53◇嫉妬と感謝
鋭い刺突が迫る。
首を傾けるだけで回避できそうだが、直感がそれでは足りぬと告げた。
咄嗟に後退すると、一瞬前まで俺の喉笛があった箇所を剣が裂いた。
なるほど、俺の回避行動込みで予定された、刺突からの横薙ぎまでが狙いだったのか。
しかしやや強引な攻撃だった為、身体が流れてしまっている。
俺は彼女の左腕を掴んで軽く引っ張り、前のめりになったところで足払い。
転倒した彼女の首元に、木剣を当てた。
「ま、参りました」
赤髪のツンデレ娘クフェアちゃんは、悔しげに降参する。
木剣を握っていない左手を彼女に差し出し、立ち上がるのを手伝う。
「最後の一撃は、面白かったよ」
「いつも軽く避けられるから、それを利用しようと思ったんだけど」
相手が必ず最小の動きで回避行動をとるのなら、それを利用して二撃目を用意しておく、というのはシンプルながら有効な手だ。
「通じる相手もいるだろうな。ただ課題もある」
「うん、二撃目に意識が行き過ぎて、そのあとの動きが疎かになっていたわ」
「そうだな。今のままだと、決まらなかった場合がまずい」
「常に次の動きに繋がるようにしつつ、相手の裏も掻けるようにしないと……」
放課後、学園敷地内の屋外訓練場。
以前はクフェアちゃんとの訓練は主に孤児院の庭で行っていたのだが、新たな班メンバーが加わったことで、学園内でやることに。
元いじめっ子ちゃんことアグリモニアちゃんは、聖女なのでお姫さんやリナムちゃんと共に鍛錬している。
見える位置にいるが、そう空気は悪くなさそうだ。
さすがにまだ馴染んでいるとまでは言えないが、時間の問題だろう。
中性的な容姿のクールな美人聖騎士ヒペリカムちゃんは、俺とクフェアちゃんの模擬戦を見学中。
「もう一本いいかしら、アルベール」
「あぁ」
少し距離を空け、再び模擬戦を開始。
果敢に攻め立ててくるクフェアちゃんを、適宜捌いていく。
彼女はどちらかというと感覚派だが、動きの言語化も得意だ。
感覚で導き出した動きを訓練で試し、結果と言語化を経て改良を加えるということを繰り返すことで、糧とする。
「ところで、アルベールっ」
剣を交わしながら、クフェアちゃんが話しかけてくる。
これも訓練の一環だ。
目の前の戦いに集中すると言えば聞こえはいいが、それはつまり周りが見えなくなるということ。
集中しすぎて気づけばゾンビに囲まれていたなんて状況になったら笑えないので、戦いに意識を向けながら周囲の警戒も怠らないのが最善。
戦闘中の警戒を聖女に丸投げするペアもいるだろうが、聖騎士も出来るに越したことはない。
戦いと会話どちらも同程度に集中できれば、戦いと警戒にも意識を上手く分散させられるという話。
その為の、初歩の訓練だ。
「なんだ、クフェアちゃん」
本当に戦闘と会話両方をこなせるのか試す為にも、少しこちらから攻める。
彼女の剣を強引に弾き、それが引き戻されるよりも早く振り下ろしを放つ。
クフェアちゃんは弾かれた勢いを利用するように俺から距離をとり、見事回避してみせた。
「この前、エーデル母さんと街中で逢ったそ、う、ね!」
再度接近してきた彼女からの三連撃。
カンカンカンと、木剣同士が打ち鳴らされる音を響かせながら、クフェアちゃんがなんだか不満げな声で言う。
「そうだな」
「何を話したわけ?」
「エーデルサンから聞かなかったのか?」
「あんたと逢ったことは聞いたけど、詳しくは」
「そうか」
「でも、その日……母さん、あたしとリナムに、昔の話をしてくれたわ」
剣は素早く動いているが、彼女は沈痛な面持ち。
どうやらエーデルは、己が聖騎士を失った時の話を二人にしたようだ。
「それで?」
「聖騎士を失ったのは悲しいことだけれど、あたしは母さんが生きててくれて嬉しかったし、その聖騎士には感謝しないといけないって思ったわ」
「それを、エーデルサンには?」
「伝えたわよ。けど、あたしたちが何か言うより先に、吹っ切れてるみたいだったわ!」
「へぇ」
「それで、改めてあたしたちのことを心配してるって伝えてくれて。みんなを悲しませない為にも、二人で生きて帰れるように頑張ろうってリナムと話したり……」
「いい話じゃないか」
登場人物が全員善人かつ、美女美少女なので、とても聞いていて耳に心地よい。
情景が浮かぶようだ。
「けど!」
クフェアちゃんの打ち込みが強くなってきた。
烈火の如き攻勢を、俺は冷静に処理していく。
「けど?」
「あれ以来、母さんがしょっちゅうあんたの話をするんだけど!」
先日、心の距離が縮まったように感じたのは、勘違いではなかったようだ。
「それは光栄だな」
「まさかアルベール、母さんに手を出してないわよね!」
キッと視線を鋭くするクフェアちゃん。なんだか剣閃も鋭くなっているような……。
「そういうのは、エーデルサンに訊いてくれ」
「訊いたし! 笑ってはぐらかされたから、あんたにも訊いてるのよ!」
「そうかそうか」
「で、どうなの!?」
「君が不安に思っているようなことは、起こっていないよ。そもそも、子供たちを放って男と逢瀬を重ねるような女性ではないだろう」
「そ、そうだけど……」
「もちろん、たとえ子供が何十人いたって、女性には癒やしやときめきが必要だ。俺がその相手になれるのなら、とても喜ばしいがね」
「……アルベール」
「なんだい?」
「養母とはいえ、あたしにとってエーデル母さんは、紛れもない母親なのよ」
