〜13の決断と14の涙〜 -エピローグ- (挿絵有り)
2024.04.08 加筆修正しました。
「お父さん。お母さん。どうか私に、この子と一緒に歩む道を下さい。」
この数日間、悩みに悩んだ末の私の想い。
「産みたい。」
「この子の為に。」
「この子と一緒に私は生きていきたい。」
そう決断し両親に告げてからは早かった。
まず両親は私が赤ちゃんを産むことに賛成をしてくれた。
特にお母さんは産んで欲しかったみたいで、ぎこちなさもあったけどかなり喜んではくれたよね。
「30半ばでお婆ちゃんかー······。予定より10年早かったなぁ〜♪」
な〜んて言ってたからね。
予定日までは聞いてなかったけど、出産はまだまだ先だよ?
いくらなんでも気が早すぎない?
そう思ってしまった私は別に悪くはないよね?
それと続けてこういうことも言ってくれたんだ。
「このはが我が儘を言う事って殆どなかったから、我が儘を言ってくれて嬉しいのよ。迷惑だなんて思わないから遠慮なく頼りなさい。」って。
「父さんもそれだけの想いと覚悟を聞けば反対はしないよ。それに、さっき母さんも言ってたが遠慮なく父さん達を頼りなさい。大丈夫だからな。それになんだかんだ言っても、孫には違いないし。頑張れば60過ぎぐらいにはひ孫が見れるかもしれんし、な?」
ニカッと笑いながらお父さんが茶目っ気に言ったんだよね。
これには私も驚いたよ。
正直、お父さんはお母さんと違って反対をすると思ってたんだよね。
お父さんってお母さんと違って、どちらかというと真面目なタイプでこういう特に間違った事って嫌いな方だから。
それにお母さん以上に私の事を大切にしてくれてた。
触れ合い的にはお母さんの方が圧倒的に多かったけど、そこはどうしても同性異性の差があるから仕方ないとは思ってる。
けど、見えない部分で大切にされてるんだなっていう想いとか感じは伝わってきてたから、今回の妊娠については反対をすると思ってた。
私の将来、学校とか就職とかの事。
どこの誰か分からない男の子供を産む事。
弱年齢で出産することのリスク等など。
そういうのを総合的にみて反対だと思ってたんだ。
だから意外だったよ。
「あら、確かにそれはそうね♪」
「だろだろ?ひ孫なんて、そうそう見れないのにそれが60前後で見れるとなったらかなりいいぞ?」
そしてお父さんは、もっと気が早かった(笑)
孫が生まれる前から、ひ孫の話ですか??
それはいくらなんでも話が飛躍し過ぎではないですかね?そう思ってしまう。
まぁでも、それを夢見て今後少しだけでもお酒を控えてくれれば、健康にはいいかなと思う。
ひ孫はともかく、健康で長生きはして欲しいと思ってはいるからさ。
タバコを吸わないだけまだマシなんだけど、今後はその辺りの事を出しながらお酒も控えるように言いくるめてみようかな······?
「お父さん、お母さん、ありがとう。私の我が儘を受け入れてくれて。私、頑張るからよろしくお願いします。」
「うん。無理しない程度に頑張ってな。」
「そんなに気を追わなくてもいいからね?リラックスが大事よ?」
頭を再び下げて、改めてお礼を伝えました。
ーーーーーーーー
次の日、病院で検診をし先生に産みますと報告した。
「そうですか······。では私達も出産まで精一杯のサポートをさせて頂きますので、どうぞ宜しくお願いします。」
先生もそう仰ってくれて、とても嬉しかったよ。
1人じゃないんだ。こんなにも周りで支えてサポートしてくれる人がいるんだと知れてとても心強く感じて、妊娠に不安があったのが大分薄れて来たのが感じられた。
病院の帰りには市役所で母子手帳と関係書類を頂いてきた。
これは私が行くと非常に目立つから、お母さんが代わりに受け取りに行ってくれたよね。
戻って来たお母さんから母子手帳を受け取って、これが私とこの子の母子手帳かーって中をパラパラと捲りながら自然と笑みが止まらなかった。
あとは病院の先生が書類を用意してくれて、それを学校に提出。
これは極めてデリケートな問題で今の御時世、どこから情報が漏れるか分からないから、妊娠というキーワードは上手く除いて用意してくれたそうです。
学校からも特に聞かれることなく、お腹も目立ってくるため三学期の途中でお休みする事にしました。
その後は家で立派なママになるために、今まで以上に色々と勉強をしたよ。
学校の勉強はもちろんの事、料理を中心とした家事全般、 妊娠や出産、子育てや赤ちゃんについての色んなこと。
子育ては実際に体験しないと分からない事だらけだと思うけど、知識として持ってる事は悪くないと思ったんだ。
それに元々勉強をするのは好きだった私。
学校では年間のスケジュールで授業を進めるけど、これだと私のペースでガンガン進められるから、まぁ楽しい事楽しい事。
新しいことを覚えて理解していって、どんどん進めていくの。って
やることは沢山だけど凄く充実して毎日だよ。幸せです!
