34◇覚悟と急転
その封印都市の街壁は、一箇所を除き封鎖されている。
唯一残された街壁も、門を取り壊されているだけでなく、壁の一部を破壊して入り口の幅を広くとっていた。
こうすることで、進入前に入り口付近に形骸種がいるかを確認することができるのだ。
一々門を開け閉めして、中に入ったら壁の死角に潜んでいた形骸種に襲われる――なんてのは危険だし、間抜けだ。
なので、その判断は合理的。
幾つかのグループに一組の引率者がつき、先導していく形のようだ。
「聖騎士アルベール」
と、そこで金髪ロングのツリ目聖女ちゃんに話しかけられる。
「あぁ、パルストリス様」
学内に十二組いるという、異名つきの実力者。
そんな十二組の中で、形骸種の討伐実績第八位に位置するペアの聖女だ。
その横には、寡黙そうな巨漢騎士も控えている。
この二人とは、実技試験で対戦したのだ。
確か異名は『金色』。
「やめて。わたくし、格下に舐めた口を利かれるのと同じくらい、格上に下手に出られるのも嫌いなの。気遣いは要らないわ、好きに振る舞いなさい」
おぉ、貴族令嬢なのになんという寛大さ。
「お、じゃあそうするわ。よろしくなパルちゃん」
「――アルベールっ」
俺の横でお姫さんが顔を青くしている。
いや、でもお姫さん、向こうが良いと言ってくれたんだし。
「……は?」
「愛称だよ。友達ならやるだろ」
「いつ友達になったのよ」
「今だけど?」
「……気安い男。まぁ、さっきまでよりはマシになったわね」
パルちゃんが怒っていないのを確認し、お姫さんがほっと胸を撫で下ろす。
「いやぁ、実技試験の件で嫌われたかなと思ってたけど、そうじゃなかったようで安心したよ」
「強い者は好きよ」
「俺もかわいい子は好きだぜ」
「――あぁごめんね、足が滑ったわ」
話を聞いていたクフェアちゃんが堂々と俺の足を踏みつけている。
嫉妬の表現が直接的でかわいいじゃないか。
踏む力も、怪我させないよう気を遣っているのがわかるもので、なおのことかわいい。
「ふっ。軽薄な男は好きじゃないわ」
「趣味が合うなぁ、俺も軽薄な男は嫌いなんだ」
というか男は大体嫌いだ。
「ほんと、よく舌が回る男」
「未来の美女とは沢山話したいからね」
お姫さんは何が恥ずかしいのか、両手で顔を覆っている。
うちの聖騎士がまたやらかしている……みたいな雰囲気を漂わせているが、別に問題は起きていないじゃないか。
クフェアちゃんは露骨に俺を睨んでいた。
リナムちゃんは困ったように笑っている。
「あっそ。それより、貴方たちの引率、わたくしたちだから」
「そりゃ嬉しいね。よろしく頼むよ。そっちの……センパイもな」
「……オージアスだ」
「もちろん覚えてるって」
『おー、チャース!』みたいな名前であることは覚えていた。
ほぼほぼ合っているので、俺としてはかなりの快挙だ。
こいつは良いやつっぽいので、男の中でも比較的マシな方なのである。
俺たちのグループを組んだやつの意図は不明だが、貴族が聖女のペア三つと、庶民が聖女のペア三つがまとめられている。
それを、パルちゃんとオージアスのペアが監督するのだ。
そして、貴族聖女ちゃんの中には、先日クフェアちゃんたちに撃退されたイジメっ子も混ざっている。
空気はよろしくないが、突っかかってもこない。
「それと、アストランティア様」
「は、はい。なんでしょうパルストリス様」
「オルレア様からの伝言よ。『功を焦らぬように』と」
「そう、ですか。お姉様が……」
推定シスコンお姉さんのことなので、これも『危険に飛び込まず、無事に帰ってきてね』と遠回しに伝えているのだろう。
俺は勝手にそう解釈した。
そして、俺たちの順番が回ってくる。
パルちゃんペア先頭で、結界内に進入。
「貴方に言いたいことがあったのだったわ、アルベール」
「アルくんって呼んでもいいぜ」
「アルベール、貴方、封印都市内部でも加護を纏わないつもり?」
「まぁ、その予定だが」
アルくん呼びはまだ早かったか。
「……聖女の力を借りることは、恥ではないわよ」
「心配してくれてるんだな、ありがとう」
「はぁ……。アストランティア様、彼を聖騎士に任じた際にどのような条件を交わしたかは分かりませんけれど、もしもの時は貴女の判断で『身体防護』を展開なさい」
「……その判断は、彼自身に委ねることとなっています」
俺が求めない限り加護は展開しない。そういう契約だ。
「そう」
