80◇強化訓練
三百年、死んでいた者からすると。
生身の身体のいいところと、骨の骸のいいところ、両方をよく知っている。
生身のよさはなんといっても、鮮やかに感じられる世界だ。
骨の時よりも鋭敏な五感は、生者特有の感度があって、大変よい。
あとはやはり、女性と寝台を共に出来るのが素晴らしい。
この一点で、骸骨状態の利点全てを上回るかもしれないほどだ。
そして、そんな骸骨状態のいいところだが。
生身の肉体とは逆に、あらゆる感覚が鈍いところが利点となるだろう。
相反する要素をそれぞれ利点に挙げるのは矛盾のように感じるかもしれないが、違う。
生身の身体で無理をすれば肉体が傷つき痛みを伴うが、死人ならば問題にならない。
骨の身ならば、焼かれようが切断されようが、大して気にならないのだ。
鋭敏な感覚が嬉しい時と、そうでない時があるというだけのこと。
つまり、何が言いたいかと言うと。
「……あっちぃ」
夏の日差しは、生身には辛いということだ。
俺は制服のインナーについているファスナーを下げ、少しでも風を送ろうと手で扇ぐ。
「はしたないですよ、アルベール」
隣を歩く、白銀の髪の美少女が苦言を呈する。
俺たちは現在、朝食を済ませて寮から校舎へと向かっているところだった。
入学時に俺たちを迎えてくれた春の陽気はどこかへ消え去り。
守護竜や墓守や巨人兵と戦っている間に、季節は夏へと移行していた。
「お姫さんはいいよな、制服の胸の部分、空いてるしよ」
聖女の制服には、谷間の部分が見えるような空白地帯が存在するのだ。
「これは元々このようなデザインなのです。……不敬な視線はやめてください」
「汗を掻いたりしないかい? よかったら、ハンカチを貸そうか」
「そのような心遣いは、女性の胸部から視線を外した上で口にすべきでは?」
お姫さんもだんだんと俺に慣れてきたようだ。
赤面しつつも、言いたいことはビシッと言う。
「それにしても、夏ってこんなに暑かったかね」
まるで蒸し焼きにされているような気分だ。
「特に今日は、日差しが強く感じますね」
ふぅ、と吐息を漏らすお姫さんも、よく見れば額に汗を掻いている。
「お姫さんの雪のような美しい肌が焼けてしまわないか、俺は心配だよ。令嬢らしく、日傘でも差したらどうだい?」
「聖女は、淑女である前に聖者です。封印都市で日焼けを恐れるような者に、死者の救済が務まりましょうか」
肌のケアに熱心になるような者は、封印都市内でも普段のクセで同じことが気になってしまうだろう。
そのような思いの挿し込まれる余地は、最初から作らないと言いたいのだろうか。
立派なことだ。
「……まぁ、お姫さんの肌が小麦色になるのは、それはそれで可愛い、か」
頭の中で日焼けしたお姫さんを想像し、俺は頷く。
「だ、誰もそのような話はしていませんっ」
「しかし君の聖騎士としては、夏の日差しからも主を守らねばならないのでは?」
俺の発言に、お姫さんがこちらを上目遣いに見上げた。
「……白い肌が、お好きなのですか?」
「どんな肌の色の女性も好きだとも。ただ、お姫さんのイメージはやっぱり白かなと」
「はぁ」
お姫さんが聞こえよがしに溜息を吐く。
「呆れたかい?」
「貴方らしいと思っただけです」
「お姫さんも、俺のことを分かってきたみたいだな」
「そ、そうですか?」
「あぁ、パートナーとして、だいぶ馴染んできたように思うよ」
「そ、そうですか」
心なし嬉しそうに、お姫さんが呟く。
「アルベール! アストランティア!」
後ろから声が掛かる。
首だけで振り返ると、長い赤髪を馬の尾のように結んだ少女、クフェアちゃんが俺たちに駆け寄ってくるところだった。
その後ろには、青髪ボブのリナムちゃんの姿も。
二人とも胸が大きいので、走ると、たゆんっと揺れる。
「おはようございます、クフェアさん、リナムさん」
「お二人とも、おはようっ、ございますっ」
元気溌剌なクフェアちゃんはともかくとして、リナムちゃんは急なダッシュに息を切らしている。
「おはよう。クフェアちゃんの方は、この暑い中でも元気いっぱいで羨ましいよ」
「何? アルベールって夏が苦手なの?」
