32◇祭りと贈り物
「な、何か言ってください……」
祭りの当日。
寮の居間で合流した俺たちだったが、俺はお姫さんの格好を見て固まっていた。
修道服めいた聖女の衣装や、貴族令嬢らしいドレス姿ではなく、町娘のようなワンピース姿だったのだ。
少女らしさの残る美しい顔は照れたように桃色に染まり、不安そうにこちらをちらちらと窺っている。
純白のワンピース姿は彼女の白銀の髪と相まって、眩しささえ感じるほどだった。
「いや……似合ってるなと」
「そ、そうですか。ありがとうございます……その、メイド長が持たせてくれたのです。必要な時が来るかもしれないから、と」
「メイド長、いい仕事をしてくれたな……」
俺はお姫さんの家のメイド長に心の中で深く感謝した。
「迷ったのですが、今日はお祭りということで、動きやすい格好が向いているかなと思いまして……」
芸術に詳しくない素人であっても、見事な作品を見て思わず固まってしまうことがある。
先程の俺が受けた衝撃は、そういった類のものだった。
でもなければ、俺が小娘に見入るなんてこと、あるわけが……ない、よな?
「うん。かわいい上に、どこか幻想的でもあって、すごくいいな」
誤魔化すように、褒め言葉を畳み掛ける。
「ほ、褒めすぎですっ」
「いや本当本当。特に素晴らしいのはやっぱり――」
褒めすぎと言いつつ気になるのか、お姫さんが心なし耳を近づけてきた。
「――頭蓋骨の形かな」
「……………………はぁ」
形骸種ジョーク、不発。
お姫さんの目が一気に白けるのが分かった。
「いや、今のは冗談だけど、似合ってるのもかわいいのも本音だからな」
「そうですか」
一度冷めてしまうと、心を温め直すのには時間がかかる。
彼女も乙女であるということを失念してしまった俺が悪い。
どうにも調子が出ないのは、まだ彼女の姿を見た時の衝撃が抜けていないのか。
なんだかお姫さんの顔も上手く直視できないし、やや鼓動が乱れている気もする。
なんだというのだろう。
「それよりも……貴方は何故制服なのですか?」
俺は聖騎士の制服に身を包んでいた。いつも着ている純白のあれだ。
「お姫さんみたいな美少女連れてたら、男といてもナンパしてくる奴は絶対いるからな。でも、この制服着てたら近寄ってこないだろ」
聖騎士が側にいるということは、隣にいるのは聖女かもしれない。
聖女はお貴族様が大半だ。よほどの間抜けでなければ声を掛けたりは出来まい。
「そのようなこと……」
「こっちじゃ、お姫さんのこと知らないやつの方が多いんだ。用心しておくに越したことはないさ」
「……我が騎士が、そこまで言うのなら」
「よし、じゃあ行こう」
寮を出て、学園の敷地外に出て、しばらく歩いたところまではよかったのだが……。
「すっげー人だな」
人、人、人。
露天を構える商人や、店舗で客を呼び込む店主などがずらりと並ぶ。
そして、その間を埋め尽くすような通行人たち。
家族連れ、恋人同士、友人グループに、ほろ酔い気分のおっさんまで、街中の人間が外に出てきたかのように賑わっている。
「す、凄まじい熱気ですね」
「悪い、想像以上だった。お嬢様を人混みでもみくちゃにさせるわけにはいかないし、なんか別のところで飯食って帰ろうぜ」
俺はそう提案するのだが。
「あ、侮らないでくださいっ! 封印都市ではこの規模の形骸種に囲まれるようなこともあるやもしれませんし、逃げるわけには参りません!」
その理屈はよく分からないが、俺が思っている以上に祭りに乗り気だったのかもしれない。
「よし。じゃあ挑戦してみるか。でも『身体防護』は掛けないでくれよ。お姫さんに接触した通行人が片っ端から弾かれたら、被害がとんでもないことになりそうだからな」
連鎖的に通りの人間たちが倒れまくったら、笑い事にならない。
「……も、もちろん分かっています」
でも一瞬考えたろ?
