2.魔法のランプ
返事がなかったので勝手に部屋に入ると、主たる妻の姿が見えない。
どこに出かけたのか調べる為に部屋を見て回るが、手掛かりになりそうなものはなにもなかった。
それどころか、この部屋には生活に使う最低限のものしかないことに気が付く。
屋敷内は厨房から使用人の部屋まで全てを丁寧に設えているのに、この部屋には花の一輪、絵画の一枚すらない。
私物に至っては伯爵家に来た時に持ってきたトランクに収まってしまうのではないだろうか。
(離婚して、どこか遠くにでも行くつもりか……?)
そう疑ってしまっても仕方がないくらいに閑散とした部屋だ。
立ち尽くしていると、背後でドアが開く音がして振り返る。
「……あら、どうされました?」
なにか用でしょうかと聞かれ、ため息が出る。
「君は毎回それだな」
用件がなければ会いに来るなとでも言いたげに、こちらから行くとまず最初に用件を尋ねられるのだ。
彼女から来た時も必ず資料の確認や承認の印をもらいに来たり、なにかの案を通したい時であったりと、公人の姿しか見せてくれない。
こちらは侯爵夫人としての顔ではなく、彼女の素の顔が見たいというのにだ。
「君の顔を見に来ただけだが、いけないか」
「私の顔ですか?」
どう返してくるだろうかと様子を窺がっていると、彼女は自分の顎まで手を持ちあげて首を傾げる。
「ご安心なさってください、今日も変わっておりませんわ」
不気味でしょうけれど、仕事や健康に問題はありませんのでお気になさらず。
淡々とした様子の妻に、そうではないと額に手を当てる。
「侯爵様は、今は休憩のお時間ですか?」
「……ああ。だからその、茶でも一緒にどうかと」
これはどうして私と? とでも思っているなと感じた。
表情の読みづらい顔だが、見慣れてくると多少はなにを考えているのか分かるようになってきたのだ。
「どうして私と?」
「君以外に、誰が私とお茶の席を囲めるんだ」
使用人しかいないんだぞと暗に伝えると、彼女はそうでしたわねと額に皺を作った。
こうなる前の顔ならば眉が下がった表情が見えていたのかもしれない。
「そうですわね」
ようやく同意が得られて息を吐く。
妻と午後のティータイムを楽しむだけのことがこんなに難しいとは。
苦笑いすら出てくる有様だった。
「今は私がお付き合いいたします」
だが、今だけだと釘を刺すようなことを口にして、鈴を鳴らしてメイドを呼ぶ。
すぐに来た専属メイドにやたらに長い注文をつけてから、それでは行きましょうかと外に出るように促された。
「……ここではなくか?」
「ええ。この部屋には椅子が一つしかありませんもの」
妻には重たい椅子でも、置いたままにしておけばよかったと今更ながらに後悔する。
だが、彼女が用意してくれた部屋は改修されたサンルームだという。
行こうと先を歩くと、彼女は静々と後ろからついてくる。
「通常のサンルームとは違い、居住できるようにしたと聞いているが」
「ええ。王都で流行っている形だそうですわ」
「ほう……王都でか。よく知っていたな」
「お庭を見ながらティーパーティが出来ればと思い、取り入れました」
淡々とした口調ではあるが、どこか嬉しさが滲み出ている声にうなずく。
並んで歩けばいいものをと歩みを遅らせると、その分彼女も速度を緩める。
「……その、隣を歩いたらどうだ」
「慎みを大事にしておりますので、遠慮させていただきますわ」
夫婦間で慎まなければならないこととは? と尋ねたかったが、どうせ答えてくれないだろう。
「あちらです」と手で指示された方を見ると、白い六角形の建物があった。
母はよく友人たちと茶会を開いていた。
朽ちかけていた建物を、妻は見事に修復してくれた。
その感謝を伝えてみるも、彼女は僅かにこちらに視線を送ったものの目を伏せる。
「存じております」の一言で会話が終わった。
「私にとっても大切な、侯爵様の御身内のことですから」
だからこそ茶会が開ける仕様にしたのですと言って、ドアを開けるように促された。
レディーファーストを守ろうとしたが、先にどうぞと首を振られたので仕方なく入る。
室内は白を基調とした家具で揃えられていた。
キルティング加工がされた二人掛けのソファーが二脚に、足の長いテーブル。
鉢植えの植物はどれも品が良く、青々としていて開放的な天窓から差し込んでくる日の光を受けて輝くようだった。
「温かいな……暖房器具はないが、どうやっているんだ」
部屋の中はほんのりと暖かい。
妻に尋ねると、彼女はなにを聞くのかといった風に小首を傾げた。
「簡単な魔法ですわ」とアッサリと言い切られ、唖然と口を開けそうになる。
「簡単?」
「ええ。天井から吊り下げている飾りに熱を籠めておくんです。あとは微風で充満させるだけで……どうなさいました?」
彼女は簡単だと言うが、魔法は習得するのが非常に難しい。
全く別の属性を同時に使える道具など、信じがたい技術だ。
「熱を籠めるというのはどういう意味だ」
「そのままの意味ですわ。燃えない炎を中に入れています」
見てみますか? と困ったように言うので頼むと、ランプが一つゆらりゆらりと風に揺らされながら降りてくる。
手に取った彼女がランプを開くと、中には紫色の光が灯っていた。
「これは……?」
手を近くに寄せてみると確かに熱い。
彼女の顔を見ると「侯爵様は勉強熱心なんですね」と実際に作って見せてくれた。
「まずは炎の魔法を丸く固めます。それから水の魔法で包み込めば完成です」
簡単でしょうと事もなげに言う彼女に、待てと言うと首を傾げられる。
「炎と風だけじゃないのか」
「それでは落ちたら火事になってしまうではありませんか」
これなら蒸気だけですのでと言いながらランプに戻し、風を起こして浮き上がらせた彼女に口が開いてしまう。
名を呼んでも、天井に吊り下げるのに苦心しているのか――それとも本名ではないからか、反応がない。
「我が妻よ、聞こえていないのか」
「えっ? あ……はい。申し訳ありません、紅茶ですよね」
もうすぐリリアが持って来ると思うのですがと戸口を見る妻は、一体誰なのか。
(結婚するまでは――誰でもいいと思っていたな)
魔法を使える人間は希少で、普通なら一つ二つの元素を操るのがせいぜいといったところだ。
侯爵である彼も水と氷の魔法しか扱えないのだから、妻の才能には驚嘆する他ない。
こんな逸材をどこに眠らせていたというのか。
あらかたの者がそうであるように、メルシー・クレイヴンファーストは火以外の魔法は使えない。
彼女が自分に見せた才は、まさしく別人であることを指していた。