「無理やり汗を掻かされる感じがどうもな。運動したり風呂に入ったり、自分の行動で熱くなる分には構わないんだが」
「へぇ~。あ、でも汗については分かるかも」
クフェアちゃんの方もインナーのファスナーを下ろしており、胸の谷間が見えてしまっていた。いや、普段からそうなのだが、いつもより下がっているのだ。
「お姫さん、クフェアちゃんには言わないのかい?」
「……他所様の事情に、安易に踏み入るのは無礼ですよ」
あ、逃げたな。
「何、あたしがどうかしたの?」
「多分、クフェアちゃんの、その、お胸が少し見えていることじゃないかな?」
リナムちゃんが控えめに言う。
「だって、暑いんだもの」
「だよなぁ。聖騎士の制服は、キチッとしてて熱がこもるんだよ」
俺はクフェアちゃんに同調しながら、いつもよりも露出している彼女の胸部に視線を遣る。
それに気づいたクフェアちゃんは赤面し、ファスナーを少しだけ上げた。
「や、やっぱり少し、はしたなかったかも!」
「なにやら、女性の胸部に尋常ならざる関心を抱く殿方もいるようですので、お気をつけください」
お姫さんの声に棘を感じる。
「いや、今のは、周囲にどう見られるかを、クフェアちゃんに理解してもらう為に敢えてだな……」
「はいはい、ありがとね! 充分分かったから、気をつけるわよ!」
俺の誤魔化しは、顔を赤くしたクフェアちゃんに流されてしまう。
そんなこんなで、登校の時間も流れていき。
教室での朝礼の時間がやってくる。
教官が入ってきて、連絡事項が伝えられた。
男の教官なので、普段は話を右から左に聞き流すところなのだが。
今日は一つ、耳に留まる情報があった。
「二週間後より、強化訓練が実施される。一年生諸姉にとっては、初めてのことだろう。これは封印都市内での戦いを想定した環境に身を置き、校内では得られない経験を積むことを目的としたものだ」
封印都市は基本的には廃都市だ。
朽ちてるとはいえ、市街戦の訓練を積めば、それを活かすことが可能。
だが、そういった訓練が役に立たない封印都市も存在する。
『世界樹の汚泥』がいるのは森、『隻翼の大天使』がいるのはは切り立った崖の上に築かれた丘上都市、『無声の人魚姫』がいるのは島だ。
討伐済みではあるが、『天庭の祈祷師』がいたのは鉱山だった。
特殊な環境に急に放り込まれては、平時の実力は発揮できない。
故に、そういった環境に馴染めるように遠出してでも行うのが、強化訓練なのだろう。
そこまでなら、聞き逃していたかもしれない。
だが肝心なのは、今年選ばれた環境だ。
「今年の一年生には、『無声の人魚姫』戦を想定し、島での戦闘訓練を積んでもらう」
つまり、夏の島に行くわけだ。
人魚姫というくらいだから、生息するのは水辺だろう。
おそらく島内の探索訓練もあるだろうが、浜辺での訓練が重視されるのではないか。
「教官! 一つお尋ねしてもよろしいでしょうか」
俺は堪えきれず、声を上げてしまった。
「あ、あぁ、聖騎士アルベール。何かね?」
突然の出来事に気圧されつつも、教官は頷く。
「聖者たるもの、常在戦場を胸に行動すべきと理解してはいますが、この酷暑の中では時に休息も必要と考えます」
「う、うむ。つまり?」
「強化訓練期間中に、自由時間はありますでしょうか!」
俺の問いに、教室中がぽかーんとする。
「帰りの船が来るまで内陸に戻ることは出来んが、島内での自由時間はとる予定だ」
俺は心の中で拳を強く握る。
「ありがとうございます! 質問は以上です!」
「そ、そうか。では話を戻すが――」
戸惑った様子を見せつつ、教官が説明を続ける。
お姫さんが「何をしているのですか」みたいな目で俺を見ていた。
俺は彼女の耳許に口を寄せ、囁く。
「お姫さん、水着は持ってるかい?」
夏、島、海とくれば海水浴しかない。
三百年前は、地元から海が遠かったので経験したことがなかったが、噂だけは聞いていた。
夏の海には、下着同然の布を纏った美女が集い、海を楽しむのだと。
聖女たちが訓練に向かう場所も、何も無人島ではないだろう。
つまり現地の美女たちとの出逢いが、俺を待っているわけだ。
素晴らしいじゃないか、強化訓練。
よいところもあるじゃないか、夏よ。




