45◇日常と激動
「疾ッ……!」
宙を舞う羽虫さえも貫き殺せるであろう精度と速さを備えた、見事な刺突だ。
俺の眼球目掛けて点で迫るそれは、遣い手の技量もあって回避困難。
ただし、狙う相手が俺でなければの話である。
俺は首を傾けることで必殺の一撃から逃れると同時、相手の首に刃を添える。
相手が敵で、これが殺し合いならば、寸止めせず首を刎ねて終わりだ。
「……参りました」
俺も相手も使用していたのは木刀。
額から汗を垂らしながら、金髪碧眼前髪ぱっつん美女のマイラが、悔しげに言う。
「おう、おつかれ」
「……やはり、凄まじい強さです」
互いに木刀を引き、模擬戦は終了。
マイラが俺を尊敬の眼差しで見ている。
「いや、マイラもすごいぜ。俺が勝ってるのは、三百年分の修行があるからだ。生前の俺とだったら、かなりいい勝負だよ」
「……本当ですか? 初代様の手記によると、アルベール殿は十二騎士候補だったとありますが」
「そんな話もあったなぁ。マイラも、三百年前にいたら間違いなく選ばれただろうよ」
「きょ、恐縮です」
ここは学園敷地内の屋外訓練場。
教官の許可をとって、放課後に利用しているのだ。
少し離れたところでは、白銀髪蒼眼の美人姉妹が、聖女の魔法の訓練をしている。
「聖女の加護を纏っての戦いも、修行しないとなぁ」
お姫さんたちの方を見ながら俺が呟くと、マイラが真剣な表情になる。
「三百年積み上げた武に慢心せず、新時代の戦法を積極的にに取り入れる柔軟さ……ご立派です!」
「いや、遅すぎるくらいだよ。もっと早く、お姫さんを頼ればよかった」
「しかし、アルベール殿が加護抜きで戦っていたからこそ、アストランティア様は魔石に魔力を溜めることが出来たと伺いました。そして、その溜めた魔力によって、暴走した竜の骨格を鎮めることが叶ったのだとか」
学園に入って以降、他の聖女が実技などで聖騎士に加護を纏わせる中、俺は加護抜きで戦っていた。
浮いた魔力をお姫さんは魔石に溜めており、その魔石があの戦いで大いに役立ったのは確かだ。
「まぁ、悪いことばかりじゃなかったのは、そうかもしれんが。ただ、毎回骨に戻るのもなぁ」
「そう、ですね。スケルトン状態で戦闘可能であるというのはアルベール殿の明確な強みですが、加護の恩恵も素晴らしいものですから」
「だから、次は加護ありで訓練しよう。その時は、そっちが先輩ってことで、色々と教えてくれ」
俺の頼みに、マイラが姿勢を正す。
「はい! 全身全霊を掛けて、お相手務めさせていただきます!」
「ありがとな」
マイラの頭を撫でる。
彼女はもう十九だというので嫌がるかなとも思ったのだが、そのような素振りはない。
というか、くすぐったそうに笑っているようにさえ見える。
――ロベールも、優しくしてやれとか言ってたしな。
「あ、あの、アルベール殿! もう一本お願いしてもよろしいでしょうか!」
「おう」
強いやつと戦うのは、よい訓練になる。
それからもう何本か稽古をつけていたのだが……。
「アルベール!」
怒鳴り声がしたので視線を向けると、赤髪ポニテのツンデレ巨乳娘クフェアちゃんが、腰に両手を当てて立っていた。
声の通り、顔にも怒りが浮かんでいる。
気づけば空が茜色になっていた。
かなりの時間が経過していたらしい。
「あ」
彼女の顔を見て、俺は約束があったことを思い出す。
「あ、じゃないわよ! 今日は孤児院で食事するって約束だったでしょ!」
「いや、悪い悪い。つい熱中しちゃってな」
俺とお姫さんは、夕食にお呼ばれしていたのだった。
聖者は、形骸種を討伐するごとに報酬が得られる。
この報酬は、十二都市の解放を望むあらゆる人々からの寄付で賄われているらしい。
先祖や縁者の魂を解放してほしい、先祖の故郷を取り戻したい、あるいは単に死者を悼む心から、多くの者が寄付をしてくれているのだとか。
また、貴族にも寄付者は多い。
ともかくそんなわけで、俺たちは先日の実地訓練によって報酬を得た。
学生であろうと聖者は聖者。報酬は支払われる。
孤児院暮らしのクフェアは、事件後のバタバタがようやく落ち着いたこともあり、改めて俺たちを食事に招いてくれた。
クフェア・リナムちゃんペアに報酬が入ったので、そのお祝いとのことだ。
「ご、ごめんなさいクフェアさん! わたしも、お姉様との鍛錬に夢中になってしまい……!」