4月になり休んではいたけれども進級はして、私は14歳になり中学2年生になった。
お腹はもう十分目立つようになってきて、少しずつベビー用品を買い揃えるようになってきた。
もう、この頃になるとお父さんもお母さんも凄くウキウキしてるのが目に見えて分かるようになってきた。
それに赤ちゃんは多分女の子だろうって、先生が教えてくれました。
嬉しいな♪
私は男の子でも女の子でも我が子ならどちらでも良かったけど、できるなら女の子が欲しかった。
理由は色々あるけど、女の子なら可愛い洋服着せたり一緒に買い物に出かけたりと、男の子よりは一緒に長く過ごせる様な気がするんだよね。
あとは一緒にお風呂に入ったり寝たりとかも。
こういうのも幼いうちは出来るけど思春期になったら、特に男の子は分けないといけないじゃない?
その点女の子なら、その子次第だけどまだ問題ないと思うから······。
あと、性別も分かったので名前も考え始めました。······が!
これがとにかく悩む事、悩むこと。
どんな名前がいいのか、あれこれと考えてはまた悩んでとの繰り返しで······。
名字が『すずみや』で4文字だから、発音した時に合う文字数がいいかな?なんて考えてみたり。
又は言葉の意味や感じの意味も大切だよね?
キラキラネームは嫌だし、誰でも直ぐに分かる感じがいいな。
でも、画数が多いと名前を書く時に苦労しそうだから、そういう所も考慮して······。
出産まではまだまだ先で時間もあるから、ゆっくりじっくりと考えるつもりです。
両親も名前に関しては私の好きな様につけなさいって言ってくれてるので、有り難く考えさせてもらってるの。
まぁ·····なんでも、名前付けは親の特権だからって。
中には祖父母が考えて付けてしまう事もあるらしいけどね······。
とにかく、一生懸命考えて素敵な名前を贈りたいなと思います。
6月に入ったある日、とうとう陣痛がきました。
最初は『ん?』なんて感じだったんだけど、これがまだ感覚は長いけど続くようになって『あぁ、これが陣痛なんだなー』って思ったよ。
そして、いよいよなんだなって······。
感覚が段々と短くなってきて、病院に連絡後に向かいました。
着いてから陣痛室のベットに横になりながら、子宮が開ききるのをひたすらに耐えつつ待ちます。
苦しくて痛くて······お母さんに腰を擦ってもらいながら耐えます。
あと少し、あと少しで娘に会えると思うと不思議と力が湧いてくる様な気がして苦しくても頑張れます!
破水もして、あと少し。
先生がもう開ききりましたので息んで大丈夫ですよ。とのことで、少し移動して分娩台へ。
もう、そこからの事はあまり覚えていません。
ただ声の通りに息んだり時たま力を抜いたりしなから頑張っていると
「おぎゃーおぎゃー」って声が!
あぁ·····やっと生まれてきてくれた······。
嬉しかった······。本当に嬉しかった。
ここに至るまでに不安や恐怖でたくさん泣いたり、ママになる為に頑張って来たこと、もう全部がどうでもよくなるくらい嬉しさと幸せが身体を、心を支配する。
あと、少しで顔が見れる······。
「このはちゃん、元気な女の子です···よ······って、えぇーー?!」
先生の驚く声がする。
何!? なになに!!?
どうかしたの??! 私の赤ちゃんに何かあったの!?
先生、教えて!!!
