怪盗が現れた
1
ここに残業をしている教師が1人。ワイシャツの袖をまくり、両手を頭の後ろで組んで椅子の背もたれに寄りかかる。
大きく息を吐き、ふと視界に入るのは大きな黒色のケース。取っ手がついているので持ち歩くためのケースに見える。
教師は立ち上がり、ケースに近づく。中を開けるとトロフィーが3つ。その1つを持ち上げて上下に動かしながら教師はトロフィーを見ていた。
トロフィーの下の部分を両手で持って軽く素振りをした。教師の趣味はゴルフだった。
何度か素振りをしているうちに教師は持っているのがトロフィーであるのをすっかり忘れ、フルスイングしていた。
2
よく晴れた朝だ。吹く風は少し肌寒い。生徒は校門の前にいた。
黒い色のケースに付箋が貼られていた。書かれていた内容は“控え室に置くこと”
「中にはトロフィーが入っているから運ぶのお願いね」音楽科の教師、水戸口先生が言った。
「わかりました」
沢風美乃里は水戸口先生からケースを受け取る。
両手で受け取るとすぐに片手で持った。沢風はケースを見ていると、
「重いと思った?」水戸口先生は優しく言った。「片手で持てるから安心して」
「責任を持って運びます」沢風は水戸口先生の方を見て意気込んだ。
水戸口は微笑んで「控え室の場所が分からなかったらスタッフって書かれてる腕章をつけた人に聞いてね」
「はい」沢風は大きく頷いた。
3
「去年も来ましたけど、本当におっきいですよねこの建物」赤佐君は、市民文化センターを見ながら言った。
「全国ツアーする歌手もここを使ってるみたいだよ。この前、後輩の子がここでライブする歌手のチケット応募したって言ってた」
「そうなんですか」赤佐君はわたしの方を見て言った。
市民文化センターのまわりに生えている、紅葉や大きい銀杏の木が綺麗に紅葉していた。落ち葉を踏みながら歩いた。
建物の中に入ると木のあたたかみを感じる。客席に段差があり、上を見ると2階席がある。
2階席が保護者、その下が生徒、教師が座る。収容人数は300人も入るらしい。
各学年、クラスごとにかたまって座る。生徒会と実行委員はステージを正面にして左側の列に座る。
わたしの隣に赤佐君は腰を下ろした。顔を上げると、すぐ時計が見えた。時計の針は9時45分をさしていた。
4
「あの~控え室ってどこですか?」
沢風美乃里はスタッフと書かれた腕章をつけた女性に聞いた。
「えっと〜ご案内します」
言葉で説明しようとするのを諦めて、女性は案内した。
エントランスロビーを左に曲がるとすぐに右に曲がる。長い廊下を歩くと男子トイレと女子トイレがあった。そこを過ぎると左側に1室。ドアには来賓用控え室と書かれた紙がテープで貼られていた。
「こちらです」笑顔で女性スタッフが手で指して、去っていった。
「ありがとうございます」沢風は女性スタッフの後ろ姿に深く頭を下げた。
沢風はドアに2回ノックする。どうぞと男性の声が中から聞こえてきた。
「失礼します。1年1組の沢風美乃里です。トロフィーを届けに来ました」彼女は職員室に入る時の挨拶で入室した。聞こえてきた声が校長先生の声だったからだ。
「ご苦労さま」校長先生が優しい声で言った。「1組か……トップバッターだね。緊張してる?」
「はい……緊張してます」沢風は、笑ってごまかす。
「大丈夫。いっぱい練習してきたんだからその成果を思いっきりだして」来賓の1人の女性が勇気づけるように言った。
「はい」沢風は、通る声で言った。
沢風は、失礼しますと言って控え室から出た。早歩きでホールを目指す。
5
教師は少し遅れて多目的ホールに着いた。教員用の控え室の扉を開けると、辺りを見渡す。
ステージの方から開会を宣言する女子生徒の声。生徒会長だ。
通路の方からそこで何やってるんだ、開会式始まったぞという声が聞こえた。
教師は息を荒げ、汗をかいていた。とりあえず持っていた荷物を縦長のロッカーにしまって控え室をあとにした。
6
「それでは、芸術祭合唱コンクールを開会します」
わたしはステージに立ち開会を宣言した。
客席から拍手が鳴り響く中、一礼してわたしはマイクから離れた。
続いて来賓の有名な音楽大学の先生から挨拶。
「先程、1年生の子に会いました。彼女には思いっきり練習の成果を出してと言いました。皆さんもこの日に向けてクラス一丸で練習してきたと思います。最高の合唱をしてください」
深々と頭を下げたあと、ゆっくりともとに戻り、右手で前髪を軽く整える。