パルちゃんはそれ以上食い下がらなかった。
都市内部に入ると、三百年前に終わった街の景観が視界に入り込む。
屋根がなくなっても、壁にひびが入っても、植物に覆われても、木が腐っても、建物が倒壊したって、誰も何もしないのだ。
人が全員死ねば、街も死んでいく。
俺にはどこか懐かしささえ感じる光景だが、悲しげな顔をしたり露骨に眉を顰めている者もいた。
「わたくしたちはこちらよ。ところで聖女リナム、封印都市を歩く際の注意事項は?」
パルちゃんに話を振られたリナムちゃんは一瞬ドキッとした顔をしたものの、すぐに回答する。
「し、視界の確保と位置取りです。見晴らしの悪い場所では形骸種の接近に気づけず、建物などの近くを歩けば物陰から襲われる危険が高まる……ので」
「正解よ。このあたりは、先人たちが長い時を掛けて整備してくれているから、比較的安全だけれどね」
なるほど、自然に倒壊したのではなく、打ち壊した建物も混ざっているのか。
俺たちは道の中央を意識しながら、ゆっくりと進む。
「あ、あの、パルストリス様? 何故結界との境界付近で訓練を行わないのですか?」
元イジメっ子の金髪聖女ちゃんが、やや不安そうな顔で尋ねる。
「境界付近だと『最悪すぐに結界の外へ逃げられる』という意識が働くでしょう? けれど聖者は形骸種を還送する為に、街の中心部へ向かうことも多いわ。つまり、実戦を意識するのなら、境界付近の安全性は邪魔ということよ」
すぐに逃げられる環境は、余裕を生む。
だが、実際はそんな余裕が許される状況ばかりではない。
本当にそいつに聖者の適性があるか試す為には、なるべく実戦に近い状況を用意する必要があるのだろう。
「さぁ、早速来たわよ」
パルちゃんの視線の先に、やや離れた路地から、ぞろぞろと形骸種が出てくる。
さすがに三百年。俺と同じく、みんなスケルトン化してしまっていた。
『……ぁ、ぁ、かわいそう、に』
スケルトンの一体から、そんな声が発せられる。
授業でも習ったことだが、実際に目にするとやはり少し、心にくるものがある。
三百年前、俺はゾンビに適応し、自我を取り戻した。
そして義父であるダンは、ゾンビの体の動かし方に適応した。
俺は彼からそれを学び、直後に彼を倒したのだ。
あの当時、あの街では、俺たち二人だけだったが。
そこから、三百年も経過しているのだ。
適応速度が俺よりも遅い者たちでも、もはや形骸種の体をある程度自在に動かせるのだ。
この時代の形骸種は、本人の意志で喋るし、元が戦闘職だったならばその技術を扱う。
そしてたまに、特殊能力を扱う者さえいるのだ。
『あの子たち、まだ祝福を受けていないなんて』『あぁ、なんて哀れな』『すぐに祝福してあげないと』『永遠を分かち合わないと』
老若男女入り混じった声が、死んだ街に響いている。
――あぁ、そういや、そういう感じだったな。
ゾンビ化による不死を祝福だと思い込まされる、不愉快な呪い。
「戦えないと感じた者は、無理せず聖女の加護だけ纏っていなさい」
パルちゃんが言う。
死者を救済するなんて言って学園に入っても、実際にこれを見たら気持ちが折れる者もいるだろう。
彼らは物言わぬ死者ではない。言葉を話すし、優しい心でこちらに近づいてくる被害者なのだ。
それを殺すのが、現代の聖者。
『あそぼ……』
形骸種集団の中に、まだ幼い子供サイズの個体が混ざっていた。
『おねえちゃん……おにいちゃん……あそぼ』
それを見て耐えきれなくなったのか、何人かが胸を押さえて吐いてしまう。
クフェアちゃんとリナムちゃんも孤児院のガキ共を思い出したのか、顔を真っ青にしている。
完全に、封印都市の空気に呑まれてしまっているようだ。
そんな中、パルちゃんペアは当然として――お姫さんも覚悟を決めた顔をしていた。
「アストランティアサマは、ご自身の判断で形骸種を救済なさってください」
俺は骨の剣を鞘から抜き放つ。
「えぇ。貴方もご武運を、アルベール」
お姫さんの祈りを背中に受ける。
俺はパルちゃんを見ずに問うた。
「行ってもいいかい?」
「えぇ、わたくしたちは、残った子を守るわ」
答えを聞き終えてすぐ、俺は駆け出す。
『剣なんて持ってどうした、坊主』優しげな声で話しかけてきたスケルトンの首を飛ばし『あぁ、なんて酷いことを』と嘆くスケルトンの首を飛ばし『やめてくれ、殺さないでくれ』と命乞いするスケルトンの首を飛ばす。
