14.星であるとも気付かずに
「侯爵様、奥様の姿が見えません!」
代わりにリリアが野盗は見つけましたと、黒染めの服を着た男を羽交い締めにしているアイザックが寄ってくる。
「本当に化け物なのだと思われ、殺されてしまわれたのかも……っ」
その後を追ってきたリリアが野盗の頭を殴った。白状しなさいと殴り続けるリリアに、野盗が痛い痛いと悲鳴を上げる。
「勇ましいな。そのフライパンで倒したのか」
「そうなんです、彼女すごいですよ!」
リリアの手にはフライパンが握られており、アイザックが他にも何人か捕まえましたと明るい声を上げた。リリアの「頑張ったので褒美をください!」という声が聞こえてきて、ふっと笑ってしまう。侯爵様の耳に手をかざして「私からもお願いしますわ」と囁きかけると頷かれる。
「見世物小屋に売り払う為に攫われたのかもしれません。どうしましょう、追手を掛けますか!?」
見た目は怖かったですけど、心優しい奥様だったのにと花瓶や洗濯板、傘を取り落としてメイドがわあと顔を覆う。皆が皆泣きだすと、騎士が慌てふためいて「馬鹿諦めるな」と宥めにかかる。メイドの肩に手を置いて励ましている騎士たちも、どこか不安げに眉を寄せていた。
侯爵様はどうしようと頭を抱える部下たちを見渡して「落ち着け」とため息を吐く。君のせいだぞとばかりに視線を送られたティルカは「有り難いことですわ」と耳打ちした。
「無事だから安心しろ」
侯爵様からそう言われた使用人たちが彼を見上げる。
「いい加減顔を見せてやってはどうだ」と促されたティルカは、被っていたマントを後ろに下ろす。侯爵様の腕に抱かれている存在にようやく気が付いた使用人たちは呆然とこちらを指を差してくる。
「侯爵様……その方は?」
腕に抱かれている女性は誰なのかと、使用人たちがこちらを注視してくる。今までずっと騙してきた分、その視線をまともに見ていられなかったティルカは、眉を下げて「心配を掛けてしまってごめんなさい」と微苦笑を浮かべた。
「奥様! 無事だったんですね……」
心配したんですからねとティルカの足元までやって来たリリアがやって来て、目を潤ませる。実家からついてきたリリアが認識しているということはと考えた周囲の人間は、ようやく誰なのかを頭で理解して「えぇっ!?」とのけ反った。
「至るところ擦り傷だらけががな」
お転婆なのもどうにかしてくれとリリアに言う侯爵に、執事が口を開く。
「あの、もしやその方が奥様で……?」
問われた侯爵は「そうだ」と口元に笑みを浮かべた。
「俺の大切な妻だ」
片腕に体重をかける形で抱え直してきた侯爵様が頬に手を当て、こめかみに口づけてくる。アリエッサにも前世でこんな感じだったかしらと、ティルカは気恥ずかしそうに目を伏せる。
「彼女はメルシー・クレイヴンファーストとは全くの別人なので、言い間違えることがないように」
「なんですと」と常に粛々としている執事までもが唖然とし、だがすぐに白い髭を指で抓んで形を整えながらティルカの本名を尋ねた。
「ティルカ・カーチェスターだ」
「その、皆さん……今まで騙していてごめんなさい」
前伯爵夫妻の娘だと打ち明けると、執事は「本当に生まれていらっしゃたのですね」と口を戦慄かせる。ご誕生おめでとうございますと言うところに、彼の困惑具合が伺えた。
しかし、ティルカは他の使用人が誰一人として口を開かず、場がシーンと静まり返ってしまったことに不安を感じる。騙していたことを許してもらえないのではと手を握って視線を落とす。
「お、奥様……お綺麗です」
一人のメイドがそう呟き、両手を口に押し当てる。
「ほんと。泉の妖精どころか、女神様が嫉妬したって言われても納得しちゃいそう」
メイドたちの紅潮した頬とキラキラとした視線を受けたティルカは、瞬きをした。
「私の顔がですか?」
頬に手を当てて首を傾げてから侯爵様に目線を向けると、彼は渋い顔になる。
「ティルカ、君程の美人は国中捜してもなかなか見つかり辛いぞ」
「まあ。私、お母様に似ているそうですの」
執事が何度も頷いているので本当にそうなのだろう。
泥か肥を繊維として固めたようにしか見えなかった髪は、星のように淡い光を籠めた銀色でふわふわと柔らかいウエーブで背中を覆っている。ふんわりと朱を刷いた頬や唇は薔薇のようで、抜けるように白い肌を彩っている。
「あっ、でも目の色は同じですね!」
野盗の首を絞めて意識を落としたアイザックが、自分の目を指差して笑う。
「その通りだ。よく見ていたなアイザック」
ティルカと視線を合わすことができる者だけが知っていた、黄緑の優しい瞳。まるで宝石のような輝きを秘めていたそれは、確かに同じ人物だということを物語っていた。
ふ、と侯爵が怜悧な目を柔らかく細めて微笑む。
「まあ、君の美しさは外見だけではないがな」
愛おしいとばかりの熱視線を向けられたティルカは眩しいと目を閉じた。恥ずかしいですわと顔を手で覆うと、「喜ばせないでほしいです」と呟く。どうしてと訊かれても応えられない。
(だってーーアリエッサが来れば、どこかに行ってしまう愛ですもの)