35◇避難と祝福
「に、逃げなきゃ」
聖女の一人が言う。その声は掠れるように震えていた。
「……そうね。貴方たちを結界の外へ逃がすのが先決だわ」
パルちゃんの判断で、俺たちは一旦、街の外へ向かうことに。
「なぁパルちゃん。さっきの言い方だと、君らは逃げないのか?」
駆け足で出入り口に向かう中、俺はパルちゃんに声を掛ける。
「当然でしょ。まずは自分が監督を任された貴方たちが優先だけれど、それ以外の者を見捨てていい理由はないわ」
「立派だな」
「それが聖者という者よ」
「……そうだな」
はて、どうしたものか。
パルちゃんは他の生徒たちの避難誘導や保護の為に、結界内に残るつもりのようだ。
しかし、そこで守護竜とぶつかる可能性もある。
彼女とオージアスは優秀だが、こんな非常事態に十二形骸とぶつかって倒せるものなのか。
「しかし、何故『毒炎の守護竜』が動きだしたのでしょう」
お姫さんが深刻な顔で言う。
「どっかのアホが、好奇心で竜にちょっかいを掛けたとかじゃないのか」
「いくらなんでも、そのようなことは……」
俺は有り得ると思うのだが、お姫さんはそんなことはないと信じたいようだ。
まぁ、自分の命が掛かっている場面で、見えてる死に飛び込むのは愚かすぎるか。
そうこうしている内に、出入り口が見えてきた。
門が取っ払われ、幅が拡張された結界との境界だ。
そこに、複数の聖女と聖騎士が集まっていた。
みな、どこか怪我をしているのか、服や体が傷ついている。
「あぁ、あの子たち!」
元イジメっ子聖女ちゃんが、安堵したような声を発した。
見れば、イジメっ子仲間たちのようだ。
こういう子たちにも、友情はあるのか。
監督の聖者や他の生徒たちの姿もある。
しかし、どうにも様子がおかしい。
「……ねぇ、監督役はいいとして、どうして生徒たちもまだ結界内に残っているの?」
クフェアちゃんの疑問は尤も。
俺は、彼ら彼女らから、感じ取っていた。
温かい気配だ。
「……パルちゃん」
「分かっているわ」
パルちゃんの指示で俺たちは立ち止まるが、生徒の一部は状況のおかしさに気づけていない。
「……貴方たち、言い残すことはあるかしら」
パルちゃんの言葉に、聖騎士の一人が答える。
「我々はとてつもない罪を犯しました。永遠の生を獲得し幸福を享受するだけの無実の民を、慈悲もなく殺めて回っていたのですから」
もう喋れているとは、中々の適応力だ。
時代も関係しているのだろう。
ゾンビへの転化に対する知識がない状態での死と、学園で形骸種について学んだ者の死では、まったく違う。
だが、祝福に打ち勝って自我を取り戻すことは出来なかったようだ。
生前、どれだけ形骸種の祝福について学んでいても。
不死を押し付けられたことで芽生えた幸福には、抗えないのか。
次に口を開いたのは、聖女だ。
「それでも彼らは愛を持って我々に接し、同胞に迎え入れてくださったのです」
「貴方がたにも祝福を」「祝福を」「祝福を」「祝福を……!」
形骸種は結界を通れない。
だから、彼らは外には出られない。
形骸種になっても、人間時代の記憶や人格は残る。
ただ、呪いによる不死が幸福である、という認識が植え付けられるだけ。
つまり今の彼らは、聖者の知識と力を持った形骸種。
不幸で哀れな俺たちを救済すべく、退路を塞いでいるのだ。
「そんな……そんなの……」
イジメっ子聖女ちゃんの表情が絶望に染まる。
こればかりは責められない。
俺だってかつて、ゾンビになった義父を前に一度は何もできなかったのだから。
だからこそ、そういった感傷に付き合うことはできない。
それが死を招くと、実体験でわかっているのだから。
「俺が全員殺すから、さっさと外に出よう」
「な――貴方、なんてことを……!」
「彼が正しいわ。貴女もわかっているでしょう。形骸種になったら、救えない」
泣き崩れそうになる聖女ちゃんを、彼女の聖騎士が支える。
「他の奴らは動かなくていいから、せめて自分たちの加護を途切れさせるなよ」
飛び出せたのは、俺とオージアスだけ。
敵の総数は、七組十四人
敵の聖女たちから淡い光が放たれ、それが彼女らとその聖騎士を包み込む。
