髪みたいだと思わないっ?』
脳裏に真白いドレスの裾が風にはためく。
真っ直ぐに伸びた黒髪が陽の光を返して、美しく輝いていました。
胸に白いバラを抱いてこちらに向けられる少女めいた可愛らしいお顔。
「私たちのアリエッサ……ッ」
胸が詰まり、しゃがみ込んでしまいます。
日が暮れ始めて木の影が差してきて、無性に私は一人なのだということをまざまざと思い知らされます。
(ああ、私も早くアリエッサに会いたいわ)
彼女は、まさしく光でした。
私とアリエッサは、支え合って生きてきたのです。
友だちであり、まるで姉妹であるかのように。
明るく聡明で、時には勇敢だけど心優しい彼女とそうあれた前世は、誰がなんと言おうとも確かに幸せでしたわ。
今世でも侯爵様と彼女がいてくれるのなら、後は何もいらないと思えるくらいです。
(お婆ちゃんになるまで、見ていたいわね……)
だから、私は志半ばで死ぬわけにはいかないのです。
ため息を吐きながら立ち上がります。
さあ、早く残りの採取に取り掛かりましょう。
歩き出そうとしましたが、なにか妙な気配がして体の動きを止めます。
(――……なにかしら)
風に髪が巻き取られます。
木々の立てる音が妙に耳に残り、気味が悪い。
耳の後ろに手を当てて目を閉じます。
神経を集中させてようやく聞き取れた音に、私は目をゆっくりと開きました。
(妖精の警告音だわ)
一体なにがいてこんな音を発しているのでしょうか。
ほど近くにある森の方を見ます。
こんなに接近してしまっていたのねと危ぶみ、ごくりと唾を飲みこみます。
(侯爵様に報告しませんと)
眉間に皺を寄せ、屋敷のある方向に体を向けようとした――その時でした。
私の目の端に映り込むものがありました。
遠く、遠く、小さな人影。
警戒していなければ、およそ気付かない大きさの。けれど、今の私の注意を惹き付けるには十分でしたわ。
(イーサン……?)
イーサンは、麦わら帽子を被っているみたいに可愛らしい髪色なのです。
その麦わら帽子が森の奥に消えていったように見えました。
「見間違え……ですわよね?」
森には魔物が出ます。
それでなくとも野生生物が出て危ないからと、子どもたちには近づかないように厳重に言っているはずなのですが……。
見間違えだと断言できません。もし違っていたらと鼓動が早鳴ります。
幼い子どもが、妖精が警戒している森に入っていったかもしれない。
ぐ、と手を握って額に押し当てます。
――アリエッサ、あなたならどうする?
私の心に住む彼女から答えを貰い、顔を上げて歩き出します。
(アリエッサなら、見過ごしたりしないわ)
後悔ならなにもなかったという方がいいでしょう。
入ったこともない森に足を踏み入れます。
どうか、この妖精の声が屋敷まで届くと信じて――。