俺はツッコむことはせず、改めて通りを見た。
「んー、でも難しいな。この人混みだと、一度逸れたら合流するのも楽じゃない。まさか手を繋ぐわけにもいかんし」
「……!」
俺が方法を考えていると、お姫さんに袖をちょこんと引かれた。
彼女は俯きがちに、喧騒に掻き消されそうな声で、言う。
「か、構いませんよ」
「いいのか? お姫さん、男と手を繋いだこととかなさそうだけど、初めてが俺になっちまうぞ?」
「自分をそう卑下するものではありませんよ。いつもの自信はどうされたのですか?」
「君がいいなら、いいけどな」
「えぇ。それに、今日のわたしは普通の町娘ですから」
微かに笑うお姫さん。
自分の服装のことを言っているのだろう。
「そうだな。普通の町娘なら、少し年上の格好いいお兄さんとお祭りデートしてもおかしくないな」
「そこまでは言っておりませんが」
そんな冗談を交わしつつ、俺は彼女に手を差し出す。
彼女はそれを、最初躊躇いがちに触れ、やがて意を決したようにぎゅっと握った。
白く細くすべらかな彼女の手を握り、いざ人混みに突入。
しかし手を繋いだはいいが、その所為で上手く人波を避けれないことに気づく。
だがもう流れには飲み込まれてしまった。
「……すまんお姫さん」
このままだと繋いだ手が離れてしまうと感じた俺は、近くにいる内に一瞬手を離し、彼女の腰を抱いた。
「ひゃうっ」
細すぎて不安になるくらいだが、今はそんなことを考えている場合ではない。
そのまま次の路地に入り、なんとか一息つく。
「でかい街だと、祭りの規模も違うな。俺の故郷では、もう少し余裕を持って遊べたんだが……」
「……」
俺は既に彼女から手を離している。
彼女は自分の膝に手を当て、息を整えていた。
「あー、さっきはごめんな。逸れない為とはいえ、勝手に触っちまって」
「い、いえ……。それに、これだけ街が賑わっているのは、よいことだと思います」
「この街の住人なら、この人の流れも慣れてるんだろうがなぁ」
観光だとやや厳しいか。
俺一人ならば少し歩けばコツを掴めるかもしれないが、お姫さんを伴ってとなると難しい。
彼女の息が整うのを待ちつつ、このあとどうするか考える。
「なぁ、あんちゃん。聖騎士の服を着た、そこのあんちゃんだよ」
すると、声を掛けられた。
俺たちは人通りの少ない路地に入ったのだが、そこでも露天を出している者がいた。
どうやらアクセサリーを扱っているらしい。
笑顔がどことなく胡散臭いおっさんだが、悪意は感じない。
「ん? 俺のことか」
「えらい別嬪さんを連れてるねぇ。まさか、貴族令嬢だったり?」
俺が聖騎士の服を着てるので、相手も聖女かも、と思っているのだろう。
正解なのだが……。
「いいや、プライベートだよ。これ着てると女ウケがいいんだ」
「あはは、そりゃ強いやつしか着れんものなぁ。そして女は強い男が好き、と」
「だといいんだがな」
「いやいや、祭りの誘いを受けるんだ、脈アリだろ。な、嬢ちゃん」
貴族の令嬢に無礼もいいところだが、お忍びで出掛けている上に今さっき彼の推測を否定したばかりなのだ、店主を咎めるのは違うだろう。
彼女が機嫌を悪くしていないのを確認してから、応じる。
「おいおい、答えを急かすなよおっさん」
「悪い悪い。じゃあ、絶賛口説き中のあんちゃんに、力を貸してやろうかね」
ようやく本題。最初から分かっていたことだが、乗ってやることに。
「あんたの店の商品を贈れっていうんだろ?」
「高嶺の花に挑むお前さんを応援すべく、割引してやるからよ」
「そりゃおありがたいことで。お姫さん、見てくかい?」
「えっ、あの、あっ、えと」
俺と店主の会話の早さについていけなかったのか、お姫さんはまだ戸惑っている。
「おうおう、お姫様呼びとはお前さん、この子にぞっこんなんだねぇ」
「あぁ、まるでお姫様みたいに可憐なお嬢さんだろう?」
「はっはっは、確かにねぇ」
褒め殺しにされたお姫さんは、耳まで赤くなっている。
休憩がてら覗いてみるが、貴族令嬢のお姫さんにとっては、全て玩具同然だろう。
だがこういった体験自体が珍しいのか、一度見始めると、お姫さんは楽しそうな顔になっていた。
その視線が、ある一点で止まる。
見れば、青い花を模した小さな髪留めのようだ。
「これがいいのか?」
「い、いえ、その……少し懐かしくなりまして」
言われてみると、お姫さんの家の庭園に、こんな花が咲いていたような。
早くも実家が懐かしくなってしまったのだろうか。
「おっさん、じゃあこれくれ」
「はいよ!」
「えっ、えっ」
俺は代金を払って、品物を受け取る。
それをそのまま、彼女に贈った。
「あ、あの、わたし、そのようなつもりでは……」
「わかってるわかってる。付けなくてもいいからさ、あの庭園を思い出すのに使ってくれ」
「――あ……。アル……ベールも、気づいたのですか?」
「まぁな」
お姫さんはそれでもしばらく迷っていたが、やがてそっと受け取ってくれた。
「あ、ありがとう、ございます。今、付けてもよいでしょうか」
「おう」
彼女はそう言って、前髪を留める。
「ど、どうでしょうか?」
「非常にお似合いです、お嬢様」
俺は恭しく一礼。
「ふふふ、ありがとうございます」
はにかむ姿は年相応で、俺の好みである大人の色香とは程遠いものだったのに。
どういうわけか目が離せなかった。
「アルベール?」
「あー、いや、なんでもない。どうする? もう一度人混みに挑戦するか?」
「そう、ですね。折角来たので、あの中をくぐり抜け、何か食べ物を手に入れてみたいです」
お姫さんが、より祭りに積極的になっている。
買い食いを『はしたない』と言っていた時を考えると、随分な進歩だ。
いや……俺の悪影響を受けているだけかもしれない。
「よし、じゃあ行こう」
すると彼女が、俺の横にぴとっとくっついてきた。
「あの……アルベール、でも、腰は恥ずかしいので」
また腰を抱かれると思ったようだ。
「あー……じゃあ、嫌じゃなければだが、俺の腕に掴まってくれ」
「は、はいっ」
利き腕が塞がるのは避けたかったので、彼女には左腕に捕まってもらった。
普段意識していないお姫さんの巨乳だが、腕に当たるとさすがにその密着感を無視するということはできなかった。
が、黙っておく。
これで離れられたら、再突入は出来ないのだし。
「こ、これでいいでしょうか」
「ばっちりだ。目指すは、この人混みで食い物を買うこと」
「そうすれば、少しはこのお祭りに適応できたと言えるでしょうね」
「よし、じゃあ行こうぜ」
「はい、参りましょう!」
俺とお姫さんは再び人混みに入っていく。
後ろから、さっきのおっさん店主の「お似合いじゃないか」という声が聞こえたような、聞こえなかったような。
この数日後、俺たちは『毒炎の守護竜』がいるという封印都市へ向かうことになる。