薄いピンク色のパンツスーツで襟にト音記号のブローチをつけている。自信たっぷりの笑顔で客席の方を見ていた。
開会式が終わると、わたしと来賓の方々はステージ裏に移動した。その先には、トップバッターの1年1組の生徒たちがいた。
すれ違うと緊張した後輩たちは深呼吸をしたり、後ろにいた友人にやばいやばいと言っている。
わたしも2年前はこうだったと思い出して1人で微笑した。
長い廊下を歩いてロビーを通って、ホールに入る。段を降りて赤佐君の隣に座った。
「始まりますね」赤佐君はわたしの方を見て言った。
「うん。1年生の子とさっきすれ違ったんだけど、緊張してた」
「緊張しますよ。こんな大きいホールで合唱するんですから。でも声が凄くよく響いてだんだん歌っていて気持ちよくなってくるんですよね」
「そうそう。だからきっと歌っていくうちに緊張もほぐれてくるんじゃないかな」
「会長は1年の時、どうだったんですか?」
「わたし……指揮者だったからすごく手が震えてたの覚えてる」
「合唱とは別の緊張がありますね」
「うん……」
その時だった。客席がすこし暗くなってアナウンスがながれた。
『それでは1年1組の合唱です』
生徒が入場して、指揮者と伴奏者が客席に向かって礼をする。指揮者は振り返って伴奏者は椅子に座り両手を鍵盤の上に置いた。
指揮者は両手を軽く上げて伴奏者の方を見るとそれに応えるように伴奏者は笑顔で頷いた。
指揮は堂々としていて伴奏は力強い演奏。その2人に応えるように合唱もホール全体に響いた。
さっきすれ違ったどこか頼りなさそうな後輩たちはどこに行ってしまったのだろうと思うような合唱だった。
わたしは力強く拍手した。他のクラスもレベルが高くて最後の4組の合唱が終わる頃には拍手をしすぎて手が赤くなってしまった。
7
『午前の部は終了、昼休憩に入ります。12時50分にはこのホールに集合するように』ステージ上でマイクをもった教師がアナウンスした。
それを聞いた生徒たちは立ち上がってホールから出ていったり、座ったまま談笑している。
沢風美乃里は前者の方だった。ホールを出て、この建物の裏の方に行くと、人工芝の広場がある。
そこでシートを広げて毎年お弁当を食べていることを先輩から前もって聞いていたので友人を誘って行くことにした。
ホールを出て、ロビーに来た時に後ろから沢風を呼ぶ声がした。
「沢風さん、沢風さん」水戸口先生が慌てた様子で近付いてきた。
「どうしたんですか」沢風が驚いた表情で聞いた。
「トロフィーが無くなった」水戸口先生が言った。「学校に連絡したけど無いって」
水戸口先生が学校へ連絡したのは、学校から出発時にケースの中身を確認していなかったので、もしかしたら学校に置き忘れてしまったのではないかと思ったからだった。
「わたし、ちゃんと控え室に届けましたよ」
「わかってる。沢風さんを疑ってるわけじゃないの」水戸口先生は頭を振った。
「ケースはちゃんと控え室にあるの。中身のトロフィーだけが無くなってたの」
8
「1年生の合唱すごかったですね」赤佐君がわたしの方を見て言った。
「うん。すごく堂々としてた。わたしが1年のときなんて……」わたしは言った。
「男子はやる気がなくて声が出てないしほんとに酷かった」
赤佐君は苦笑いをしながら、席を立った。
「会長、昼休憩なんで外に出ましょう」
「そうだね」わたしも席を立った。
「赤佐君、もしかして声出してなかった?」
「いえ」赤佐君は頭を振った。「俺が1年の時は、隣に音痴の人がいてその声につられて2人して音程外して歌ってました」
わたしは、それもどうなんだろうと思いながらも、口には出さずに「そうなんだ」とだけ言った。
一緒にホールを出てロビーに行くと、女性生徒と水戸口先生がいた。先生は頭を抱えている。
「どうされたんですか?」わたしは先生の方を見て聞いた。
「うーん」水戸口先生は言おうか迷っているような様子だ。
「生徒会の2人なら大丈夫よね。実は……トロフィーが無くなったの」
わたしは、大きな声で「え」と言いたいのをぐっと堪えた。
「無くなったのを気づいたのは」赤佐君は冷静だった。
「ついさっき。昼休憩に入ってすぐに来賓を控え室にご案内して」水戸口先生は思い出すように言った。
「学校から出発時にケースの中身を確認してなかったなと思って確認で見たら無くなってたの」
「ケースの中を確認ということは、中のトロフィーだけが無くなっていたということですね」