お姫さんが駆け寄ってきて、クフェアちゃんに謝罪する。
オルレアちゃんもゆっくりとこちらに近づいてくるが『お姉様との鍛錬に夢中』のあたりで一瞬立ち止まった。
嬉しくなってしまったのだろうか。
シスコンと判明してから、彼女の些細な変化がかわいくてならない。
「自分で決めた予定くらい、守れるようになりなさい」
なんてセリフも、照れ隠しにしか聞こえない。
「マイラに激甘なアルベールならまだしも、アストランティアまで……」
クフェアちゃんが拗ねたように唇を尖らせる。
「本当に悪かったよ。すぐに行こう。――マイラ、そういうわけで今日はここまでにしよう」
「はい。本日もご指導ありがとうございました」
マイラがきっちりと一礼する。
「またやろうな」
「是非!」
お姫さんもオルレアちゃんとの別れは済んだようで、俺たちはクフェアちゃんの許へ向かう。
「あら、もういいの?」
クフェアちゃんはまだ拗ねていた。
しかし悪いのは俺たちなので当然だ。
ふんっとそっぽを向いた時に、彼女のポニーテールが揺れる。
そこで俺は気づいた。
「お、髪紐使ってくれてるんだな」
それは、以前彼女に贈ったものだった。
「……は、話を逸らそうとしても無駄だから」
「使ってくれて嬉しいよ。似合ってる」
「…………そ、そう」
クフェアちゃんの頬が赤いが、夕日の所為だけではないだろう。
「こ、こほんっ。とにかく、二人共、うちに来るのが嫌だったわけじゃないのね? 迷惑だったら、その……無理にとは言わないし」
言葉の後半が萎んでいく。
「そのようなことは決してありません! わたし、魔女の血縁ということで友人もいなかったものですから、夕食会にお誘いいただけるなんて夢のようなのです!」
三百年前のゾンビパニックの元凶は、『とこしえの魔女』と呼ばれる魔法使いだった。
やつは貴族で、お姫さんはそいつと同じ一族なのだ。
その所為で恐れられ、友達のいない幼少期を過ごしたという。
「クフェアちゃんのいるところに行くのが、嫌なわけないだろ。ガキ共には興味ないが、リナムちゃんやエーデルサンもいるし」
リナムちゃんは青髪ボブの聖女で、クフェアちゃんの相棒。
エーデルというのは孤児院を運営する金髪の美女で、彼女も聖女らしいのだが、今は活動していないようだ。
「そ、そう。ならいいけど」
どうやら俺たちが遅れたことで、不安にさせてしまったらしい。
少女とはいえ、親しい女性を不安にさせるなど男失格。
「本当にごめんな。この詫びは、いつか必ず」
俺は真剣に謝罪する。
「い、いいわよ別に。聖者なんだから、強くなるのは大事だし」
「いいや、それじゃあ俺の気が収まらないんだ」
「……じゃ、じゃあ、楽しみにしておく」
「おう」
「わ、わたしも何か、考えておきますっ!」
「もうっ、わかったわよ。許す、許すから二人とも、そんな申し訳無さそうにしないで」
拗ねるのが馬鹿らしくなったとばかりに、クフェアちゃんが笑う。
なんとか機嫌の直ったクフェアちゃんと共に、孤児院に向かう。
途中、手土産を買うのも忘れない。
「あー、アルくんきた!」
敷地内に入った途端、俺の足に紫髪ツインテールの幼女が抱きついてきた。
「おう、待たせたな」
「おそいよー」
「悪かった。お詫びに甘いもん買ってきたぞ」
「あまいものー!」
幼女――リナリアが飛び跳ねて喜ぶ。
「ご飯の後だからね」
クフェアちゃんが言うが、リナリアは聞こえているのかいないのか。
くたびれた雰囲気の建物に入り、食堂へ向かうと子どもたちが待っていた。
ちょうど、配膳が終わる頃だったようだ。
滑り込みで間に合った、という感じだろうか。
「おー、にいちゃんきたな!」「せいじょさまー」「ティアちゃん、となりすわろー」
最近、お姫さんがガキ共からの人気を集めている。
まぁ、綺麗で可愛くて優しくおしとやかで魔法の才能があるとなれば、頷ける話だが。
しかし幼女はいいが、クソガキ共が無礼を働いたらお仕置きをせねばなるまい。
「ようこそ、お越しくださいました」
ガキ共のお母さん役を務める立派な女性、大人の色香漂う金髪美女エーデルが、柔和な笑みを湛えて迎えてくれる。
「あぁ、エーデルサン、今日もとても美しい。貴女に花を贈りたかったのですが、そんなものを買うくらいならば子どもたちの口に入るものが喜ばれるかと思い、甘味を用意しました。受け取って頂けますか?」
