76◇片腕の巨人兵
その巨人の赤子は、捨て子だった。
いつ誰が産んだかも、いつ捨てたかも定かではない。
ただ、森に、まるで最初から置いてあったかのように、捨てられていた。
それを、森で静かに暮らしていた、魔法使いの女性が発見し。
我が子として育てることにした。
赤子の時点で、人間である女性よりもよっぽど大きかったが。
最初から片腕を持たずして生まれたと思しき、その巨人の子を。
女性は受け入れたのだ。
『フィリム』
女性が自分につけた名は、物心つく頃には馴染み。
己から見て小人であるその女性を、フィリムは母だと認識していた。
母はフィリムに、人間社会で生きる術を教えてくれた。
勝手に人里に降りてはいけない。
フィリムの大きな体を、人々は怖がってしまうものだから。
人や、人の作ったものに触れる時には、許可を得た上で細心の注意を払わねばならない。
フィリムの力では、触れただけでそれらを傷つけてしまうかもしれないから。
駄々をこねる子供時代のフィリムに、母は根気よく付き合ってくれた。
遊び相手になってくれたし、ご飯を作ってくれたし、眠れない夜は話をしてくれた。
母がいなければ、フィリムは野垂れ死んでいたか、生き抜いたとしても獣のように暮らし、やがて聖騎士に魔獣として討伐されていただろう。
ある時、森で遊んでいると。
母以外の人間の声が聞こえた。
どうやら、人間の子供たちが、人間の集団に連れ去られようとしているようだった。
フィリムは焦り、迷ったが、母を見ると『どうしたいですか?』と問われる。
『た、たすけたい』
『何故?』
『か、母さんなら、そうすると思うから』
『まぁ』
フィリムの答えに、母は照れたように笑う。
『では、助けましょう。ですがフィリム、あまり期待しすぎないように』
『期待?』
『誰かを助けたからといって、感謝してくれるとは限りませんから』
『う、うん』
フィリムは母の教えを守り、細心の注意を払って人攫いたちをつまみ上げ、大怪我しない程度にポイッと放る。
木の陰に逃げようとした者たちは、母が魔法でやっつけてくれた。
悪者たちが悲鳴のように『化け物!』と口にしたのは傷ついたが、子供たちは助けることができた。
そして、無事救出した子供たちは、フィリムを見て――目を輝かせた。
『おっきー!』『助けてくれたの?』『かっこよかった!』
フィリムの不安に反し、子供たちは巨人を受け入れてくれた。
生まれて始めて友達が出来た日。
喜ぶフィリムだったが、自分を見守る母の笑顔に翳が差している理由には、気づけなかった。
最初はよかったのだ。
子供たちはフィリムの家の近くまでやってきて、一緒に遊んでくれるようになった。
けれど、それも長くは続かなかった。
子供たちの親が『危ないからダメだ』と言ったらしく、友達は来なくなってしまった。
親に言われたことを伝えに来てくれた友人が、申し訳なさそうに去ったあと。
フィリムは膝を抱えて、涙を流した。
『なんで……俺、友達を傷つけたりなんか、しない』
魔法で浮いた母が、そっと頭を撫でてくれる。
『人間はね、己と違うものに恐怖を感じ、排斥しようとするものなのです。その傾向は、大人になっていくほどに強くなっていく。子供の頃は自由だった心は、成長と引き換えに臆病になっていくのですよ』
『人間は、大人になると、みんな俺を怖がるってこと?』
『そうですね。己とあまりに「違う」ものを、人は理解できません。己より優れているもの、己より美しい者、己より強い者、己より賢い者、己より大きい者。それらは、ある程度ならば尊敬の対象となりますが、行き過ぎると恐怖の対象に変わります』
『なんで?』
