71◇黄金郷の墓守・前
俺と墓守の戦いに決着がつくかと思われた、その時。
巨人兵が『天聖剣・大狐の剃刀』を使用し、両者の聖女を襲った。
互いに己の聖女を庇うことには成功したが、墓守の方は瀕死の重傷を負う。
この重傷というのは人としてだけではなく、形骸種としてもだ。
首を断たれることで二度目の死を迎える動く死者にとって、首の半分が斬られているのはまずい。
このまま墓守が死ねば、やつの保有する二つの特殊能力が巨人兵に渡ってしまう。
――ならば、やることは一つ。
そうなる前に、俺がやつを殺すしかない。
俺はお姫さんを横抱きにして、墓守とネモフィラの許へ駆けつける。
墓守はなんとか首を押さえているが、既に膨大な血が流れ出していた。
その血で聖女の制服を染めつつあるネモフィラは、俺たちが来ても墓守から目を離さなかった。俺達の存在に気づいてさえいないかもしれない。
「……なんて、なんて愚かな形骸種なの」
嘲るような言葉だが、その声は震えている。
「……も、申し訳ございません」
「身を挺して私を守れば、あ、あの人を殺したことが、許されるとでも?」
『黄金郷の墓守』はネモフィラちゃんの聖騎士を殺した張本人。
彼女は何よりも、己に忠誠を誓う十二形骸をこそ殺したいと願っていた。
己の屋敷に俺やお姫さんたちを招き、墓守を始末するよう頼んできたほどだ。
「いいえ、姫。私は、ただ……」
「知らなかったようですから、教えて差し上げます。私は、アルベール様たちに貴方の討伐を依頼していたのですよ。貴方のことなど、捨て駒程度にしか考えていなかった。そのような女を護って死ぬなんて、馬鹿げている」
少女は、どうにかして墓守に自分を恨ませようとしているようだった。嫌われ、自分を守ったことは間違いだったと思わせたいようだった。
墓守は、綻ぶように笑う。
「……存じております」
その笑顔に、ネモフィラちゃんの動揺が強まる。
「――な、にを……。しっ、知っていたのなら、何故こんな……」
「私は、かつて一度、姫を裏切りました。ですから、次の機会が与えられたその時には、最期までその御心に従うと決めていたのです」
「私は貴方の姫じゃない!」
ネモフィラちゃんが叫ぶ。
「それに、貴方も私の聖騎士じゃない! 分かっているでしょう!? 私の聖騎士は、貴方が殺したのだから!」
「……はい」
「私だって敵として殺すつもりだったのでしょう! そうすればよかったのに! 貴方が私を殺さなかった所為で! 私に仕えるなんて言い出した所為で! 私はあの人の仇と一緒に戦うことになってしまった!」
この状況に至ったことで、ようやく、ネモフィラは感情を表に出せるようになったのだ。
大事な相棒を殺した形骸種と組めと本家に言われ、立場からそれを断ることもできなかったネモフィラは、感情を殺すことでしかここまで生きられなかったのだ。
今、そんな相棒の仇に命を救われたことで、彼女の心は再び掻き乱されてしまった。
「申し訳、ございません……」
堰き止めていた感情が決壊するように、彼女の瞳から涙が溢れる。
「何故、醜く息絶えてくれないの。あのまま、アルベール様に討伐されればよかったのに!」
「――はい、そのつもりです」
そして彼女はようやく、俺とお姫さんが近くに立っていることに気づく。
「ネモフィラちゃん。そいつが死ぬまで、まだ少しある。だから、間に合うんだ」
「アルベール、様……」
俺は墓守へと視線を移す。
「なぁ、さっきの、俺の勝ちでいいよな」
墓守が真っ青な顔で、それでもふっと笑う。
「……あぁ」
ならば、死にかけの者から能力を奪うのではない。
俺は、勝ち取るのだ。
こいつとしても、巨人兵に力を奪われるよりは、ずっといいだろう。
「アルベール……」
お姫さんが俺の袖をそっと引く。
彼女も墓守を殺さねばならないことは理解している筈だ。
だが、人の姿をし、己の聖女を護った者の首を刎ねるというのは、確かに精神的な負担が大きいだろう。それをやるのが、己の聖騎士ならばなおさら。
