第壱漆話 妖狐
妾も元は一匹の子ギツネじゃった。
母を早くに亡くし、獲物の狩り方も分からず孤独に衰弱していくだけだった妾を、一人の少女が助けてくれたのじゃ。
彼女の名前はアン。
妾を拾い家へ連れ帰ると、親を説得して家族として迎え入れてくれた。
「あなたの名前を考えなきゃ……」
「み~?」
「ふふっ、綺麗な金色の毛並み。金色って何か別の言い方があったような……」
妾の身体を優しく撫でながら、う~んと唸りつつ必死に思い出そうとしている。
「……あ、アル? ウル? そんな感じだったっけ」
「きゃんっ」
「あ、気に入った? じゃあ、あなたの名前はウルね!」
夕焼けが世界を妾と同じ色に染める。
アンの笑顔が、妾の全てじゃった。
彼女はとても賢い子での、魔術の才にも恵まれて居った。
妾が病気に罹ると、すぐに魔法で治してくれた。
……いや、妾だけでは無いの。
村の皆にもアンたち家族は慕われて居ったから、ケガや病気とあらば村人たちはアンを頼り、アンも断ることなく魔法を使って居った。
そんな聖女のような娘じゃ。
噂が広がるのは時間の問題だったのじゃろう。
数年が経ち、アンも大きくなった頃に其奴等は現れた。
「この村に聖女と慕われている娘が居るという噂は本当か?」
「えっと……多分、私のことでしょうか」
白い修道服に身を包み、先頭の男以外はフードを深々と被って顔を隠して居った。
アンは根が優しく清らかな娘じゃ、何も疑うこともなく自ら名乗った。
名乗って、しまった。
「村人の病気や怪我を独りで治療していたのか?」
「はい、そうですけど……?」
「そうか。連れて行け」
「ハッ」
「えっ、なにっ? なんでっ!?」
「教皇様の思し召しだ、有難く受け入れろ」
「やっ、お願い……放してっ!」
「ギャウッギャウッ!!」
アンが涙を堪えて嫌がる姿を見て、妾は居ても立っても居れず、腕を引く男の足に思いっきり噛み付いてやった。
「痛ってェ! 何しやがるッ!」
「ギャン……ッ」
お返しに横っ腹を蹴り抜かれてしまっての……吹っ飛んだ妾を男は更に傷付けようと近寄ってきた。
「やめてッ!! その子に、ウルに手を出さないで!!!」
アンの悲痛な叫びに、男は足を止め振り返る。
「止めなかったら、どうするんだよ。こちとら噛み付かれて怪我したんだ、まだ足りねえよ――」
「あなたの怪我なら、もう治しました……」
男はハッとして自分の右足首を見ると、噛み傷は跡形も無くなっていた。
「だから、それ以上何かしようとするなら、舌を噛んで死にます……ッ!」
発せられる気迫に圧されたか、男は両手を挙げて戻っていく。
「ぎ、ぎゃぅ……」
「ウル、ごめんね……」
彼女は最後に、妾の怪我を癒し、
「もっと、一緒に居たかった……っ」
大粒の涙と共に馬車の中へと、消えていった。
怪我は回復したが、蹴り飛ばされた衝撃で意識が朦朧としていた妾は一度気を失い……目が覚めたのはいつもの寝床の上じゃった。
一瞬、全て悪い夢だったのではと思ったが、妾が起き上がっても、幾ら鳴いても、アンは姿を現さなかった。
妾の全てを、彼奴等は奪い去ったのじゃ。
それからというもの、妾は走って、奔って、趨り続けた。
当てなぞ無かった。
唯々、何もせずには居れんかった。
奴等が現れた街道沿いに、分かれ道では僅かに感じた彼女の匂いか、妾の野生の勘だったのか。
兎に角、必死になって駆けずり回った。
アン……アン、今行くからの、待って居れ……!
今思えば、最後の回復魔法を掛けてくれた時に、自らの魔力を妾に注ぎ込んだんじゃろう。
アンにとっては別れの餞別程度だったろうが、妾にとっては膨大な魔力量。
そのおかげで、妾は三日三晩休むことなく走った。
当時は必至過ぎて気付かなかったがの。
遂に、白装束共が大勢集う宮殿を見つけ、妾は単身突撃した。
雨風に曝された結果、自慢の毛並みは小汚くなってしもうたが、そんなことはどうでもよかった。
宮殿内を駆け、取り押さえようと現れる装束達を避け、逃げ、少しずつだが着実に最奥へと詰めていった。
ん、噛み付いたりはしなかったのか?
