第参話 研究所に
ごぽっ、ごぽぽっ、と空気が水中を駆けていく音が聞こえる。
全身がひんやりとした何かに包まれている感覚。
息が、苦しい――
「ごはッ、がぼッッ――――」
目を覚ますと、視界は緑色に染まっていた。
全身をドロドロとした粘性の何かが覆っているようだ。
薄暗い部屋、スポットライトが俺に当たるように天井が光を放っている。
「おや、起きたようだね」
その光と影の境界からユラリと現れたのは、草臥れた表情に整えられていない口髭、白衣を羽織らず肩に掛けている初老の男だった。
「麻痺、睡眠、石化……君が気絶している間にあらゆる毒を試してみたけど、全てに耐性があるなんて君の体には興味が尽きないよ」
「ごぼばッ――」
声を出そうにも粘性体に口を塞がれているため言葉にもならない。
「あぁ、その状態じゃ喋れないか、悪かったね。メル、口を空けてあげなさい」
この粘性体の事なのだろうか、メルと呼ばれたそれは言われた通り口周りから避け、呼吸を可能にしてくれた。
「――ッはぁ、はァ……で、ここは何処だ?」
「何処、か。場所よりもまずは状況を聞いた方が良いだろうに……。まぁ私には関係ないがね」
「うるせェ」
「はいはい、あまり意味のない質問だが答えてあげよう。ここは聖皇国シュゼンプル郊外に位置する研究所だ。我々は亜人どもをこの世から排斥し世界を浄化する為に日夜研究を行っている」
「亜人だァ?」
「……君のような存在のことだよ」
半ば呆れたような返答に、少しイラっとする。
「要は亜人を皆殺シにする研究してンのか」
「端的に表現するなら、そういうことになるね」
「なら、なンで俺をさッさと殺さねェ」
「そうしたいのは山々なんだけど、それが出来なくてねぇ」
少し表情を曇らせ、僅かに言い淀む。
「……君のような亜人は過去に例が無いんだよ。肉体を損傷させても再生するのはゾンビ系の特徴なんだが、奴らは知能を持たない魔物だ、亜人では無い。それに――」
ここが一番理解できない、と言いたげに男は続ける。
「君の再生速度は常軌を逸している。ゾンビは一度倒した肉体をそのまま放置しておくと再び動き出すまでに一週間程度掛かる。しかし君は中隊長に刎ね落とされた首がものの数分で元に戻ったというじゃないか」
その言葉に記憶が呼び起される。
俺はあの騎士に、殺されたのだ。
意識を失っている間にも、この体は復活しようと動いていたと言うのか、益々人間離れしてる。
「君は一体、何者なんだ?」
「悪ィが、その質問には答えらンねェ」
俺自身、自分の身に起きた変化を把握できていないのだ、答えられる筈もない。
しかし、男には別の意味で聞こえたようで、
「そうか、では意識を奪った後こちらで色々と試させてもらうとしよう……メル、ヤりなさい」
その一言と同時、緑色の粘性体が口を覆い、更には鼻、耳、目などの穴から体内を侵してくる。
三半規管、脳髄を内側から弄られる感覚に吐き気を催すが、引きずり出そうにも上手く掴むことすら出来ない。
「逃げることは不可能だよ。メルは我々の研究から生まれた拘束用人工粘性生物なのだからね」
鼓膜は破れていないのか、それともこの粘性生物が鼓膜代わりに音波を伝えているのか……。
どちらでもいいか。
今重要なのは、コイツが粘性生物だということだ。
生物だというのなら、血が流れているのが道理だろう?
「――!? 君、何をしている!?」
男が慌てた様子で問いかけてくる。
それもそうだろう。
なぜなら目の前の相手が、自身の腕を喰らっているのだから。
「ッ――そ、そういうことか……!」
研究員の男は腰を抜かしたのか尻餅をついている。
気付いたとてもう遅い。
自らで食い千切った腕の肉はすぐさま再生。
代わりに、粘性生物は食われることを想定していなかったようで、身体を僅かに硬直させ拘束が緩む。
その隙を逃さず、掴み取りやすくなった粘性体を貪っていく。
「そんな……な、なんなんだお前は、その身体は!!」
「ァあ? さァな、俺が知りてェよ」
食えば食うほど身体が熱を帯び、感覚が研ぎ澄まされていくのがわかる。
それと同時に、腕に赤紫色の斑点が現れた。
人間の死について調べたときに見た、死斑というやつに似ている気がする。
まぁ肉体は既に死んでいるようだし、そこはあまり重要ではない。
不思議なのは、死斑が俺の意思で動くらしいことだった。
粘性生物を食ったことと関係があるのだろうか?