「見ていなくてもいいんだ」
お姫さんは一瞬だけ表情を歪め、首を横に振る。
「……いいえ、共に背負います」
「そうか」
剣を振り上げ、墓守を見る。
「……姫を頼む」
こいつは、そもそもが幾人もの聖者を敵として殺してきた十二形骸であり。
とっくに正常を失ってしまった男で。
今を生きる少女を、かつての主と同一視して仕えようとする、いつ暴走してもおかしくない危険因子だったが。
己の主を救った事実だけは、聖騎士として評価してやるべきだろう。
「おう」
承諾し、刃を振り下ろす。
「感謝する、『骨骸の剣聖』」
そして、三百年の時を越えて人の身を取り戻した墓守は、俺に首を断たれて死んだ。
直後、俺の視界が切り替わる。
「――――」
守護竜エクトルの時にもあったが、今回もそうなるのか。
つまり、殺した十二形骸の記憶を、覗き見ることになるのだろう。
◇
『セオ! もうっ、聞いているの?』
目の前に、ネモフィラが座っている。
いや、違う。そんな筈はない。これは、三百年前の記憶なのだから。
それに、ネモフィラと比べると、感情表現がやや大きい。
加えて、この子はまだ十五にもなっていないだろう。
だから、そう。
この子は彼女の先祖であり、墓守が生前仕えていた少女であって、ネモフィラではない。
それにしても、あまりに似ている。
まさに生き写しだ。
俺……いや、『黄金郷の墓守』は、主のイクセリスと馬車に乗っていた。
記憶の追体験はまるで己の過去を思い出すような感覚で進むので、集中していないと自分を保つのが難しい。
『申し訳ございません、姫』
『何か考え事?』
『いえ……』
本当は、この時、騎士セオフィラスは落ち込んでいた。
主のイクセリスの婚約が決まったからだ。
主を密かに慕っていたセオフィラスにとって、それは辛い決定だった。
そして、やつの主にとっても。
『はぁああああ、結婚なんて嫌だわ』
彼女が大きな溜息を共に愚痴をこぼす。
『……良い縁談かと思いますが』
心の内では同じ思いだったが、立場上同調するわけにもいかず、セオフィラスは言う。
『親子ほどの年の差があるのよ!?』
確かに、イクセリスの婚約相手は彼女の父と同年代の男で、それも彼女は側室として迎えられる予定だった。
だが、貴族の婚姻とは家同士の縁を強化する為のものという側面が強い。
こういうことは珍しくなかったし、騎士風情が異を唱えることなど許されない。
『はぁ……なんで好きでもない相手と結婚しないといけないのかしら』
『貴族の方は、お家同士の結びつきを重要視されますから』
『わかってるわよ。それがお父様の、ひいてはこの領地の為になるとの判断なのよね。しっかりと分かってます。でも嫌なものは嫌なの』
ふてくされたように窓の外を眺めていたイクセリスが、ふとこちらを見上げる。
その瞳は水気を帯びており、その視線と表情には期待と不安が同量滲んでいた。
『ね、ねぇ、セオ?』
『はい、姫』
『も、もし、ね。私が、その、結婚なんて、どうしても嫌で。その、貴方に、助けてって言ったら……一緒に逃げてくれる?』
それはほとんど、愛の告白だった。
耳まで真っ赤にして、上擦る声で、貴方といたいのだと遠回しに言われたのだ。
セオフィラスは、この時の自分の判断を、その後三百年以上も悔やむことになる。
『……そのようなことを、申されてはなりません』
配下として、仕える家を裏切ることはできない。
それに、自分などと逃げることが彼女の幸福に繋がるとも到底思えなかった。
やつの判断は、部下としては最善のものだったのだろう。
だが男としては、間違いなく最低で。
イクセリスの心を深く傷つけてしまったのは、言うまでもなかった。
『……そう。そう、よね。ご、ごめんなさい。変なこと言って』
彼女は込み上げる涙をセオフィラスには見せぬようにと、再び窓の外へ視線を向ける。
敬愛する主が洟を啜る音に、セオフィラスは何も言うことができず。
この出来事をきっかけに、イクセリスの心に闇が広がっていくことになる。