エーデルは「まぁ」と僅かに目を開き、ゆったりとした動作で俺の捧げた包みを受けとる。
「ありがとうございます、アルベール様。あとで子供たちと頂きますね」
「その言葉だけで報われる思いです。そうだ、もしよろしければ今日は貴女の隣で食事する栄誉を――」
「アルベール? あんたはあたしの隣よ。まさか、嫌とは言わないわよね?」
クフェアちゃんがニッコリ笑っている。
この顔をする時、彼女は楽しいわけではないと、俺は経験で知っている。
「もちろん大歓迎だとも、クフェアちゃん。じゃあ君が左でエーデルサンが右……」
「右はリナリアよ」
「やったー! アルくんのとなり~」
見た目からは想像もできない腕力で、クフェアちゃんが俺を席まで引きずっていく。
お姫さんはリナムちゃんに呼ばれ、彼女の隣に座るようだ。
そんな俺たちの様子を、エーデルは優しい笑顔で眺めていた。
あぁ、そんな……。
エーデルは、この街で非常に貴重な大人の女性の知人だというのに……。
マイラは姪のようなものだし、彼女以外だと関係性が薄いか、でもなければ年齢的に対象外なのだ。
全員が食卓についたことで、食事への感謝の祈りを捧げてから、飯を食い始める。
子供だらけの空間だけあって、非常に騒がしい。
普段より飯が豪華というのもあるだろう。
具材が沢山入ったシチューに、鳥の丸焼きもある。パンも、普段食卓に並ぶものよりも高い品のようで、柔らかい。
「うっうっ……男の幸せは、沢山の女性と親しくなることだというのに」
嘆きながら食事をする俺。
「幸せは人それぞれだから否定はしないけど、他の幸せもいっぱいあると思うわよ」
クフェアちゃんは苦い顔をしながらも、棘のない口調で言う。
「そういうもんかね。じゃあ、たとえばどんなのがあるんだ?」
「うぅん……家族の笑顔、とか?」
言ってから恥ずかしくなったのか、クフェアちゃんが赤面する。
「クフェアちゃんは良い子だなぁ」
幸せと聞いて最初にそれが出てくるあたり、さすがだ。
「リナはねー、ご飯食べてるとしあわせになるよー。お腹減るのは、かなしいからねー」
話を聞いていたのか、リナリアがそんなことを言う。
「あぁ、それはわかるぜ。体は動かねぇわ思考はネガティブになるわで、空腹ってのは最悪だよな」
義父のダンに引き取られてからは無縁のものとなったが、俺は最初貧民窟で暮らしていたのだ。
三百年以上も前のことなのに、路地裏で空腹を耐えていた時の虚しさや、寒空の下で震えていた時の惨めさだけは、鮮明に思い出せる。
それだけ強烈な記憶、ということだろうか。
確かに、そういったマイナスを埋めることを、幸福と呼ぶ者もいるのだろう。
その時、リナリアのスプーンが止まった。
「アルくん、あーん」
彼女はシチューを掬って、俺に差し出す。
「……まぁ、いいけどよ」
彼女の思惑は読めたが、食ってやる。
案の定、野菜だった。苦手なのだろう。
「おいし?」
「お前ね、食えるもんはありがたく食っとけよ」
「だって、にがいし……」
「はぁ……ほら、お返しだ」
俺は自分のシチューから肉を掬って、リナリアの口に突っ込む。
「ん~~」
彼女の顔が幸せそうにとろけた。
幼女でも、苦い顔より笑っている顔の方がよいものだ。
「全部じゃなくていいから、苦手なもんも食えよ」
「はーい」
リナリアは素直なのでまだ楽だ。
他のテーブルでは具材の量に差があるとかで喧嘩しているやつや、肉の奪い合いをしているガキもいる。
それらを、エーデルや彼女の母であるばあさんなどが窘めている。
「…………ね、ねぇ、アルベール?」
クフェアちゃんに呼ばれたのでそちらを向くと、彼女が切り分けた鶏肉をフォークで刺し、それを俺の方へ差し出しているところだった。
その顔は真っ赤で、唇はふにふにと不安げに揺れ動き、手は震えていた。
どうやら、リナリアがやっていたのを見て、自分もやりたくなったらしい。
だがギリギリになって羞恥心に勝てないようだ。
「ん」
俺は自分の方から、肉を迎えに頭を動かす。
「っ」
「うまいよ」
「そ、そそそ、そうっ、よかったわね!」
もはや、彼女は顔から火が吹けそうなほどに赤い。
「じゃあ、次は俺から」
「い、いいっ、いいからっ、もう限界だからっ」
「ほら、クフェアちゃん、あーん」
「うぅっ……あ、あーん」
同じように鶏肉を切り分けたものを彼女の口に運ぶ。
