30◇二人きりの時間と二年後の予約
その後しばらく、何事もなく学園生活が過ぎていった。
クフェアちゃんとリナムちゃんは、一般からの受験者たちの希望の星となっているようで、なにやら派閥めいたものが形成されつつある。
どこか庇護を求めるような面もあるのだろう。
クフェアちゃんの友人だと思われれば、貴族たちも手を出してこないみたいな。
お互い納得しているなら、俺はそういう打算込みの関係もありだと思う。
あと、俺とお姫さんも仲間認定されているようだ。
小娘とはいえ聖女は等しく女性で、聖騎士も少ないとはいえ女性もいるので、俺としても構わない。
最初が打算だったとしても、そこから親しくなることだってあるだろう。
お姫さんもクフェアちゃんたちも、今のところ嫌がっていないようなのでいいだろう。
それに一般人ならば、貴族のしがらみもないので親しくなっても問題は――なんて考えていたら、心を読んだかのように我が主が「アルベール?」と底冷えする声で名を呼ぶので、少し驚いた。
お姫さんの俺に対する理解が凄まじい速度で深まっている気がする。
そんなこんなで、ある日の休日。
俺とお姫さんは、またしても孤児院に来ていた。
土産は、それを子供たちがそれを当たり前だと思うとよくないとのことで、あんまり甘やかさないようにとクフェアちゃんたちに言われている。
なので、二回か三回に一度くらいのペースにしている。
男はどうでもいいが、ここにはばあさんも孤児院のママことエーデルサンも、クフェアちゃんやリナムちゃんやチビのリナリアもいる。
あくまで、女性のためなのである。
今日の差し入れは肉にした。
それを見たばあさんが、大層感謝したあと、夕飯をシチューにすることを決定。
材料を買いに出かけるというので荷物持ちをしようとしたら、何故かリナムちゃんとガキ共に、自分たちが行くので残るよう言われる。
不思議に思いながらばあさんたちを見送ったあとのことだ。
「あ、おひめちゃん、リナのたからものみる?」
と、リナリアが言い出す。
お姫さん呼びをついうっかり聞かれたことで、何人かの子供が真似するようになってしまったのだ。
お姫さんも、子供のすることだからと許している。
「あら、わたしが見てもよいのですか?」
「とくべつだよ? ついてきて!」
そう言って、リナリアはお姫さんをどこかへ連れて行ってしまった。
そして、俺とクフェアちゃんだけが残される。
「あ、あの、もらった肉……厨房に運んじゃいましょう」
「あぁ、そうだな」
クフェアちゃん、やけに緊張しているような……。
俺は肉を持ったまま、クフェアちゃんに厨房まで案内してもらう。
――うぅん……これは絶対、何かあるな。
みんながクフェアちゃんに気を遣って、俺と二人きりにしようと動いていた。
さすがにバレバレだ。
「あ、アルベール」
「どうした?」
「――って、呼んでもいいかしらっ」
クフェアちゃんの顔が彼女の髪色並に赤い。
「もちろん構わないとも」
「そ、そう……ありがと」
「俺は今まで通り、クフェアちゃんって呼ぶよ」
「いいけど、別に」
そして会話が途切れる。
「何か話したがってるみたいだったけど、名前のことだったのか?」
「……うっ。ち、違うの。その、うー」
彼女は自分の顔を両手で覆ってしまった。
だがすぐに、吹っ切れたように顔を上げる。
「修行の件も、その前のことも、本当に感謝してるわ!」
「そうか。どういたしまして」
前にも言った気がするが、感謝は何回されても悪い気はしない。
「そ、その……それでね。何か、お礼をしなくちゃって、リナムとも話をしたの」
「気にしなくていいんだけどな」
「そうはいかないわよ。ただ、その……何かを贈れるほどの余裕は正直なくて……。だから、行動で返せればなって」
なんかこの流れ、お姫さんの時にもやったような……。
あれは八位に勝った時だったか。
「あ、あたしにしてほしいこととかあったら、なんでも言って頂戴」
彼女が自分の胸に手を当てて、そんなことを言う。
クフェアちゃんが、最大限に勇気を振り絞ったのが分かる。
自分に差し出せるものは、自分の行動しかないということなのだろう。
しかしその言葉、大抵の男は勘違いしてしまうと思うのだ。
俺も、少女が対象外でなかったら、どうなっていたことか。
「あ、あたしなんかじゃ、アルベールの助けにはならないかもしれないけどっ」
やはり、そういう意味ではなかったようだ。