「そう」水戸口先生は何度も頭を縦に振った。
「えっと……」赤佐君は水戸口先生と一緒にいた女子生徒の方を見た。
「1年の沢風美乃里といいます。学校からトロフィーを運びました」沢風さんは深くお辞儀をした。
「そうだったんですか。先生の話だと沢風さんは来賓の控え室に運んだんですね」赤佐君は静かに聞いた。
「はい。ケースに付箋が貼ってあったんです。控え室に置くようにって書いてあったので」
「なるほど」赤佐君は考え込んだ声で言った。
「先生が探すからあなた達はお昼ご飯食べて。引き止めてごめんね」水戸口先生はそう言うとホールの方へ行った。
9
わたしと赤佐君は市民文化センターを出てすぐにあったベンチに腰を下ろした。
沢風さんの不安そうな表情を思い出しながらバッグからお弁当を取り出した。
「会長」赤佐君は弁当をひろげながら言った。
「早めに食べてトロフィーを探すのを手伝いませんか?」
わたしも同じことを考えていた。「うん」と頷いてサンドイッチ1つ頬張った。
「無くなったっていうことは、盗まれたの?」わたしは確認するように言った。
「うーん」赤佐君は口いっぱいに頬張ったご飯を水筒の飲み物で流し込んだ。
「あの大きさのトロフィーを盗んだとして、持っていたら目立つと思うんですよね」
トロフィーの高さは50センチ位。たしかに持っているだけで目立つかもしれない。
「それに」と赤佐君は言った。「盗むのならケースごと持っていったほうがいい」
わたしも同意見だった。盗んだ犯人の狙いが分からない。わたしは「たしかに」と相槌を打った。
わたしたちは昼食を早々に切り上げて、再び建物の中へ入った。赤佐君は辺りを見渡して受付の方に目を向けた。
受付には、女性のスタッフが1人いた。2人で受付に向かう。
「あの、お伺いしたいことがありまして」赤佐君が言った。
「50センチ位の高さのものが入るような袋やバッグ、ケースを持った人間がこの建物から出ませんでしたか?」
女性のスタッフは赤佐君の質問に困った表情を見せたが、「えっと」と言って思い出すような表情に変わった。
「いらっしゃらなかったと思いますよ」女性のスタッフが言った。「何かお困りなことがあったんですか?」
「いいえ。そんなんじゃないんです」赤佐君が慌てた声で言った。
気まずい空気が流れた。
「あっ! わたしが持ってた。彼の水筒」わたしは水筒を女性のスタッフに見せながら言った。
「もう! ドジなんだから。お騒がせしてすいません」女性のスタッフにお辞儀をして赤佐君の腕を引っ張った。
「すいません。助かりました」赤佐君は小さな声で言った。
「何であんなこと聞いたの?」
「犯人は自分が持っていたバッグか何かで盗んでこの建物から出たんじゃないかって思ったので」
「いなかったっていうことは……」
「まだトロフィーは、この建物内にあるということです」
受付から離れた所で、赤佐君は再び辺りを見渡した。
「来賓の控え室ってどこなんですかね」赤佐君が辺りを見ながら言った。
「あぁ、それなら」わたしは開会式のときに通った通路の方に行った。「ここの通路を通って、トイレを過ぎてすぐの所」
わたしたちは長い通路に入って来賓の控え室前に着いた。中にはもちろん来賓がいる。まさか中に入らないよねと赤佐君の方を見ると入りそうな様子じゃなかった。
「思い出しました。去年、ステージに行くときに通りました」赤佐君は辺りを見ながら言った。
「奥に行って右に曲がるとステージなんですよね」
「そう」わたしは頷いた。
「それでさらに奥が……」赤佐君が通路の奥を見た。
「あっ教員用の控室がありました」
10
昼休憩が終了し、時刻は13時。2年生の合唱の出番が迫っていた。
わたしは赤佐君とロビーで別れて、ホールに入ると沢風さんがいた。浮かない表情だった。
大丈夫だよすぐ見つかると無責任に声をかけるのもどうかと思ったので声はかけなかった。
沢風さんはわたしの前を歩いていて、自分の座席に座った。彼女はわたしたちが座っている真後ろの席だったのだ。
わたしは1段降りて、自分の座席に座った。そうか、沢風さんは実行委員なんだ。だからトロフィーを運ぶという役目を受けたんだ。
そうわたしは1人で納得していると、ステージに生徒たちが入場した。赤佐君のいる2年1組だった。
ステージにいる彼はとても緊張した表情だった。1年生の堂々として力強かった合唱の後だ。後輩を前で情けない合唱はできない。そういったプレッシャーを受けている表情にも見えた。