嬉しかった気持ちが、急に不安になってきた。
中々顔を見せてもらえない、私の赤ちゃん。
まぁ話し声では体を拭いたり体重を測ったりと、データーを取ったり分かる範囲での状態観察をしてるみたいなんだけどね。
その間、私の方はというと後産というのをしてたから、結果的には直ぐに抱けない状態ではあった。
後産とは、子宮に残った胎盤を排出したり切開をした場合は縫ったりといった処置をする事。
それも最初の先生の驚きの声で、それどころの気持ちではなかったけど······。
「はい、このはちゃん。お待たせ。ほら、待望の可愛い女の子ですよ。」
そう言って先生からおくるみに包まれた娘を渡された。
娘との感動の初対面。
そうなる筈だった······。娘の顔を見るまでは。
「えっ!? ·········せんせ?これって一体······??」
「私もさっぱり分かりません。ただはっきり言えるのは、この子がこのはちゃんの子供であることは疑い様のない事実です。ですが、この容姿については遺伝する可能性はゼロではないですが、通常の場合は殆ど遺伝しません。つまり相手が日本人ならほぼ日本人としての容姿で生まれることが殆どです。なのでここまでこのはちゃんにそっくりというのは、通常ではありえません······。」
私も驚いた。そして先生も看護師さん達も驚いた。
私の腕の中にいて初乳を飲んでいる私の娘は、白い髪の毛で赤い瞳をしていて、私に瓜二つのそっくりな赤ちゃんでした。
奇しくも、お母さんが私を産んだ時と同じ驚きをまた橘先生にさせてしまったね······。
親子揃ってすみません。
「とりあえず、現時点で行う確認では異常は見当たりませんでした。ですが状況が状況なので、まずは髪の毛と唾液を少々貰って遺伝子鑑定を行いますね。それと負担にならない様にしながら少し精密な検査等も退院までに行って行きたいと思いますので、宜しくお願いします。」
「あっ···はい。よろしくお願いします。」
ざっくりとではあるけれど、今後の予定を教えてくれて頭を下げてくれた先生。
それに対して私も慌てて頭を······頭は動かせなかったので言葉だけで返事を返した。
まずは遺伝子検査か······。それは分かる。
私の妊娠の経緯を考えると相手を確定出来なくとも、その遺伝子情報だけは欲しいところだよね。
そうすればいずれ何かしらの形で、分かる時がいずれ訪れるかもしれないから。
まぁ······、それはそれで怖い部分も勿論あるよ。
私に記憶がない以上は想像でしか考えられないから·······。
日本人?外国人?年上?年下?
考えればきりがないけれど、年下の可能性は少ないかな?
私が中1だから下ってなったら小学生だもんね。
となると、年上?おじさん?お兄さん??
どっちも嫌だなー······。
男の子を好きになった事がないからよく分からないけど、でも、授かるなら好きになった人との子が欲しかったとは思う。
でも······。
私の腕の中にいる、生まれたばかりの我が子を見る。
その顔や手は生まれたてというのもあって、しわくちゃで。
でも少なからず生えている髪の毛は私そっくりの白髪で、お目々も赤い。
そしてそのちっちゃな口で一生懸命、母乳を飲んでいる。
「可愛いなぁ······」
ぼそっと出たその言葉。
その言葉が全てを物語っていて、その瞬間に相手がどうとかはもうどうでもよくなってしまった。
元々産むと決断した時に誓った事。
この子を守り育て、共に歩む。
それに偽りはないけれど、頭の片隅にこの子の父親という存在の事はあったんだよね。
それがこの瞬間に消えた。
相手が何処の誰であろうとそんなのは関係なしに、私はこの我が子が可愛くて愛しくて堪らない······。
出産してから数日経ち、明日退院です。
幸い娘は今のところ異常はなく元気で、私も問題なし。
ただまぁ、私が低年齢での出産というのもあり、おまけに妊娠の経緯及び生まれた我が子の特殊系もあって、通常の方と比べて少しだけ入院期間が伸びたんだよね。
そのかわり、色々と検査をしてくれて今の所異常は見つからなくて一安心なんだけど。
今は個室で授乳が終わり抱っこしてます。
小さな小さな私そっくりな娘を抱っこしながら、私は涙を流します。
産まれてきてくれてありがとう。と。
あの時、産みたいと決断して良かった。と。
この子と一緒に人生を歩める嬉しさと。
14歳の初夏の日、私は涙を流した。
シリアスな展開が続きましたが、高校生お姉様はママなんです♪を読んで頂き誠に有難うございます。
実はこの妊娠疑惑から親への相談報告、検査を経ての出産を決意をする場面はもともと考えていました。
というのも、この作品、初めはイラストを作って楽しんでた中でこの年で幼い娘がいたらどんなママになるかな?きっと優しくて娘を溺愛してるママになりそう。でも幼くして妊娠となると、もの凄い不安の中、この子はどう悩み決断して今の幸せに至るのだろう?という発想から物語が書いてみたくなり、今の作品になります。
拙い文章力で皆様に、このはちゃんの出産に至るまでの心の葛藤や生まれてくる娘への決意など、このはちゃんの人柄が上手く伝わってくれればいいなと思います。
まだまだ続きますので、引き続きご愛読いただけたら幸いです。
ここまで読んで頂き誠に有難うございました。
※イラストについてですが、あくまでこんなイメージって感じでみてください。
特に今回の病室イラストですが、実際あんなにゴチャゴチャ機械があったり物が置いてあったりはありません。また、このはちゃん髪が短いのに長いとか頭にカチューシャ?とか突っ込み所も多いですが、ドンピシャのイラストは創れないので(汗)
他にも制服のデザインや色合いが違うとかもありますが、こーゆー感じのシーンだよって事で多目に見てくれると助かります。
たまにドンピシャっぽいイラストもありますが……。




