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10.私の太陽と月であって

「しかし、なんで子どもと一緒にいたんだ」

「奥様はね、僕たちと遊んでくれるの!」

 かくれんぼをしたんだよと笑顔を振りまくイーサンたちに、侯爵はティルカが? とこちらを見てきた。視線を感じて、どうしてか言いようのない気まずさに襲われる。

 だが、「こうやって隠れるの!」とティルカのドレスの裾を捲り上げて中に入ろうとするイーサンに、侯爵はなにをと目を見開いて仰天した。

「奥様の足はねえ、すごくキレーなんだよ!」

 すらっとしてて、触るとすべすべなのと言われたティルカは目を見開いて子どもを見た。なにを言うのと顔を真っ赤にしてしゃがみ、そういうのは人に言ってはいけないのよと口の前に人差し指を立てる。

「ほお……触ったのか、俺の妻の足に?」

「こ、子どものやったことです」

「俺も見たことがないのに」

 見られてたまるものですかと叫びたい気持ちを我慢していると、ひょいと横抱きに抱えられた。きゃあと叫び声を上げ、顔を引き攣らせるティルカは身動きができない。下ろしてと言いたいところだが、あまりに高くて落ちてしまった場合のリスクばかり考えてしまう。

「奥様、もう行っちゃうの~?」

「まだ遊びたい」と言う子どもに、侯爵は悪いがと全く申し訳ないと思っていなさそうな顔で言う。

「俺も妻に用があるんでな。君たちはまた今度にしてくれ」

 そう言われたティルカは用事なんてなさそうではありませんでしたかと首を跳ね上げて侯爵様を見上げる。子どもの前で幼子のように抱き上げられた辱めに耐えるのも限界があるのだ。

「よ、用事とはなんですか?」

 訊ねると、侯爵様は嫌味な程に整った笑みで見下ろしてくる。

「俺が部屋に運んでやろう。君を医者に診せるのが用事だ」

 子どもに言っていた話とは若干ズレているように思えた。それでは用事ではなくこじつけではないかと頭が混乱してくる。

「け、結構ですわ。怪我をしたのは頭で、足では御座いません」

「頭なんだろう? なら余計に気を付けなければ」

 侯爵様が歩き出すと揺れ、ティルカは悲鳴を上げて身を小さくしようとした。侯爵様が喉奥で笑い、腕を首に回せばいいと助言してくれる。意地悪なのか、親切なのか。真意を測りかねたティルカは無理ですと呟く。

(アリエッサなら絵になったんでしょうけど……こんな私では間抜けに見えてしまうのではないかしら)

 化け物の頭をしていなくても、侯爵様の腕に抱かれるなど不敬でしかない。お願いだから、もう地面に叩きつけられてもいいから解放されたいと泣きたいような気持になってしまう。

「もっと食べろ。俺を心配させるな」

 だが、

(……私のことまで、心配してくださるの?)

 前世も今世も、侯爵様はいつも領民や国のことを憂いている。アリエッサという光がこの方に射すまで、孤独であり続けるというのにーーそれでも、私のことまで慮ってくださる。

「侯爵様は、本当にお優しい」

 いつか、私の太陽と月が愛おしそうに抱き合える時が来たとして。

(この想い出は、私の心を慰めてくれるわ)

 感謝が口から零れ出て、間近で見た侯爵様は眉を寄せる。君は本当におかしな奴だなと苦みさえ見いだせる微笑を浮かべて、ふっと息を漏らす。

「自分の心配する夫に礼を言う妻がいるか」

「あ……そうですわね。感謝ではなく、謝罪が必要でしたわ」

 口の前まで手を持っていき「申し訳御座いませんでした」と首をゆっくり動かす。侯爵様はなにかとんでもない物を見た時のように目を見張り、次いで眉間に皺が寄っていく。どうしたのかしらと考え、ああ! と合点がいく。

「腕が疲れましたでしょう? 下ろしてくださいな」

 さあ早くと期待をこめて見つめていると、侯爵様は片方の眉をひそめたまま「嫌だな」と口の端を吊り上げた。

「下ろしてやりたくない気持ちになってしまった」

「どっ、どうしてですの!?」

 ハッと息を吐いた侯爵様にさあどうしてだろうなと嗤われ、こめかみに手を当てて考えるがどうしてそう思われたのか理由に辿り着けない。

「こんなにも君のことを想っているのに、残念なことだ」

「お優しいと言ったではないですか!」

「夫を優しいだけの男にするとは。君もなかなかの悪女だな」

 どうしてそうなるんですのと、急に意地悪になってしまった彼の気持ちについていけない。口をぽかんと開けて見上げていると「ついでに走りたい気持ちにもなった」と言われて絶句する。

