60◇剣聖と嵐の獣
クフェアちゃんとセルラータちゃんの美少女二人に詰め寄られた俺。
どちらとの約束を優先するのかという、どう答えても問題が残りそうな問いに対し、俺が出した答えは――シンプル。
先に話が出た方、つまりセルラータちゃんとの模擬戦を優先するというものだ。
ここで重要なのは、さりげなく要素をすり替えているということ。
クフェアちゃんとセルラータちゃん、二人の問いには『自分か相手のどちらを優先するのか』という疑問が含まれていた。
だが俺はこれを『先にした約束と、後にした約束のどちらを優先するのか』という形に変換し、それに対して答えたのだ。
それで不満が解消されるわけではないだろうが、最終的にクフェアちゃんは納得してくれた。
先約を無視してまで自分を優先しろなんて理屈は、彼女からは出てこまい。
こうして俺は難局を乗り越えた。
とはいえ、クフェアちゃんは俺が答えを逃げたことまで把握した上で見逃してくれただけ、ということも承知している。
一緒に出かけた際には、機嫌を直してもらうために力を尽くすとしよう。
そして、先に行われることになったセルラータちゃんとの模擬戦。
これは彼女の相棒であるユリオプスちゃんの意見もあり、聖者として戦うことになった。
というわけで、こちらもお姫さんの参戦だ。
放課後に屋外の訓練場で双方向かい合う。
学内最優秀の十二組『色彩』を務める、『黄褐』と『雪白』がぶつかるわけだ。
今回の審判は、ひょっこり現れたマイラが引き受けてくれた。
少し離れたところでオルレアちゃんも見ており、お姫さんは少し緊張した様子だ。
「いつも通りにやれば大丈夫さ」
「は、はいっ」
俺の言葉に彼女は頷くが、まだ固さが残っている。それだけ姉の視線が彼女にとって大きなものなのだろう。
まぁ、戦いが始まれば、観戦者を気にする余裕もなくなる筈だ。
「討伐数一位の実力、楽しみにしてるぜ」
セルラータちゃんが黒の長髪を揺らし、ギザ歯を覗かせながら獰猛に笑う。
闘志ギラつく赤目は鋭く、彼女の風貌と相まって野生の獣を思わせた。
そのパートナーである銀髪のユリオプスちゃんは静謐な闘気を湛えており、さながら孤狼のよう。
セルラータちゃんが二刀流で、聖女であるユリオプスちゃんも一振りの剣を抜く。
模擬戦ということで、俺も含めてみんな木剣だが。
「お姫さん、防護を頼むよ」
「はい」
そして。
マイラが片手を上げ、下ろす。
「始め!」
その言葉を合図に、三人が動き出した。
俺と、『黄褐』の二人だ。
セルラータちゃんの姿勢が異様に低い。まるで四足獣だ。そして放たれる剣閃。地を這うかのように迫る一対の刃は、甲虫が大顎を閉じるかのよう。
聖女の『身体強化』によって苛烈さを増した一撃は、お姫さんの防護を越えて俺の足首から下を圧し折らん勢いだ。
俺は真後ろではなく、左に跳ねるようにして回避。
自分から見て右側にユリオプスちゃんがいたので、そちらからも距離をとる動きだ。
ユリオプスちゃんもそれを読んでいたのか、滞空中の俺に向かって鋭い突きが飛んできた。
これを弾くのは可能だが、そうすると続くセルラータちゃんの追撃への対処が面倒になる。かといって両足が地面から離れている状態で選択肢などほとんどない。
ならばと、俺は突きの軌道を見極め、それを――掴んで引っ張った。
「――――ッ」
ユリオプスちゃんが目を見開いた。
これは木剣による模擬戦で、かつ――俺もお姫さんの『身体防護』の加護を受けている。
ダメージを防いでくれる光の粒子を纏った右手は、鋭い突きを止めることに成功。
俺は着地し、引っ張られたことで体勢が流れているユリオプスちゃんと至近距離で一瞬見つめ合ったあと、微笑みながら彼女を聖騎士の許へ押し出した。
「っ」
これでセルラータちゃんは彼女を迂回するだろう。
右か左、どちらの場合でも対処できる。
「足を畳みな」
短い命令は少女の声、そしてユリオプスちゃんはそれに即応。
俺に押されて僅かに浮いていたユリオプスちゃんは瞬時に己の膝を畳んで胸まで持ち上げ、そこに生じた空隙を、黒髪の獣が駆け抜ける。
――最短距離で来たか!