『生存の為の機能なのでしょうね。鋭い牙を持つ獰猛な獣を前にして、恐怖を感じられなければどうなるか。普通の人間ならば、死にます。恐怖を感じる機能を有したことで、逃走であったり、対策を講じた上での戦闘であったり、そもそも獣の生息域に近づかないといった対応が可能となります』
『俺、獣と同じってこと?』
『まさか。貴方の本質は、優しい子ですよ。けれど人に見えるのは表面的なものです』
自分より美しい者は、自分を醜いと見下しているかもしれない。
自分より賢い者は、自分を愚かだと見下して騙すかもしれない。
自分より強い者は、自分を弱者だと見下して暴力を振るうかもしれない。
それらは、実行に移されるまでは被害妄想だが、現実に起こり得ることでもある。
『貴方の巨大な体で自分や大切な人、大切なものが破壊されてしまうかもしれない。この恐怖に、ほとんどの者は抗えないのです。人と違うというのは、そういう恐怖の視線の中を生きるということなのですよ』
母の声が寂しげだったので、フィリムは顔を上げて彼女の顔を確認する。
『……だから、母さんも一人で暮らしてたの?』
森の中、一人で。
『ふふ。えぇ、そうですよ。貴方の母はこの通り、美しく賢く勤勉な上にお料理も出来て、おまけに魔法使いとしての才能が群を抜いていますからね。それはもう凡俗から嫉妬されて大変でした』
『……じゃあ、母さんも、今の俺みたいに、悲しかった?』
『……そんな日も、あったかもしれませんね。でももう気にしてません。だって一人でいたから、可愛い坊やに逢えたんですもの』
そう言って、母はフィリムの額に唇を寄せた。
『母は強いので一人でも平気でしたが、フィリムが人と関わりたいのなら――諦めないことです』
『……諦めない?』
『はい。人は誰しも、最初は表面的な情報で他者を判断します。それは仕方がない。なので、自分の中身は怖くないですよと、貴方が証明すれば、もしかしすると、最初の判断を覆せるかもしれません』
『また、友達と遊べるかもしれないってこと?』
『えぇ。それほどの価値が、人にあるならばですが』
『お、俺、他のみんなと、仲良くしたい』
『あら、母一人では不満ですか?』
『う』
『ふふふ、冗談ですよ。巨人の貴方にとっても、きっと世界はとても広い。我が子が羽ばたきたがっているのに、それを邪魔する親にはなりたくありませんからね』
それから母とフィリムは、人々に受け入れてもらえるよう努力した。
近隣の村には挨拶に行き、しっかりと意思疎通や力の加減ができることを説明。
魔獣被害があれば討伐し、悪人が現れれば退治し、村の開墾を手伝い、川が決壊しそうならば大岩を運んで堰き止め、土砂崩れで道が塞がれればこれを除去した。
そして気づけば、フィリムに恐怖の視線を向ける者はいなくなっていた。
それどころか、フィリムの元へ王国軍がやってきて、国の為に働いてくれないかと頼みに来たほどだった。
母は難色を示したが、フィリムは人間が大好きで、自分の国の人々を守れる仕事につけるのなら、それは素晴らしいことだと思った。
そして、やがてフィリムは、母と暮らしていた森に最も近い街から名をとって、『トリスリミガンテの巨人兵』として国中に名を轟かせるまでに至った。
人とどれだけ違っても。中身を受け入れてもらえるまで諦めなければ、仲良くなることができる。母の言っていたことは正しかったのだ。
フィリムは幸せだった。
彼が配置された砦の防衛線では、侵攻する敵兵を殺めねばならない場面もあったが。
街に戻った時、民や友人や母の笑顔を見れば、報われた気持ちになった。
街には、小さい頃からの友人も、森から移り住んできた母も、軍の仲間もいる。
彼ら彼女らを守る為、今後も頑張って生きていこう。
どんな敵が、襲って来たとしても。
まさか、愛する街の住人たちこそが、その敵になる日が来るなんて、思いもしなかった。
ある日のこと。