 冗談だと思っていたのに、本当に走り出されて思わず首に腕を回してしがみつく。背をしっかりと抱かれているものの揺れるし、抱き上げられたのが初めてなティルカにとっては不安定としか感じられなかったのだ。

 あまりの恐怖に「どうしてこんな意地悪をなさるんですの!?」と叫んでしまったが、侯爵様は笑い声を出すだけで答えては下さらなかった。


 足でドアを開けた侯爵に、アイザックが目を丸くする。

 大股でやって来たことも、どうして奥様を抱えているのか、リリアたち奥様付きのメイドが「もっと穏やかに歩いてください。奥様は繊細なんですよ」「頭を打たれているので動かすのはよくないと思います」と侯爵に食ってかかっていること全て、なにもかもが分からない。

 だが、活き活きとしている主を想ってメイドたちをまあまあと宥めに掛かる。だが、その目の前で侯爵が大きな音を立ててドアを閉めると、風で乱れた髪を直しながら息を吐いた。

「侯爵様、ここは私の部屋ではありませんわ!」

「俺の部屋だな」

 ドアを蹴って閉めた侯爵の乱暴さに唖然としていたティルカが、初めて入った侯爵の私室を見ている余裕もなく、続きの間に足を向けられる。

 自室に続いている部屋など一つしかなく、ティルカは「お待ちください、お医者様が」と抵抗した。

「ここに呼んでいるから心配しなくていい。まずは横になれ」

 そう言って寝室に入り、大きなベッドに下ろされ掛けると慌てて侯爵様にしがみついた。

「顔! 顔を見てください!」

 叫ぶが、それがどうしたと返されて開いた口が塞がらない。嘘でしょうと呟くティルカに、「お前の美しさは顔の美醜程度で損なわれるものじゃない」と呆れたように言われる。

「そんなに嫌がられるといくら俺でも傷つくぞ」

 夫婦だというのになとしかめっ面になってしまったが、前世ですら肉体関係は一切なかったのだ。アリエッサの為に清い関係でいなくては。

 ソファーに下ろされると、ようやく人心地がついた。幼子が求める抱っこがこんなにも緊張するものだとは思わなかったと、胸を撫で下ろす。

「まったく、子ども相手とはいえ男に足を触らせるな」

 見せてみろと言われ、ティルカは蒼白になって首を振った。だが、ドレスの裾からするりと手が滑りこんできて、きゃあっと叫ぶ。

「なんで俺はお前の夫なのに拒まれなきゃいけないんだ」

「子どもが遊びで触るのとは違います!」

「ならせめて見せてくれ」

 俺だけお前の知らないところがあるのは嫌だと、まるで子どものようなワガママを口にされたティルカは、それでも恥ずかしいですわと両頬に手を当てて俯く。

「俺はお前の夫のはずなんだが?」

「……わ、分かりました。ですが、少しだけですわよ」

 引いてくれないと感じ取ったティルカが万が一の為に忠告をすると、それでいいと頷かれる。

 するすると衣擦れの音を立てながらドレスの裾をゆっくりと上げていく。強い視線が足に集まって、羞恥で消え入りそうだ。

「ああ、美しいな」

 足を得た人魚姫のようだという賛辞に、人魚姫じゃなくて人面魚ですと言い返す。

「なあ、今日くらい一緒に過ごさないか。ここが嫌なら君の部屋でもいい」

 俺たちは一度も夜を共にしていないじゃないかと肩を抱いてこようとする侯爵に、魚のように口をパクパクと開く。無理ですと叫んだティルカは彼の胸元を押して、ベッドから下りた。

 走って駆け寄ったドアのノブを掴んだ手に、黒い手袋をつけた手が重なって耳元に息が掛かる。

「いつかは許してもらえるように善処しよう」

 囁かれた言葉に体を震わせ、耳を手で押さえた。

「抱けば、俺がお前を寵愛していることも伝わる。お前が侮蔑されるのは俺が耐え難いんだ」

 こんなに醜い顔にしたのに、どうしてなのと呆けそうになったティルカは首を振って雑念を追い払う。

「膿で侯爵様の枕を汚してしまうのは耐え難いので、失礼させていただきます!」

 叫んでからドアノブを捻ろうとするが、上から手を握って抑え込まれてしまった。

「ここに医者を呼んだと言っただろう? 大人しくするんだ」

 ひくりと口の端が動き、ドアの外にいるはずのメイドの名前を呼んで助けを求めようとする。

「君は往生際が悪いな」

 だが、実に楽しげに笑う侯爵様に抱えあげられ、人攫いよろしくソファーに戻されてしまうのだった。

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