聖女の魔法は、形骸種になっても奪われない。
あれは女神様への信仰心によって授けられるものだからだ。
彼女たちは、本人の記憶と感情を維持しているのだから、魔法も引き続き使える。
ただただ、祝福の拡散が優先順位の第一位に固定されてしまっただけで、信仰心は欠片も失われていない。
オージアスは『身体強化』の加護を存分に活かし、形骸種聖騎士の『身体防護』に構わず何度も斬りかかる。
防護が薄くなったところを躊躇わず斬り付け、体を上下に分割。その後とどめとばかりに首を大剣の切っ先で刺し潰す。
その間に、俺は四人の聖騎士を殺し終えていた。
『身体防護』を纏っていようが関係ない。
その防御性能を超える力で攻撃すればよいだけ。
四つの首がほぼ同時に宙を舞い、それが地面に落下するより先に更に二人の首が胴体と分かれる。
斬り飛ばすというより撥ね飛ばすという威力だが、結果は同じだ。
これでオージアスと合わせ、殺した聖騎士は七人。
あとは七人の聖女のみ。
人体の制約を無視した剛力に筋肉が悲鳴を上げているが、そんなものはあとでお姫さんに治してもらえばいいのだ。
唯一の難点は、生身の肉体で死者としての体の動かし方を採用したことによって、めちゃくちゃ強い痛みが全身に走っていることだ。
この一点に限って、死者の体はよかったかもしれない。
「『身体防護』の上から断ち切る……だと。貴殿は一体」
オージアスが何やら言っているが、さっさと済ませねば。
もう背後から、どしんどしん……という地響きが近づいてきているのだ。
このままでは、クフェアちゃんたちがいる中で『毒炎の守護竜』と激突することになる。
俺は聖女たちとの距離を詰め、心の中で激しい葛藤に苛まれながらも、一人また一人と首を斬っていく。
何百年経っても、死者であるとわかっていても、女性を手に掛けるのは心が痛んだ。
「貴方は――」「そんな……」「何故です」「祝福が」「あの声が」「聞こえて――」
――あぁ、そうか。
この子たちも形骸種。
俺が同類だと、気づいたのか。
「私たちは、幸福なのに」
「わかるよ」
最後の聖女ちゃんの首も一刀で刎ねる。
「さて……道が開けたぞ、帰ろう」
死んだばかりの彼女たちは、遺体が風化することもない。
回収してやりたいが、今生きている者を優先せねば。
「ほら、さっさとなさい! 貴方たちも形骸種になりたいわけ?」
パルちゃんに急かされる形で、次々と生徒たちが結界の外へと脱出していく。
「ご、ごめんアルベール。一緒に戦うって言ったのに……」
クフェアちゃんは涙目になっていた。
己の不甲斐なさを恥じるかのように唇を噛んでいる。
さっきまで同じ学校の生徒だった奴らを殺すのは、スケルトン化した形骸種を殺すのとはわけが違う。
心理的な負担は、比べ物にならないほどだろう。
「いや、この場合、君の感性の方が正しいよ」
俺はそこを、三百年前に乗り越えただけだ。
クフェアちゃんは、リナムちゃんと共に結界外へ脱出。
俺たちも続く。
一度外に出て判明したのだが、もう一グループ、未帰還の者たちがいるようだ。
もちろん、今殺めた者たちとは、別の一団ということである。
「……戻るわ。貴方たちは、決して動かないように」
俺たちより先に脱出していたグループの監督役にその場を任せ、パルちゃん組が中に戻っていく。
俺とお姫さんもそれに続いた。
「……それで、貴方たちは何故ついてきているわけ?」
「パルちゃんみたいな美少女の死は世界の損失だからな、見過ごせない」
「……アストランティア様も同意見とか言わないわよね? 姉君も功を焦るなと言っていたでしょう」
「逃げ遅れている者を見捨てることはできません。それに……我が騎士アルベールの有用性は既にご理解いただけたかと」
パルちゃんは難しい顔をして数秒悩んだようだが、やがて諦めるように溜息。
「いいわ。しかし貴方……本当に、これまでどこに隠れていたのよ」
別の封印都市とは、言えない。
「俺のことを知りたくなっちゃったのかい」
「ふっ。さっきも言ったでしょう。軽薄な男は好きじゃないわ」
地響きが近い。
つまり、『毒炎の守護竜』との対面は、もうすぐだ。