再び迫る顎門に対し、こちらも無策だったわけではない。
その軌道上に、俺は二本の杭を打ち込んだ。
己の木剣と――先刻ユリオプスちゃんから奪っておいた木剣だ。
セルラータちゃんの振りに勢いが乗る直前、地面に剣を刺し込むことで、彼女の攻撃を阻み――ガラ空きとなった頭部を踏み潰そうとし、寸前で中止する。
彼女は防がれると理解した瞬間には己の剣から手を離し、地面に両手をつきながらまるで前転するように体を流し、俺が杭のように刺した二本の剣の間に己の体を通しながら、足が天を向いた少しあと、俺の顎を撃ち抜く軌道に達したその時、折りたたまれた両腕の力を解放したのだ。
判断が一瞬遅ければ食らっていただろう。
俺は木剣一振りを引き抜きながら右に跳ねた。
セルラータちゃんは俺の横を通り抜けていくかに思えたが、違った。
俺の残した方の木剣を掴み、空中で体勢を変え、剣の腹に着地。
そのまま剣を足場に跳躍しながら地面から抜き放ち、俺に斬りかかってきた。
「ははっ、いいね」
なんという身体制御と胆力。
「そっちもなぁ!」
歯を剥き出しにして迫る彼女は、戦いへの興奮からか頬を紅潮させている。
あぁ、分かるぜ。
自分が何をしても戦いが続くってのは、まぁまぁに厄介で、それ以上に愉快だよな。
それが敵ならぶっ殺して終いだが、仲間ならば何度でも戦える。
だからって負けていいわけじゃない。
そういう奴に勝ってこそ、自分がどこまで強くなれたのか知ることができる。
迫る彼女の振り下ろしを迎え撃つ。
渾身の振り上げによって、彼女の木剣が半ばから消し飛ぶようにして折れ散った。
右腕が跳ね上がった状態で未だ滞空中の彼女は、こちらから見れば隙だらけ。
一秒。
違う。それを更に十に分割した内の一つ。それくらい、僅かな時間。
俺は追撃へ傾きつつあった意識を切り替え、己の体を守るように剣を構えた。
そこに剣戟はやってきた。
何も持っていなかった筈のセルラータちゃんの左腕には無事な木剣が握られており、それが横薙ぎに振るわれたのだ。
防御は間に合ったが受け方が良くなかった。
俺の体は無事だが、木剣が耐えられず半ばから折れてしまったのだ。
――ちっ。
気づくのがあと十分の一秒早かったら、木剣が折れずに済んだ筈だ。
急に彼女の左手に木剣が出現した理由は、単純明快。
ユリオプスちゃんが投擲し、これをセルラータちゃんが掴んだというだけ。
だが、その結果を成立させるまでの細やかな動きが見事だった。
ユリオプスちゃんは、セルラータちゃんの体によって生まれた俺の死角に綺麗に滑り込み、己の動きをギリギリまで秘匿。
そして絶妙なタイミングで、相棒の左手の握りに合うよう、寸分のズレもなく得物を投げ渡したのだ。
それを振り向きもせずさも最初から握っていたかのように振るうセルラータちゃんも見事。
この二人の間には、それを可能とする積み重ねがあるのだ。
ここまで呼吸が合っているのは素晴らしい。修練と絆の賜物だろう。
出逢って一年も経っていない俺とお姫さんには到底真似できない芸当だ。
実に素晴らしい。
セルラータちゃんが右手に掴んでいた折れた木剣を捨て、そこへ無傷の木剣が収まる。これもユリオプスちゃんが投げたのだろう。
これでユリオプスちゃんは得物を失ったことになる。
己が木剣を持ち続けるよりも、セルラータちゃんの二刀流を復活させた方が勝利に近いという判断か。