わたしはその顔を見て思わず笑ってしまった。こんな表情の赤佐君を見たのが初めてだったからだ。右手で上がった口角を隠した。
合唱が始まった。1年生は最初ということもあり、歌い出しの声が小さかった。だが2年生の合唱は最初から最後まで安定した力強い歌声だった。
1年生は勢い、2年生は安定感という印象をわたしは受けた。
合唱が終わるとホール内に拍手が響き渡った。赤佐君も歌いきったという顔でステージから出ていった。
2組の合唱の中盤あたりで赤佐君が帰ってきた。身をかがめてそーっとわたしの隣に座る。
「何で笑ってたんですか?」赤佐君は小さな声で言った。
見えてたんだ。一瞬目があったかもしれない。わたしは一生懸命真顔を作って赤佐君の方を見た。
「笑ってないよ」
「そうですか」赤佐君はわたしの顔をよく見てからステージに目を移した。
4組までの合唱が終わると、10分間の休憩に入った。この時間は、トイレに行ったり次の3年生つまり、わたしたちの合唱の準備に充てる時間だ。
だがわたしには気掛かりなことが1つ。トロフィーのことだ。
「この休憩の時間使ってトロフィーを探そう」わたしは赤佐君に提案した。
「いや」赤佐君は言った。「会長は合唱に集中してください。今年最後なんですから、悔いのないようにしてください。トロフィーのことは俺に任せて」
赤佐君はわたしの目を見て力強く言った。わたしはその目を見て安心した。大丈夫。彼なら探し出してくれる。
「まかせた」とだけ言ってわたしはホールを出て、ステージに繋がる通路に行った。
11
緑生徒会長がホールを出た直後、沢風美乃里は赤佐と目が合う。座席が真後ろだったことを彼は驚いた表情で見ていた。
「沢風さん」赤佐は行った。「探すのを手伝ってくれるか?」
「はい」沢風は頷いた。
「その前に水戸口先生に聞きたいことがある。どこにいるかな」赤佐はホール内を見渡す。
沢風も辺りを見渡すも見当たらない。
「ホールの外かもしれない。ロビーの方へ行ってみよう」
「はい」
赤佐と沢風はロビーに着くと、水戸口先生がいたので近付いた。
「あの、聞きたいことがありまして。一瞬で終わるんで」
「なに?」水戸口先生は忙しそうな様子だったが声色は優しかった。
「トロフィーが入ったケースに付箋が貼ってあったとおっしゃっていましたが、水戸口先生が貼ったんですか?」
「いや、わたしは貼ってない。学校に来た頃にはもう貼ってあった」
「ありがとうございます。後もう一つ」赤佐は申し訳無さそうに言った。「水戸口先生がトロフィーを最後に見たのはいつですか?」
「昨日の夕方……だったかな」水戸口先生が思い出すように言った。
「ありがとうございます」赤佐が笑顔で会釈した。沢風も倣って会釈した。
「大きな声では言えないんだけどね」水戸口先生が赤佐と沢風にさらに近づいて静かに言った。
「あのトロフィー、100円ショップで買った物なの。高価なものじゃないのになんで盗んだのか」
そう言うと、水戸口先生は何かを思い出したようにエントランスの方へ行った。
エントランスには3年生の合唱後に行われるバイオリンのコンサートを行うプロのバイオリニストたちがいた。水戸口先生は来賓の控え室の方へ誘導していった。
「沢風さん」赤佐は言った。「俺に作戦がある」
12
教師はホールにいた。今から始まる3年生の合唱が終われば次は、プロのバイオリニストによるコンサート。教師の表情は強張っていた。
その時、ホールの後方から同僚の教師たちが何かを話していた。焦った様子に見える。気になった教師はホールの後方に行き、何があったのか聞いた。
「何やらトロフィーがなくなったらしい」同僚の教師が小さな声で言った。「怪盗が現れた」
教師は怪盗からのメッセージが書かれた紙を同僚の教師から受け取った。
内容は
“栄光のトロフィーはたしかに頂戴した 怪盗テセウス”
13
わたしはステージの裏で何度も深呼吸をした。手のひらに人という字を書いて飲み込むというのを聞いていたがそこまで緊張はしていなかった。
開会式のときの来賓の先生が言っていたことを思い出していた。『最高の合唱をしてください』と。
『それでは、3年1組の合唱です』
わたしはステージに行った。わたしが立っている位置から赤佐君が見えた。目が合うと、彼は穏やかな表情で頷いた。
