28◇クッキーと覚悟
その日クフェアちゃんは早退することになった。
俺とお姫さんは、授業を終えてから孤児院へ向かう。
「お、そうだ」
道中、俺は菓子店を発見。
「……手土産ですか?」
「まぁな。肉とかの方が喜ばれるかもしれんが、疲れた時は甘いもんだろ」
「では、支払いはわたしが」
「え? いやいいって」
「お二人はわたしにとっても……ゆ、友人です。なのにあの場でわたしは何も出来ませんでした。せめて今、何かしたいのです」
まぁ、模擬戦の件はルール上は問題なかったりもしたので、お姫さんも強く咎められなかったのだろう。
そもそも、咎められても言い逃れが出来るように仕組んだものだったろうし。
こういう時、真っ直ぐな性格をした者は損かもしれない。
俺のようにひねくれた奴の方が、敵の搦め手には強かったりするのかも。
「んじゃまぁ、頼もうかな」
「はい」
お姫さんから財布を預かり、適当に焼き菓子を選ぶ。
注文した量が多かったからか店員さんに驚かれたが、特に問題なく包んでもらう。
「いい匂いですね」
店から出ると、お姫さんの表情が少し綻んだ。
紙袋から漂う焼き菓子の匂いに気づいたようだ。
「ここで少し喰うか?」
「そんな、はしたないです」
あぁ、お姫さんもお嬢様なんだなぁ、とこんなところで思う。
そうだよな、お貴族様は買い食いとかしないよな、そりゃ。
俺は気にせず袋を開け、クッキーを一枚頬張る。
「あ――もう。そもそも手土産を自分で食べてどうするのです」
「うまいうまい。あ~ほどよい甘さとサクサク感。うまいなぁ~」
「……わざとやっていますね?」
お姫さんが目を細めて俺を睨んだ。
「アストランティアサマもいかがです?」
俺はもう一枚取り出し、お姫さんの口許へ向ける。
「そんな……歩きながらなんて……でも、うぅ……」
「味見ですよ。美味しいかも分からないものを、手土産に渡すおつもりですか?」
「っ。そ、それもそうですね。では――」
彼女がクッキーを受け取ろうとした瞬間、俺は彼女の口にそれを放り込む。
「むぐっ」
お姫さんは抗議するような視線を向けてきたが、吐き出すことはせずにもしゃもしゃと可愛く咀嚼。んくっと飲み込んでから「……甘いですね」と呟いた。
頬に朱が差しているのだが、照れているのだろうか。
「いやぁ、街中で『あーん』だなんて、俺たち道行く人に恋仲と思われたかもしれませんねぇ」
「なっ、さ、先程のは貴方が強引にっ」
やはり照れていたらしい。
「冗談です」
「~~~~っ。不敬っ、不敬ですっ! の、呪いますよっ」
「既に呪われておりまーす」
お互い気をつけて、小声で冗談を交わす。
よしよし、店先では少し落ち込んだ様子だったが、元気になったようだ。
そんなふうにお姫さんと仲良く歩いていると、孤児院が見えてきた。
「アルくーん」
とてとてと駆けてくるのは、いつぞやの幼女だ。
薄紫の髪をツインテールに結っている。
どうやら俺が来ると聞いて待っていたらしい。
童女は対象外どころではないが、そこまで健気なことをされては冷たくも出来ない。
アルくん呼びくらいは許してやろう。
俺の足にひっついてきたチビの頭を、軽く撫でる。
「おう、元気だったか。リナリア」
「うん!」
「そりゃよかった。ほら、土産買ってきたぞ」
俺は紙袋からクッキーを取り出し、リナリアの口の中に放り込む。
こちらは抵抗なく口を開いて、クッキーをもぐもぐと食む。
そして、星でも煌めいたかのように、パァッと表情を明るくした。
「おいふい!」
「食べながら喋るな」
クッキーに感激するリナリアを伴って、孤児院の入り口へ向かう。
「あ、兄ちゃん!」「ほんとに来た!」「もう休みの日!?」「いや、クフェア姉ちゃんと約束あるって言ってたろ」「剣教えて!」
