82◇浜辺
そして、強化訓練の日がやってきた。
生徒たちは港まで馬車で移動し、到着後は船に乗り換え、波に揺られながら目的の島へ。
「大丈夫かい? お姫さん」
島に到着し、続々と下船する教官や生徒たち。
そんな中、青い顔をしている者たちの姿がちらほらと見えた。
船酔い、というやつらしい。
強烈な揺れに気持ち悪さを感じるのは分かるが、体調を崩すレベルの人間もいるのだとか。
俺の班では主に聖女たちがこの症状を訴えかけ、互いに癒やしの魔法を掛け合うことで危機を脱していた。
それでも余韻が残っているのか、げんなりした様子である。
「えぇ、もう大丈夫ですので」
お姫さんが口許に手を当てながら答えた。
周囲を見れば、クフェアちゃんがリナムちゃんの背中をさすっているし、ヒペリカムちゃんはアグリモニアちゃんにそっとハンカチを差し出している。
「船の揺れが、最初の関門ってわけか」
「そ、そうですね……。『無声の人魚姫』がいるという島へも、船でしか行けないようなので、同じ事態が予想されます……」
そういった意味でも、実際に島という環境に渡って訓練をすることには、意味があるわけだ。
少なくとも、船酔いする人間は、その苦しみを安全な訓練で経験しておくことができた。
次は気持ち悪くなる前に、癒やしの魔法を準備しておくなどの対策が出来る。
「さぁ、訓練はこれからだぞ!」
教官の一人が、生徒たちに声を掛ける。
この強化訓練は五日間掛けて行われるそうだ。
荷物を宿泊施設に置いたあとは、すぐに訓練開始。
まずは、封印都市内を想定した訓練だ。
島という環境に適した行動をとる必要がある。
それも、班単位でだ。
道中は形骸種役を担う教官や先輩たちに襲われ、これを上手く捌けないと減点となる。
「……確かに、これは厄介ね」
クフェアちゃんの呟き。
俺たちがいるのは、森の中だった。
整備されていないので、非常に歩きづらい。
木の根も、転がる石も、堆積する木の葉も、行く手を阻む背の高い草も、視界を遮る樹木も、不規則な葉擦れの音も、小動物の動きも、舞う虫も、全てが人間の注意力を奪い、『万全』を削っていく。
歴戦の戦士が、転んで頭を打って死んでしまう、なんてことが起こり得るように。
現実の生き物はどれだけ優秀でも、些細なきっかけで死に引き寄せられてしまうのだ。
それを言葉の上で理解した気になるのと、体験して心から実感するのでは天と地ほどの差がある。
「ひゃあっ」
アグリモニアちゃんが何もないところで滑って転ぶ。
いや、何もないのではない。湿った木の葉を踏んで滑ってしまったのだ。
だが助け起こすことはしない。
お姫さんやリナムちゃんの視線が彼女に向いたその瞬間を狙って、木陰から人影が飛び出して来たからだ。
俺を含む聖騎士三人はすぐさま木剣を引き抜き、襲撃者へ対応。
その木剣を弾くと、相手が満足したように頷く。
「よし。仲間の声に引きずられて周辺の警戒を疎かにする者もいるが、この班の聖騎士は問題ないようだな」
と言って、襲撃者たちが去っていく。
また別の班を試しに行くのだろう。
「ご、ごめんなさい……」
起き上がったアグリモニアちゃんが、肩を縮めて謝罪する。
「次から気をつければいいさ。それに、一番いいのは歩きやすい道を見つけられることだしな」
それがない場合や、急ぐ場合、やむを得ず悪路を選ぶこともあるのだが。
俺たちが向かうのは、出発時に渡された地図に記された地点。
この島、場所によってかなりの高低差があるようで、まるで山登りのような厄介さがある。
これは『無声の人魚姫』のいる島と似た地形とのことなので、実際に人魚姫を探す際も、似たような行動をとることになるかもしれない。
――なるほど、いい訓練だ。
実際に行動してみると、班としての問題点も見えてくる。
『身体強化』や『身体防護』は強力だが、これは体力を増やしてはくれないし、回復してもくれない。
治せるのは、体調不良や負傷などに限るわけだ。
険しい道や長時間の活動では、聖女たちにも体力が求められる。
だが、女神の魔法を鍛えることに重きを置いている聖女たちは、聖騎士に比べると体力が少ない。
身体を鍛えるほどの時間が中々捻出できないのだ。
今回のような慣れない地形だと、疲れはより早く出てくる。
その分、休憩の時間が必要になるわけだ。
「はぁ……はぁ……体力もつけないといけませんね」
休憩中、お姫さんが荒い息で言う。
額や頬にまで汗を掻いており、白銀の髪が白い肌にぺたりとくっついてしまっていた。
「ま、追々な。多分、この訓練は一年生にそれを教える意図もあるんだろ」
急に魔法も身体も仕上げるなんてのは不可能だ。
この訓練で課題を明確化し、己に次に必要なものを知ることが出来れば、ひとまずはそれでいい。
俺はハンカチを取り出し、お姫さんに差し出す。
「どうぞ、汗をお拭きください」
「ふふ、ありがとうございます」
お姫さんがハンカチを受け取り、汗を拭う。
顔についた汗は綺麗に拭えたようなのだが、途中で何かに気づき、顔を赤くした。
「アルベール」
「なんでしょうか、我が主」
「少し、向こうを向いていてください」
「なんでまた?」
「わ、わたしの汗を見るのではなく、周囲の警戒を頼みたいのです」
「いやまぁ、健康的に汗を掻く姿は嫌いじゃないが、凝視するほど好みってわけでもないから安心してくれ……って、あぁ、そういうことか」