わたしは笑顔で返した。すぐに指揮者の方へ目を移した。ピアノの伴奏が聞こえてわたしは大きく口を開けて歌った。
あっという間の4分だった。これで終わったんだ。ちゃんと全てを出し切れただろうか。その不安は客席から聞こえてくる大きな拍手で打ち消された。
わたしはステージを出て、後の出番の2組や3組の生徒たちとすれ違いながら、頑張ってとエールを送った。
ホールに入って、赤佐君の隣に帰ってきて席に座った。
「凄かったです。さすが3年生って感じでした」赤佐君が笑顔で言った。
「迫力がすごくて、重厚感がありました」沢風さんが言った。
「ありがとう」わたしは2人を交互に見ながら言った。
わたしはステージの方に視線を向けた。2組の合唱は隣の教室から聞こえてきてたので何度も聞いたけれど、正面にして聞くと静かな曲だが丁寧に歌い上げている。
他のクラスの合唱も終わって残す所はバイオリニストによるコンサートだけになった。
『これより、10分間の休憩に入ります』
アナウンスがして少し経った頃、水戸口先生がわたしたちの前にやって来た。
「なんでか分からないけどトロフィー戻ってきた。3人共、お騒がせして本当にごめんね」
と言って段を上がってホールから出ていった。
「良かった」赤佐君は安心した表情で言った。「ねぇ沢風さん」
「はい。よかったです」
わたしは水戸口先生が言ったことを思い出していた。“戻った”?“見つかった”ならわかるけど。赤佐君の方を見た。彼は目が合うとすぐに目をそらした
「赤佐君、どうしたの?」
「いや……」
「赤佐君」
「……作戦を立てたんです。トロフィー見つける」
「なに?その作戦って」
「怪盗を呼びました」
「はい?」
「聞いてください。トロフィーがケースに戻るのは時間の問題でした」
「どういうことですか」沢風さんが聞いた。
「ここからは俺の推理というか想像です」赤佐君が言った。
「来賓用の控え室がある通路は、会長や沢風さんもわかってるとは思うんですけど、常に人が行き来している通路です。控え室に忍び込んでトロフィーを盗むことなんて不可能なんです」
赤佐君は続けた。
「最初からあのケースの中にトロフィーが無いとしたら」
わたしは通路に通ったときのことを思い出していた。合唱のときは常に出番を待つ生徒たちが通路にいて、10分間の休憩もトイレに行く生徒たちがいた。たしかに不可能だ。赤佐君のもとから無かったという推理に納得した。
「それじゃあ、何で今はケースの中にトロフィーがあるの?」
「犯人が昨日、トロフィーを壊したからです」
「壊した?」
「はい。壊したのはおそらく遅い時間帯。どこのお店も閉まっている時間です」赤佐君は言った。
「トロフィーケースには付箋が貼られていた。内容は“控え室に置くこと”これが犯人がしたミスでした。
犯人は教員用の控え室にトロフィーケースを置いて欲しかった。そして今日、急いで100円ショップで買ってきたトロフィーをケースに入れて来賓用の控え室に運ぶのが犯人の狙いだったんです。
ですが沢風さんが犯人の狙いとは違う、来賓用の控え室に運んだ。犯人は凄く焦ったでしょうね。
先程言ったとおり、あの通路は常に人が通ってます。昼休憩には来賓が控え室に戻っている。犯人が買ってきたトロフィーを入れるとしたらあるタイミングしかありません」
「バイオリニストのコンサート」わたしは言った。
「そうです」赤佐君も頷いた。「コンサート中はホールの中は全生徒と先生、来賓がいます。ステージにはバイオリニストたち。通路には誰もいません」
「でもコンサートが始まる前にトロフィーが戻ったけど」
「そこで俺の作戦です。怪盗を呼びます。当たり前ですが本当に来ていません」赤佐君が言った。「犯人は誰にもバレないままトロフィーを戻したかった」
「そこをあえてバラしたんだ」わたしは赤佐君が言いたかったことを補足した。
「はい」
「でも何でそんな作戦を実行したの?」
「みんなが気持ちよくバイオリンの音色を聞けたら良いなと思ったんです」
たしかに今のわたしの気持ちはトロフィーが無事にあって良かったという安堵感でいっぱいだった。
赤佐君の推理……想像通りなら犯人も同じ気持ちかもしれない。
『これよりバイオリンコンサートが始まります。ご着席ください』
わたしはゆっくりと席に着いた。
こんにちは、aoiです。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。