庭で遊んでいたガキどもが群がってくる。
「えぇい、男が俺を囲むな! 俺を囲んでいいのは女性だけだ!」
「あはは、兄ちゃんほんとに『おんなずき』だなー」
「当たり前だろうが。お前らと話すくらいなら、聖女サマと話したいのが男の性というもんだ」
「聖女サマ?」「エーデル母さんのこと?」「母さんはお仕事に行ってるよ」「兄ちゃん、母さん狙ってんの?」「げー」
どうやらあの人はエーデルといい、更には孤児たちに母と慕われているようだ。
ガキの質問に「当然だ」と答えようとしたのだが、リナリアがいることを思い出す。
「アルくん、ママ好きなの?」
つぶらな瞳で、そんなことを尋ねてくる幼女。
「……お前らみんなを育ててる、優しい人なんだろ。誰でも好きになるさ」
「うん! リナもママすきー」
ふぅ、誤魔化せてよかった。チビに大人の恋愛はまだ早い。
「それよりさー、兄ちゃんこの人だれ?」
ガキ共がお姫さんの方を囲みだす。
「俺の主だよ。どさくさに紛れて尻を触ったりするような奴は、首を斬るから覚悟しとけよー」
「あ、アルベール。子供をそのように脅すものではありませんよ」
「いや、アストランティアサマ。ガキにはこれくらい言わないと通じませんよ」
「えっ、じゃあ貴族様!?」「クフェア姉ちゃんをいじめたやつ!?」
「違うっつの。この御方は、良い貴族だ」
「そんなのいるのかよー」
「いるいる。超たまにいる」
ガキ共と喋りつつ、建物に近づいていく。
「そういやガキ共、前にいた奴らが何人かいないが、仕事行ってんのか?」
「うん。俺たちのこと雇ってくれる人なんてあんまりいないから、全員は無理だけど」
農民ならば、六歳七歳くらいのガキでも、自分の家の仕事を手伝わされたりする。
だが都市部で、しかも孤児を雇ってくれる者は中々いないのだろう。
見れば、ガキ共の中で背の高かった数人がいないので、そいつらだけなんとか働き口を見つけられた、という感じか。
「そうか」
「だから、兄ちゃんに剣を習うんだ」「そうそう、魔獣倒したりして金を稼いで、みんなで肉を喰う!」「その前に、姉ちゃんいじめた貴族を倒さないと!」「姉ちゃん、それ自分でやるって言ってたろ」「でもさー」
ボロボロの格好をしたガキたちが、どうにも眩しく見える。
「――あんたたち、なに騒がしくしてんの」
建物に入る直前、クフェアちゃんが出てきた。
彼女の叱りつけるような声に、ガキ達がびくりと震える。
「兄ちゃんが来たから、案内しようとしただけ!」
彼女は気丈に振る舞っているが、目許が赤く腫れていた。
どうやら、俺達が来る前に泣いていたらしい。
「あら、本当に来てくれたのね」
「当たり前だろ。俺と君の仲じゃないか」
「どんな仲よ」
「そんな……俺の口から言わせたいのかい?」
俺が身体をくねらせて言うと、クフェアちゃんが顔を歪めた。
「きもっ」
「あはは」
ツッコミが出来るのなら、まだ大丈夫だろう。
「あっ、アルベールさん! アストランティア様も、来てくださったんですね」
リナムちゃんも出てくる。
「お邪魔しています」
お姫さんが一礼すると、リナムちゃんが慌てた。
「いえっ、本当に大したおもてなしは出来ないのですが、来てくださって嬉しいですっ」
「お気になさらず。リナムさんとお話しができれば、それで充分ですので」
「わ、私なんかでよければ……えへへ」
リナムちゃんは、お姫さんに心を開いているようだ。
陰口集団への一喝が効いたか。あれ、格好良かったもんな。
「クフェアちゃんも、俺が来て嬉しいよな?」
「は?」
「あはは、照れてる照れてる」
「あんた無敵?」
「割とな」
本気で拒絶されればもちろん退くが、クフェアちゃんは素直じゃないだけだ。