「あぁ、わかっているさ」
孤児院の子供たちが、どれだけエーデルを慕っているかは、これまでの付き合いで既にわかっていることだ。
「で、あんた言ったわよね。二年後のあたしと、親しくなりたいって」
「覚えているし、日々待ち遠しく思っているよ」
「でも、母さんも口説くんだ?」
なるほど。
自分とデートの約束をした男が、自分の義母を口説いている。
これはクフェアちゃんとしては複雑な心境だろう。
「安心してくれ、クフェアちゃん。俺は君もエーデルサンも、大事にする自信がある」
「……誰が、そんな心配、するかー!」
怒号と共に放たれた最後の振り下ろしの勢いといったら凄まじく、応じるように振り上げた俺の木剣と合わせて、両者の武器が半ばから折れるほどだった。
「おぉ、これはすごい」
中々の威力だ。
クフェアちゃんは感情次第で、攻撃力が上昇するタイプらしい。
感情的になりつつも先程の敗戦を覚えているのか、即座に後退して隙を晒さぬようにしているのも素晴らしい。
とはいえ、互いに得物を失ったので模擬戦は終了だ。
「君はどんどん成長していくなぁ」
昔はピンとこなかったのだが、前途有望な若者――ただし女性に限る――を見ると嬉しくなるのは、年をとった証なのだろうか。
ちなみに、男はいつの時代もどうでもいい。
「褒めたって誤魔化されないから」
肩で息をしながら、クフェアちゃんはまだご立腹の様子。
「そう怒らないでくれ、クフェアちゃん」
「あんたが好色なのは知ってたつもりだけど、母さんにまで……!」
好色も何も、この街に来てからの俺はむしろ禁欲的な生活を送っている。
お姫さんの実家に残してきたメイドたちが恋しい。
しかしまぁ、魅力的な女性と見るやアプローチをかけているのも事実。
「本当にまだ何もないんだが……そこまで言うなら、エーデルサンに近づくのは控えることにするよ」
「え?」
あまりにもあっさり言われたからか、クフェアちゃんが呆気にとられたような顔をする。
「万が一にも、俺の所為でクフェアちゃんとエーデルサンの仲が悪くなったりしたら嫌だしな。それに、先に約束したのはクフェアちゃんの方だし」
俺は女性と親しくなりたいと思っているのであり、不幸にしたいわけではないのだ。
「……今更距離を置かれたら、母さんが悲しむからダメよ」
「じゃあ、どうしようか」
「わかんないけど、母さんを泣かせたりしたら、許さないから」
「承知した」
親を想う子の心だ、真剣に受け止める。
「あ、あと、あたしを泣かせたら、母さんがアルベールを許さないわ」
「そちらも、承知した」
こちらは少し拗ねるような響きを感じたので、微笑ましく思う。
もちろん、クフェアちゃんを泣かせるつもりはない。
「はぁ。なんで、こんな女性にだらしない男に……」
クフェアちゃんが大きな溜め息をこぼす。
「苦労を掛けて済まないね」
「おばあちゃんみたいなこと言わないで」
クフェアちゃんはギロリとこちらを睨んだあと、ふっと表情を和らげた。
「その、最近、母さんが前よりも明るくなったような気がして、それはあんたのおかげだと思っている、のよ」
「……そうか」
きっと、彼女が言いたかったのは、そちらの方なのだろう。
しかし釈然としない部分があるのも事実なので、先にぶつけてきたわけだ。
「アルベールは、いつもいつも、あたしや、あたしの家族を、助けてくれるのね」
チンピラに絡まれた婆さんとチビ共、いじめっ子ちゃんに絡まれたクフェアちゃんとリナムちゃん、そして先日のエーデルか。
そう言われると、何かと彼女の家族に縁がある。
「たまたまだよ」
「そうだとしても、ありがとう」
そう言って微笑む彼女は、年相応の少女のようで、とても可憐だった。
「どういたしまして」
こうして、なんやかんやと和やかな空気で模擬戦を終えることが出来たのだが。
「お二人は、ご交際されているのですか?」
「ひゃあ!」
クフェアちゃんが飛び上がって驚く。
ヒペリカムちゃんが見学していたのを失念していたらしい。
成長著しいクフェアちゃんだが、まだまだ修行が足りないようだ。
「いいや、付き合ってはいないよ。俺の恋愛対象は十八歳からなんだ」
「なるほど」
「ところでヒペリカムちゃんは、二十歳を超えているんだったね」
「はい、二十一になります」
「ほうほう。ところで、俺のような男はどうだろうか」
「その武から滲む、途方もない研鑽の痕跡には感嘆するばかりです。是非、私にも稽古をつけていただきたく思います」
「ありがとう、模擬戦も喜んで引き受けよう。でも聞きたいのは男女的な――」
「アルベール?」
驚愕から立ち直ったクフェアちゃんが、虚ろな瞳で俺を見ていた。
俺は彼女に柔らかく微笑みかける。
「安心してくれ、クフェアちゃん。俺は全ての女性を大事に――」
「限度があるでしょ、限度がー!」
こうして、学園での生活は賑やかに過ぎていく。
この数日後、俺たちは形骸種還送の任務につくことになる。
『毒炎の守護竜』エクトルのいた都市にて、残る形骸種を救済し、都市の解放に動こうというのだ。
十二形骸がいなくなったことで安全性は格段に高まったものの、油断はできない。
それに都市から死者を一掃するとなると、一度や二度では終わらないだろう。
だが学生にとっては、いい経験になる筈だ。
俺たちも、班で動くのは初めてのこと。
さて、どうなるか。