早とちりしなくてよかった、と俺は胸を撫で下ろす。
「そんなことないさ。仲間がいるのは、ありがたいよ」
「ほんと……?」
「あぁ、訓練が進んだら班を組んだりするらしいじゃないか。そうなった時は一緒にやろうぜ。まぁ、お姫さんやリナムちゃんの意見も聞かないとだが」
互いにサポートをし合う数組編成の部隊を形成するのだと、教官に聞いている。
この場にいない二人も反対はしないだろう。
「う、うん……!」
俺の提案に、クフェアちゃんが嬉しそうに微笑んだ。
それを機に、俺たちの間に和やかな空気が流れる。
「いやぁ、よかったよかった。俺、さっき一瞬勘違いしかけたんだよ」
「勘違い?」
「してほしいことなんでもって言うから、エロい話してるのかなと」
クフェアちゃんが固まる。
いつもの彼女なら「そんなわけないでしょ!」とツッコんでくれると思っての発言だったのだが……。
見れば、顔を赤くして、やや俯きがちに、自分の手と手を腹の前で絡ませていた。
ポーズと巨乳の関係で、胸がむにゅうっと形を変えて存在感を主張している。
対象外とか以前に、目の前でこれだけ豪快に形が変わったら、視線を向けないのは無理だ。
「そ、そういう意味でも、してほしいこと……あった?」
その声は甘く上擦っており、彼女は水気を帯びた瞳で、俺を上目遣いに見つめていた。
彼女にとって、イジメっ子関連の俺の介入は、かなり大きな出来事だったようだ。
そのことを、彼女のこの態度で悟る。
「えー、いやぁ……」
どう答えたものか悩んだ間を、彼女は拒絶と受け取ったようだ。
「や、やっぱりないわよね。あたしなんか、リナムみたいに守ってあげたい雰囲気もないし、アストランティアみたいに美人でもないし……」
そんなことを言いながら、クフェアちゃんが泣きそうな顔になる。
俺は咄嗟に口を開いていた。
「何を言うんだ。家族を護り養う為に、強く在ろうとする君の姿は、気高く美しい。相手に何をされても決して心が屈することなく、涙を流すまいと堪える姿は格好良かったよ」
「……アルベール」
「あと、何か勘違いしてるみたいだが、君はとんでもなく――かわいいぞ?」
「えっ」
「だから、間違っても俺以外にさっきみたいなことを言わないように気をつけてくれ。我を忘れた雄猿が、盛って飛びかかってくるからな」
俺が近くにいれば、そんなやつは斬って捨てるのだが。
「い、言わないし……」
「ならよかった」
「ねぇ、アルベール。それより今の、ほんと? あたしが、その、か、かわ……」
「あぁ、かわいいと思うよ」
事実を言うのに抵抗はない。
「じゃ、じゃあ、さ、触ったりとか、したいんだ……?」
……。
「クフェアちゃんは何歳だったっけ?」
「十六、だけど……」
十五歳で入学なのは聖女だけ。聖騎士の年齢にはかなりの幅がある。
クフェアちゃんはどうやら、リナムちゃんの一つ年上だったようだ。
「ぐぅ……!」
「アルベール? なんでそんな悔しげな顔をしてるの?」
「二年後……二年後にまた同じ質問をしてくれ……ッ!」
「な、なんで二年後……?」
「君は何も悪くない。ただ、俺の方の事情なんだ……!」
「そ、そう……」
クフェアちゃんは戸惑いの表情を浮かべつつも、それ以上聞いてこなかった。
やがて、彼女はくすりと笑いだす。
「アルベールって、なんか変ね。母さんに色目使うからえっちなやつかと思ったけど、あたしたちには紳士的だし、アストランティアにも優しいしさ」
それは、君たちがまだ少女だからです。
「いや、俺は色んな女性と親しくなりたい、そういう男だよ」
「そうなの?」
「あぁ」
「ふぅん?」
クフェアちゃんは悪戯っぽい笑みを浮かべ、俺に一歩近づいてくる。
「じゃあ、あたしは二年後に親しくされちゃうんだ?」
「……君の気が変わらなければ、そうさせてもらいたいね」
「そっか」
彼女は後ろで手を組みながら、厨房の外へ足を向ける。
そして出ていく直前、眩しい笑顔でこう言った。
「死ねない理由が、一つ増えちゃったなぁ」
聖者は死と隣合わせの仕事。
確かに、二年後なんて遠い未来の話と同じだ。
「……死なせないさ。一緒に戦うんだろ?」
まずい。
俺も、まだこの世に留まる理由が、一つ増えてしまった。
この健気な少女が大人の女性に成長する姿を見届けるまで、死ぬわけにも死なせるわけにもいかない。
「そうね。一緒に生き残りましょっ」
「あぁ、絶対にな」