「なー兄ちゃん、それ何持ってんの? なんかいい匂いするんだけど」
ガキの一人が、目ざとく気づく。
「土産だよ。こちらのアストランティアサマが買ってくれたんだ。お前らの分もあるから、感謝して食え」
「土産!?」「食い物!」「やったー!」「ありがと、あ、あすと、らんてあサマ?」
「あ、はい。どういたしまして、落ち着いて召し上がってくださいね」
ガキ共はまるで祭りかのように騒いでいる。
相手してられないので、配る役はリナムちゃんに任せた。
「じゃあみんな、お茶も用意するから、食堂に行こうね」
「お姫さんも行っててくれ。俺はクフェアちゃんと早速訓練するから」
「え、えぇ、では……」
頷きはするが、お姫さんはなんだか不安そうだ。
「失礼しました、アストランティアサマ。貴女の聖騎士、このアルベールが共にいなければ心細いでしょうに、このような無理難題を――」
「い、行けますっ! 行けますからっ。リナムさんとお話ししていますので、そちらもどうぞごゆるりと! どうか、クフェアさんにご迷惑を掛けないように!」
頬を膨らませて怒ったお姫さんが、リナムちゃん達を追いかけるように歩いていく。
「……んで、リナリア。お前はどうして残ってるんだ」
「くっきー……もう食べちゃったし」
あぁ、一緒についていっても、自分は食えない。
ならば行っても……ということか。
俺は彼女の側に屈み、耳に顔を近づける。
「お前がクッキー食べたのは、誰にも見られてないだろ? 俺も秘密にしてやるから、もう一枚食ってこい」
彼女は一瞬顔を明るくしたが、すぐに首を横に振った。
「他の子のぶん、なくなっちゃう」
「心配するな。最初から多めに買ってあるんだ」
「ほんと?」
「おう」
「じゃ、じゃあ、リナ、たべても、いいかな」
そわそわしだす彼女に、俺は頷く。
「食え食え」
「やたー!」
瞬間、リナリアは駆け出した。
だが途中で立ち止まり、こちらを振り向いて満面の笑みを浮かべる。
「アルくんすきー」
「そうかよ」
俺は立ち上がり、クフェアちゃんに視線を向ける。
「クフェアちゃんも、あとで食べてくれよ」
「……うん」
「じゃあ、早速始めるか。あ、木剣とかあるか?」
「……持ってくる」
彼女を待つ間に、敷地内の開けた場所に移動しておく。
前回、ガキ共と剣術ごっこをしたのと同じところだ。
しばらくすると、木剣を二振り持ったクフェアちゃんが戻ってきた。
片方を受け取って、軽く振る。
「あ、あの……っ」
「んー?」
何気なくクフェアちゃんに視線を戻すと、彼女はとても真剣な顔をしていた。
「アルベール殿――よろしくお願いします」
そう言って、彼女は俺に頭を下げた。
「……あぁ、ちゃんと君が勝てるように指導するよ」
「あたし、負けたくない。あのペアにってことじゃなくて――こんな現実に」
彼女の身体は小刻みに震えている。
他の生徒たちの目がある中、あんな屈辱を味わわされたのだ。
悔しくて当然だ。
「大丈夫だ、強くなれば奪われない」
都市一番くらいの強さでは、義父や自分の人生を奪われてしまったけれど。
それは強さが足りなかったということだ。
ならば世界で一番強くなってでも、奪われない己を体現するのみ。
少なくとも、イジメっ子の学生程度突破するのに、それほどの力は必要ない。
「あたし達の人生の邪魔を、させたくないの」
クフェアちゃんたちが、あの貴族たちに敵対したわけではない。
ただ貧乏というだけで嫌われ、攻撃されたのだ。
反撃する権利は、ちゃんとある。
「簡単だ。障害は、取り除けばいい。立ちはだかる壁は、壊せばいい。勝つ為になんでもする覚悟があるのなら、一週間後の勝者は君たちだ」
彼女は顔を上げ、大きく頷いた。
「わかった、なんでもするわ」