「どうだ?」
「あじ、わかんない……」
「あはは」
エーデルの隣に座れなかったのは残念だが、こういうのも悪くはないかもしれない。
食後、寮の門限もあるので俺たちは帰ることに。
「にぎやかで、素敵な夕食会でしたね」
帰り道、隣を歩くお姫さんがしみじみと言う。
「騒がしいの間違いだろ」
「ふふ。それと……アル殿も、随分とお楽しみだったようで」
じろりとした目で、彼女が俺を見上げている。
「お姫さんもやりたかったのか?」
「……その問いへの回答は控えさせていただきます」
そんな、中身がないような、それでいてなんだか心地のよい会話をしながら学園の前まで到着。
「ん?」
正門前に、馬車が止まっている。
それはまぁいいとして、知り合いの顔があった。
「パルちゃん?」
学園トップ十二組の内、討伐数第八位『金色』を冠するペアの、聖女だ。
「……アルベール」
どうやら、彼女は誰かの見送りにきたようだ。
従者らしき者たちが、大きな馬車に荷物を運び込んでいる。
そして、その荷物の持ち主らしき少女が、パルちゃんと話をしていた。
「――アルベール、と言いましたか」
少女は空色を帯びた、白い髪をしていた。
薄幸そうな雰囲気を纏っているように思えるのは、抑揚の乏しい声や人形のような表情、街灯に照らされる白い肌の所為だろうか。
「では、そちらがアストランティア様ですね。私はネモフィラと申します。お二人の――前の『雪白』です」
先日、俺たちは学園トップの十二組に選ばれた。
だがそれは、直前に先代『雪白』の聖騎士が戦死したことによる、穴埋めの意味合いもあった。
では彼女が、生き残りの聖女か。
荷物を運び出しているということは、退校するのだろうか。
しかし、微妙な違和感。
「……腕章をつけています」
お姫さんの言葉で、俺は違和感の正体に気づく。
そう。
訓練生と、正規の聖者の違いを表すのに使われるアイテムがあるのだ。
それが腕章。これがないと学生……なのだが。
彼女はつけている。
「学園を卒校した時点で、聖者は黒い腕章を与えられます。ですが――十二聖者に選ばれた者だけは、特別に好きな色の腕章をつけることが許可されるのです」
お姫さんの補足を聞き、俺は首を傾げる。
「その子、空色の腕章つけてないか?」
今聞いた理屈だと、聖騎士を失った女の子が、十二聖者ということになってしまう。
俺の言葉に、少女が反応する。
「新たな聖騎士を見つけたのですよ。それが、優秀だったのです。貴方たちに後れを取る形にはなりました――こちらも十二形骸を討伐いたしました」
うっすらと、まったく感情の乗っていない微笑みを浮かべる少女。
「見送りありがとうございます、パルストリス。またどこかの戦場で逢ったら、よろしくお願いしますね」
「……貴女、本当に大丈夫?」
「体は健康そのものですので、ご心配なく」
妙な雰囲気な女の子だが、それよりも。
十二形骸を倒した、だと?
最近見つけた聖騎士と?
俺が言うのもなんだが、そうポンポン倒せるようなら、三百年も人類は停滞していない筈だ。
俺は彼女に再び声を掛けようとして――剣を抜き放つ。
直後、闇から突如として現れたかのように、何者かが俺に斬り掛かっていた。
俺はそれを受け止め、互いの刃が火花を散らす。
交わす刃越しに、そいつを見る。
「……一応訊いてやるよ。喧嘩を売ってるんだよな?」
深い青色の髪をした、聖騎士の男だ。
やけに美形で腹が立つ。
「黙れ、何故――貴様のような者がここにいる」
男の声には、憎悪のようなものが滲んでいる。
「それは、こっちのセリフだ」
まったく、人生予想外のことばかりだ。
ゾンビになって三百年生きるだけでも意味不明なのに、十代の少女に拾われて学園に通うことになり、初めての実地訓練で十二形骸と戦ったりもした。
その上、今度はこれか。
形骸種は、形骸種を見分けることが出来る。
だから、俺とこいつは、相手を視界に捉えた瞬間、互いに理解していた。
――こいつは形骸種だ。
十二形骸を殺したという情報が真実なら、おそらく――こいつ自身もそうなのだろう。
思わずお姫さんの方を向きたくなるが、今は戦闘中。
しかし、後で絶対に話を聞かねば。
いや、ここはネモフィラちゃんに尋ねるべきだろうか。
――なんで俺以外の十二形骸が肉の鎧を取り戻して、外を歩いていやがるんだと。