完全なる死と共に彼らから気配が消え、大地に転がった骨はしばらくして風に溶けるように消える。
昔は遺体が残ったのだが、あれは死後間もないからだったらしい。
三百年分の時の流れを魔女の魔法で無理やり止めているだけなので、再び死が動き出したことによって堰き止めていた時が骨に襲いかかるのだろう。
だからすぐに風化してしまうのだ。
もう、彼らには死体を残すことさえ叶わない。
「三百年もよく頑張ったな。全員次の人生に案内してやるよ」
『何を言ってるんだ』『家族みんなで永遠に生きられるのに』『よくも夫を!』『人殺し!』『そんな君でも、我々は祝福を与えるつもりだ』『だからこれ以上、罪を重ねるのはよせ』
「いいや、あんたらは全員殺す。俺は聖騎士だからな」
俺は時に手首を切り落とし、時に足を切って機動力を削ぎ、時に蹴りで直接頭を吹き飛ばしながら、形骸種たちの不死を終わらせていく。
どうにも男の声を出すやつばかりが向かってくると思えば、俺の近くを淡い光が通り過ぎ、先程の小さな個体を包み込んだ。
光が晴れると同時、その形骸種はただの白骨死体となり、骨が地面にガラガラと転がる。そして、さぁと溶けて消えた。
「……次の生では、貴方が大人にまで成長できますように」
お姫さんの声。
今のは死者を還す魔法だ。
これは三百年前から存在するが、現代の形骸種にもちゃんと効く。
しかし一体一体当てていく必要があるのと、加護を展開しながらでは魔力操作が難しいので、やはり聖騎士の存在は重要。
お姫さんの場合は俺の加護に魔力を割かなくていい分、他よりも連発できるようだ。
俺のことを思ってなのか、子供や女性の声を発する個体を的確に還送している。
――まったく、いい主に巡り逢えたものだ。
俺の戦いを邪魔しないよう気をつけつつ、的確に補助してくれるとは。
最初の一団を片付けたが、形骸種はまだまだ出てくる。
「アルベール! あたしも加勢するわ!」
加護を纏って現れたのは、赤髪ポニテを風に揺らすクフェアちゃんだ。
彼女は疾風のような剣捌きで、三体の形骸種を還送する。
「もう大丈夫なのか?」
俺は戦闘を続けながら彼女に話しかける。
「想像するのと実際に目にするのでは衝撃が桁違いだったけど……でも、逃げ帰るなんて選択肢はないもの」
「格好いいじゃないか」
言いながら、俺は更に四体の形骸種に斬りかかる。
「そ、それに」
「ん?」
「一緒に戦うって、約束したし!」
彼女は形骸種一体を足払いで転倒させてから首を刎ね、そのまま体をひねってもう一閃。自分に迫っていた個体の下顎骨から上を斬り飛ばした。
「あぁ、そうだったな」
「ていうか、あんた強すぎ! なんでこっちが一人倒す頃には、四人倒してるのよ!」
「まぁ、君のお師匠さんだしなぁ」
どうやら、覚悟を決めて戦えているクフェアちゃんと、加護にブレがないリナムちゃんには適性がありそうだ。
「あと、加護つけなさいよ、見てて心配になるんだけど! 噛まれたらどうするわけ!?」
もう噛まれているよ、とは言えない。
「その時は君が殺してくれ」
「最悪の冗談言わないでくれる!?」
「あはは」
前方からは、こちらを祝福せんと迫る死者の群れ。
横には懸命に戦う友人がおり、後ろには見事な援護をしてくれる主がいる。
形骸種を殺すということは、人だった者を殺すということ。
気が滅入るのは変わらないが、三百年前よりも気分は沈まない。
慣れの問題なのか、それとも。
彼女たちの存在に、救われているところがあるのだろうか。
やがて、俺やクフェアちゃんの戦いを見て奮起したのか、他の生徒たちも参戦する。
最終的に、戦うことさえ出来なかった者は一人も出なかった。
「全員合格よ。次の波を片付けたら結界外まで撤退するから」
俺たちの適性を判断し終えたらしい。
パルちゃんペアも戦いに加わり、迫りくる形骸種たちは瞬く間に全滅。
「さぁ、撤った――」
瞬間、大地が揺れ、近くの建物が崩れた。
少し離れた地点から、紫色の炎が上がっている。
「――そんな、嘘でしょう」
パルちゃんが唖然としている。
「――『毒炎』」
オージアスがそう呟き、俺たちは全員が一体の形骸種のことを思い出す。
特定の場所から動かないが、その場所に近づいた場合のみ大暴れするという、十二形骸の一角。
――『毒炎の守護竜』。
「……誰かが竜を怒らせたみたいだな」
俺の呟きに応えてくれる者がいなかった。
誰もがまだ、状況を飲み込みきれずにいたのだ。