なんてことはない、休みの日だと思っていたのに。
気づけば悲鳴と呻き声が、あちこちから響いてきた。
『「動く死者」!? ですがこの感染速度は異常です! このまま行けば、街中が死者で満ちるのにそう時間はかからないでしょう!』
母が叫んでいる。
それはつまり、放っておけば、街中の人が死んでしまうということで。
『フィリム! 街から脱出しますよ!』
フィリムは母を肩に載せ、休日ということで逢っていた何人かの友人を手に抱え、街の外へと向かう。
門を飛び越え、しばらく行ったところで、みんなを下ろす。
『フィリム? 何をやっているのですか?』
『お、俺、戻らないと』
『……いけません。通常の魔獣や敵兵とは違います。転化の呪いは、貴方を死者に変えてしまう。そんなこと、許しませんからね』
『俺の大きな体なら、沢山の人を街の外に逃がすことができると思う』
『ダメです!』
『でも、母さん。俺、みんなを助けたい』
『……。な、ならば母も共に――』
『ううん。母さんは、俺の大事な友達を守ってほしいんだ』
空を飛べる母と違って、街に戻れば、自分は噛まれて転化してしまう。
ただでさえ親不孝なことをしようとしているのに、親の前で死ぬなんてことは出来ない。
『……いい子に、育てすぎてしまったかもしれませんね』
一度俯いた母は、顔を上げて微笑む。その瞳は潤んでいた。
『ごめん』
『謝ることなどありませんよ。立派な息子を持てて、母は誇らしいです。ですが、一つ約束してください』
『約束?』
『はい。必ず、無事に帰ってくるのですよ』
きっと、無理だ。
『……うん』
だが頷かないことには、送り出してもらえないことも分かっていた。
『よろしい。では、行ってらっしゃい。私の坊や』
友人たちを見る。
『フィリム! 絶対にまた逢おうね』『お、俺の父さんと母さんがまだ街の中にいるんだ!』『他の奴らも、お前がいれば大丈夫だよな?』『フィリムも一緒に逃げよう?』
『大丈夫。また逢えるし、他のみんなも助けるよ』
その後、フィリムは街に戻り、多くの市民を外へと逃がした。
だが、その間に彼の足には無数の噛み跡が刻まれ、確実に呪いは注ぎ込まれていた。
祝福に呑まれ、幸福で思考が満たされたフィリムは、ある気づきを得た。
なんだ、自分は死んだのではない。死ななくなったのだ。
これなら、母さんともみんなとも再会できる!
最早、街の中に形骸種以外いなくなったあと。
フィリムは不思議でならなかった。
もう街は平和になったのだから、みんなが戻ってきてもよいのではないか?
迎えに行こうにも、不可視の壁のようなものが出来ていて、外に出られない。
何故?
なんで、母さんも、みんなも、こんな平和な街に、帰ってきてくれないのだろう。
そして、フィリムは気づく。
街の中に、侵入者の姿があった。
それは泥棒であったり、聖騎士の服を来た人間であったり、聖女の魔法を使う人間であったりした。
特に聖騎士と聖女はひどい人たちで、街の人間を殺して回る極悪人だった。
なんてひどいことをするのだろう。
みんな、自分を受け入れてくれた善良な人々なのに、折角永遠を手に入れたのに、殺してしまうなんて。
フィリムは思った。
そうか! こんな悪い人たちがいるから、母さんたちは戻ってこれないんだ。
――平和にしなければ!
フィリムは悪者を見つけ出し、退治し、見つけ出し、退治し、見つけ出し、退治した。
どれだけやってもキリがなく、うんざりしそうになったが、愛する者たちとの再会の約束の為、頑張って退治し続けた。
いつしか、悪者を探す手間を省くかのように、敵の位置が分かるようになった。
そうしてフィリムは、悪者たちを倒し続けた。
街の平和を取り戻し、約束を果たす為に。
あぁ、なのに。
自分が、倒されてしまうなんて。