それはもう全員噛み殺してやりたかったさ。
じゃが、下手に攻撃すればその隙に別の奴に捕まってもおかしくなかったからの。
アンの下へ急ぐことを最優先にと判断したまでじゃ。
幾つかの部屋を探し、扉を抜け、一際荘厳さを感じる扉の先に、アンは居った。
手足を縛りつけられ、身動きが取れないように磔にされた状態での……。
「グルルルルルルルルルッ!!!」
「ウ、ウル!? どうして……!」
意識は失っておらず、小汚くなった妾を一目で分かってくれた事に心の底からの感激を覚えた。
そして、それと同時に、
「ふぉっふぉ。もう手遅れじゃ、子狐よ。儀式は既に止められぬ段階に入っておる」
「ピィ――ッ!!」
真っ白な長髯を蓄えた老人……恐らく装束達が言う教皇と、同じく真っ白な身体――と言うよりかは白く塗りつぶされたと表現するに相応しい程に純白な鷲……鷹? そのような鳥が羽ばたき、アンへ向かって距離を詰めていく。
「これはワシの悲願。瑞鳥を模ったワシの魔力を有望な器へ注ぎ込む事で、ワシは新たな肉体を手に入れる――っ!」
そのような悍ましい事を、させてたまるかッ!
アンに救われ、共に成長し、またしても助けられた。
今度は、妾が助ける番じゃ!
地を蹴り、駆ける。
ここへ来るまで、何里掛かったか。
その間に培われた脚力で、瑞鳥を抜き去る。
アンが磔にされている壁へと着地し、その愛おしい顔を一瞥する。
「一緒に、帰ろうぞ」
再び蹴り、瑞鳥と相見える。
「な、何をするつもりじゃ――!」
老人が叫ぶが、もう手遅れじゃ。
その首元へ、今度は絶対に放さない様に、齧り付く。
「がッ……かはっ――」
瑞鳥を携え床へ降り立つと、老人は血反吐を吐きながら苦しみ悶えている。
顎に力を込めると、呼応するように激しさが増す。
なるほど、確かにこの魔力がアンに入っていれば、大変なことになっていたようじゃ。
このまま放っておけば、またアンが狙われるかもしれん。
確りと縊り、老人共々止めを刺しておく。
一際大きく身体を跳ねさせたかと思えば、ピクリともしなくなった。
瑞鳥も力を失い、形を保てなくなり霧散していき……
唐突に全身が凝縮した魔力に纏わり付かれた。
『よくもワシの悲願を邪魔してくれおったな、畜生風情が!』
魔力内に残った意識が、最後の悪足掻きで妾を取り込もうとしてくる。
『この際だ、貴様の身体で妥協してやろう。力が回復すれば、今度こそあの小娘の肉体を貰えば良いだけだ』
絶対に、させぬ――ッ!
アンの身体を、人生を……総てを愚弄するようなことは――ッッ!
じわじわと身体を、精神を侵される感覚に吐き気を催す。
纏わりつく魔力で身体の自由が利かず、浸食により力を込めることも儘ならなくなっていく……。
『どれだけ強い想いを持とうと、所詮は畜生。教皇たるワシに敵うわけが――』
「ウル――――――――――――――――ッ!!!」
張り裂けんばかりの叫びが、空間に鳴り響く。
同時に、温かな光が妾を包み込んでゆく。
『バカなッ、このワシ以上の聖浄晄じゃとぉぉぉぉおおお――――』
光は悪しき思念だけを浄化し、残された魔力は何故か妾の中に吸い込まれていった。
身体に自由が戻り、次第に動けるようになっていく。
「うる……っ、よかったぁ!」
別れの時とは違う意味の涙を湛える彼女へ近づき、その頬を舐める。
「もう泣くでない、アンよ……」
「あなた、やっぱり話せるように――」
「おや、本当ね。いつからかの?」
何が起こったのかは分からなかったが、この時から妾は人語を話すことが出来るようになった。
それからはまた、大変じゃったのぅ。
部屋に入ってきた白装束共が倒れた教皇を見て騒ぎ立てるのをアンが治め。
手に入れた神通力を使い、人々の記憶をちょいと弄って妾が神獣、アンを巫女として新たな国を興すこととなった――。
* * *
「これが妾の……そして、アンの昔話じゃ」
思い出を懐かしむように、綻ばせた顔で虚空を見つめるお姉さん。
とても苦しく、でも無事に再会できたことに、私の目元には涙が溜まっていた。
だけど、同時に一つの疑問が浮かんでくる。
どうして、そのお話を私にしたんですか……?
「おぉ、そこに触れて居らんかったな、すまんすまん」
前回と同じように私の頭を優しく撫ぜつつ、私の顔を見ているような、その奥の何かを見るような目で、呟く。
「お主が、アンの子孫だからじゃ」