よく見れば、制服の谷間部分に汗を掻き、そこに極小の湖が出来ているではないか。
お姫さんほどの巨乳ともなると、そういうことも起こるようだ。
「~~~~っ! アルベール!」
「これは失礼。周囲を警戒して参ります」
よっぽど恥ずかしかったのか、顔を真っ赤にするお姫さんが愛らしい。
怒らせるつもりはないので、さっと視線を外す。
すると視線の先で、インナーの裾を指先で摘んで仰ぎ、服の中に風を送り込もうとしているクフェアちゃんと目が合った。
彼女のへそが、ちらちらと見え隠れしている。
「な、何見てるの!?」
「身体の中に風を送ろうとしてるクフェアちゃん、だな」
「正直に答えなくていいから!」
クフェアちゃんも恥ずかしかったようで、俺に背を向けてしまう。
「アルベールさんは平気そうですけど、何かコツとかがあるんでしょうか?」
倒木を椅子代わりにしながら、水筒から水を飲んでいたリナムちゃんが、俺の顔を不思議そうに眺めながら訊いてきた。
「コツというか……単なる慣れだよ」
もう遠い過去の出来事だが、聖騎士の訓練も実戦も過酷なものだった。
しかし魂に染み付いた経験は消えていないようで、このジメジメした山道も耐えられる。
聖騎士のヒペリカムちゃんは、この状況でもキチッとした姿勢で周囲を警戒中。
アグリモニアちゃんの方は体力回復に時間が掛かっているようだ。
実家でも多少は聖者の心得を教わっただろうが、貴族の家と聖者育成の学園では厳しさも違ったのだろう。
彼女の場合は、これから慣れていくしかない。
俺の視線に気づいた彼女が、気まずそうな顔になる。
「も、申し訳――」
「謝る必要はないさ。君の加護の世話になるって時に、仲間にいちいち謝ってほしいわけじゃないだろ? 持ちつ持たれつだよ」
「は、はい……」
アグリモニアちゃんが、なんとかといった具合に微笑み、もう少し休憩することに。
「立派ですよ、アルベール」
お姫さんから柔らかな声が掛かる。
「もうそっち向いてもいいのかい?」
「え、えぇ」
お姫さんの方を向くと、澄まし顔をしているが、少し耳が赤かった。
「お姫さんも、疲れてるなら遠慮なく言ってくれ」
「ありがとうございます。貴方が仲間を必要とし、慮ってくれることを、嬉しく思いますよ」
初対面の時の俺は一人で復讐を果たそうとしており、彼女とも形式上のパートナー以上になるつもりはなく、その加護も必要としなかった。
だが、今は違う。
魔女を殺すという目的は変わっていないが、パートナーや仲間の重要性も理解しているつもりだ。
なにより、この班のメンバーはみんな美女美少女というのが素晴らしい。
男が息を切らしていても置いて行くだけだが、彼女たちならばいくらでも待てるというものだ。
「もう大丈夫ですわ」
息の整ったアグリモニアちゃんが、勢いよく立ち上がる。
「よし、じゃあ行くか」
この訓練を突破した先にある自由時間を思えば、この程度苦ではない。
俺たちは教官たちの襲撃や仕掛けられた罠を突破し、悪路を攻略しながら、目的地へと到着。
そこは山の中腹にある、開けた土地だった。
どうやら俺たちの班が一番乗りのようだ。
遅れてやって来た生徒たちを見ると、泥だらけになっていたり、体力の尽きた者が仲間に背負われていたりする。
減点の果てに失格扱いとなったのか、教官に連行されて肩を落としている者たちもいた。
全員が万全の状態で到着できたのは、俺たちを含め三つの班のみ。
しばらくして全員揃うと、学院から連れてこられた料理人の協力のもと、直火で焼かれた肉や野菜が供された。
普段はそのような食い方を「はしたない」と思うお嬢様たちも、これだけの訓練のあとで空腹が限界に来ていたのか、文句も言わず食事を腹に詰め込んでいく。
非常に危険なので避けるべきだが、封印都市内で夜を明かすことも有り得る。
そうなった時に、非常用の食料だけで済めばいいが、それが尽きた際にどうするか。
我慢よりも、現地調達出来るならばして、調理した方がよいだろう。
都市によっては家畜が野生化して繁殖しているかもしれないし、地域によっては山菜などを採取出来ることもある。
野生の獣の他、川や海があるのならば魚だって穫れるかもしれない。
だが、食事に対する許容範囲は人それぞれだ。
こういった機会を通して、貴族子女の許容範囲を広げよう、という試みなのかもしれない。
俺やクフェアちゃん、リナムちゃんは手づかみの食事にも慣れているので問題なし。
お姫さんも俺との買い食いなどで抵抗感が薄れてきたのか、骨を掴んで肉をはむはむと食べている。
ヒペリカムちゃんにも動じた様子はなく、アグリモニアちゃんは覚悟を決めたような顔をしつつも、しっかりと平らげた。
訓練は翌日も続き、行き帰りの船が襲撃されることを想定しての防衛訓練、山中で仲間と逸れた時を想定しての単体行動訓練、こういった土地での食材確保、水分確保の方法などを習い実践する訓練など、様々な訓練が行われた。
数日で人間が変わることはないが、劇的な経験は心に強烈な印象を残す。
決して無意味にはならないだろう。
◇
そして、そして……! だ。
ついにこの時がやってきた。
待ちに待った自由時間である。
照りつける太陽、眩い砂浜、青く輝く海、潮の香りを運ぶ風。
そこに立ち、俺は人を待つ。
「あ、アルベール」
やってきたのは、水着に着替えたお姫さんたちだった。