試しに右腕へ集めるイメージ……そのまま力を込めていく。
「な、何をするつもりだ」
「実験ダよ」
腕の色が次第に青紫へと変わっていく。
「他人のこと好キ勝手シようとシたんだ。文句は無ェよなァ?」
ゆっくりと、男へ近づいていく。
「や、やめ……助けっ――」
暗闇に、鈍くネバついた轟音が響き渡った……。
* * *
「あァ、勿体ねェ……」
飛び散った血肉を啜り、右腕を再生させる。
青紫に変色した腕は石材の床を砕く程の硬化を見せたが、代わりに握り締めた拳が再び開くことは無かった。
仕方なく前腕を千切り飛ばすが、消費も激しいのか再生できなかったのだ。
「諸刃の剣ッてヤツか」
上手く扱えれば盾にも鉾にもなるだろうが……。
中隊長と呼ばれた騎士を思い出す。
目で追えない速さの攻撃を凌ぐ事が出来なければ、こんなものは意味をなさない。
「何か、考えねェとな……」
肉塊と化した元研究員を足蹴に、部屋の出口を探す。
亜人に対抗する為の研究施設、アイツは確かにそう言っていた。
なれば何処かに、役立つ何かがあってもおかしくはない。
ポケットには相棒の感触、仮に見つかったとしても殺れば済む話なのだが、血液切れまで粘られてまた捕まるのは避けたい……。
警戒しつつ廊下を進み、無人の部屋を二つ調べてみたが、目星いものは見つからなかった。
「――妙だな」
唐突に廊下の先から声が聞こえた。
バレた可能性を考慮し、ゆっくりとナイフを取り出す。
「まさか魔法陣に異常が」
「いや、むしろ異常がないのが気になってね」
声のする部屋を覗き込む。
白衣を着た二人の男が何かの機械を覗き込むようにして唸っている。
徘徊が見つかった訳ではないことに少々安堵し、部屋を通り過ぎようとしたところで。
部屋の奥、小窓の向こう側に。
生気を感じないほどに衰弱しきった少女を見た。
助ける義理はない。
情けを掛ける積もりもない。
唯々、利用価値があると踏んだ。
「ケヒッ、楽しソうな事シてるじゃねェか」
背後から忍び寄り、右の肘鉄を小太り男の頸椎部へ振り抜く。
返し手で逆手に構えたナイフを細身の男の右延髄へ深々と突き刺し。
軽い脳震盪を起こし後ろへ倒れていく小太りの頭蓋を、左手で押さえつけ地面へと加速させる。
鈍い音を鳴らし痙攣しているソレから手を離し、横たわるもう一人からナイフを引き抜く。
「ンで、コイツは何の研究だ?」
改めて小窓の向こうを見やる。
ボロい椅子に拘束されている少女、口と太腿には管が繋がれており……
「ありャ、血か?」
腿から伸びた管は赤褐色に染まり、壁を越えてこちら側のタンクへと液体が送られている。
「なるほどな、こりャ良い拾いもンだ」
タンクのすぐ脇には手のひらサイズの瓶に移し替えられた血液。
対亜人としての有用性がコレには有るってことを状況が示している。
仮に亜人特化の毒だったとしても、先程の男の発言から俺には効かない可能性のほうが高い。
賭ける価値は大いにある。
瓶を手に取り、躊躇なく飲み干す――旨い。
刹那、熱が全身を駆け巡る。
粘性生物を喰らった時にも似た……いや、それ以上の熱量。
全身を赤斑が覆いつくしていく。
内から湧き上がる衝動に身を任せ、硬化前の拳を小窓のある壁へと叩き込んだ。
ゴシャァッッ!!
飴細工でも砕いたかと錯覚するほど簡単に石壁が砕け散る。
轟音を聞き、少女は僅かに顔を上げこちらを見上げる。
が、その瞳に光はなく虚ろだった。
「ッたく、悪趣味な事シてやがるなァ」
養護施設に引き取られる前の、正義どもの娯楽とされていた幼少期の自分と重なって見えた気がした。
今更思い出したくもない嫌な記憶を振り払い、話題を今へと連れ戻す。
「それにシてもスゲぇな。あり得ねェほど力が湧きヤがる」
左手に握っていた空き瓶を一瞥し、それを後ろ手に投げ捨てる。
未だこちらを見上げるボサボサ髪の少女。
その頭に手をかけ、口内へ差し込まれた管を引き抜く。
「――ぉぇっ、げほっ、げほっ……」
嗚咽し、深い呼吸を繰り返す彼女へ、
「交換条件だ。助けてヤるから、俺のモンになれ」
地獄への片道切符を握らせた。
* * *
血を抜く管と手枷を外し、彼女を立ち上がらせる。
俺の胸元ほどの身長、手入れのされていない荒れた金髪、先程よりかは幾分かマシになった碧い瞳、今にも折れてしまいそうなほど痩せ細った腕と足……。
その首元に、銀色に光るものが見えた。
少女の顎を持ち上げ、軽くしゃがむようにして覗き込む。
金属のタグが付いた首輪。
文字が刻まれている。
「リリアーヌ……これが名前か」
そう呟くと、持ち上げていた顎が縦に動く。
手を放し、早速リリアーヌに質問をする。
「で、ォ前はなンで捕まッてンだ」
「……私の血には、特別な力があるって、あの人たち言ってた」
「ォ前は人間か? それとモ、亜人とヤらか?」
研究対象にされてる時点で十中八九亜人側だとは予想できる。
が、
「……人間」
ぽつりと、そう答えた。