自身にもプライドがあるだろうに……。
良い。実に良いコンビだ。
執着よりも勝利を選べるとは、俺の好きなタイプの戦士だ。
セルラータちゃんの二刀が俺を襲う。
俺は即座に長さが半分になった木剣を逆手に構え直し、これを捌く。
片手剣ではなくナイフのように運用し、敵の攻撃を弾くわけだ。
双剣使いになれば、単純に手数が二倍。
剣を持ってすぐのガキが、憧れそうな理屈だ。
出来りゃあそりゃいいが、両手で同時に文字が書ければ書類仕事の効率が二倍になる、なんてのと同じくらいの戯言だ。
手数を二倍にするなら、その手数を考えられるだけの頭と、それについてくる肉体が必要になる。
「楽しいなぁ、アルベール!」
セルラータちゃんの全身が躍動している。
見惚れるほどの筋肉がついた褐色の肉体は、それだけではなくよくしなった。
鞭のような軌道を描く腕と、その先についている木剣。
一撃一撃が鋭く、重く、早く、そしてとてつもなく、伸びやかだ。
そして双剣故に、絶え間ない。
更に、右左の二択ではないのだ。
右上左上右横左横右下左下、突きもあれば左右揃って一方向から斬撃を重ねることもあり、そこには当然細やかな軌道の変化も挟み込まれる。
目まぐるしい、一瞬が流れる間にどれだけ剣を弾かねばならないのか。
カッカッカッと、うんざりするほど木剣の弾く音が鼓膜を連打する。
名も知らぬ聖女ちゃんが、セルラータちゃんをこう評していた。
嵐のよう、と。
荒れ狂う風の如き、破壊の剣閃。
聖女の『身体防護』を信じた強気の攻め、『身体強化』の恩恵を存分に受けた見た目以上の攻撃力、まさにこの時代こその強者。
学内最優秀の十二組の名は、伊達ではない。
「ははは! どれだけ見えてるんだ、アルベール!」
セルラータちゃんの興奮が最高潮に達している。
「全て見えているとも」
ちょうどいい。
瞬間、俺は彼女の右の一撃を木剣で弾き、左の一撃を肘で弾く。
「うぉっ」
『身体防護』も有限なので無闇に利用は出来ないが、要所では不可視の盾のように扱えるのだ。
この戦いで俺がそのような運用をするのは初めてだったからか、セルラータちゃんは一瞬だけ意外そうな声を上げる。
俺はそのまま彼女の懐に飛び込んだ。
「そりゃあ甘いんじゃねぇのか!」
彼女は両肩をグンッと下げ、左右両方の木剣による突きを放った。
狙うは俺の両目だ。
『金色』パルストリスちゃん&オージアスペアと、入学試験で戦った時。
俺は知った。
『身体防護』は淡い光の粒子を纏うようなものであり、故に瞳に被せるようなことはしないのだと。普通に、光って邪魔だからだ。
聖者ならば誰でもすぐに気づくことだが、だからこそ対聖者戦における弱点でもある。
そこだけは、急所のままなのだ。
だから、セルラータちゃんの判断は正しい。
防護頼りの強行突破を許さない、急所狙い。
避けても防いでも俺の動きはワンテンポ遅れ、もはや最善ではなくなる。
だから避けない。
「んなっ!?」
こればかりは、セルラータちゃんの虚を突くことが出来たようだ。
俺の視界上に展開された淡い光が、彼女の双剣による突きを弾くことで相殺され、消えゆく。
晴れた視界に映るのは、防護による予想外の衝撃に剣を跳ね上げるセルラータちゃん。
その頃には、俺の折れた木剣が、彼女の首筋に添えられていた。




