16◇記憶と墓地
メイド二人との和解も無事に済んだことで、俺たちは移動を開始。
お姫さんと二人、馬車に揺られて目的地へと向かう。
俺はというと、目的地のことで少し考え事をしていた。
「ほ、本当はっ」
その沈黙をどう受け取ったのか、お姫さんが上擦った声を上げる。
「ん?」
「本当は、すぐにでもご案内すべきだったのですが……。相手側の了承を得るのに難航いたしまして……」
「そっか。大丈夫、別に気にしてないさ」
どうやら目的地は、お姫さんの家が直接管理しているわけではないようだ。
ということは、もしかすると……。
「アル殿?」
「どうした?」
「い、いえ、その……」
お姫さんの不安そうな顔を見て、俺は反省する。
彼女は今日、出逢った当初から俺に隠していたことを明かそうとしている。
そのことで俺が気分を害してはいないかと、彼女は不安なのだろう。
「本当に気にしてないから、そんなビクビクしないでくれ。こっちがいじめているみたいな気分になってくる」
少し笑いながら言うと、彼女はようやく安堵したような顔をする。
それから、拗ねたように片頬を膨らませた。
「びくびくなど、していません」
「そうかぁ?」
「口数が極端に少なくなっていたので、気になっただけで……」
俺から視線を逸しながら、そんな誤魔化しを口にするお姫さん。
微笑ましいことだ。
こんな子供っぽい仕草を見せてくるようになったのは、それだけ心を開いてくれたということなのだろうか。
彼女の立場を思うと、『とこしえの魔女』の血縁者であることを一切気にしない存在というのは、それだけ珍しいのかもしない。
「隠し事の一つや二つで怒るほど、心は狭くないから安心しろ。ただし、相手が女性の場合に限る」
「……そう、ですか」
冗談っぽく言っても、彼女の顔色は回復しない。
「本当に、お姫さんには怒ってないよ。ただ、考えことをしていたんだ」
「考え事……」
「あぁ、少し、昔のことを思い出そうとしてた。さすがに、三百年前の記憶だからな」
誰だって、大人になればガキの頃の記憶が朧げになるものだ。
すぐに思い出せるのは印象深い幾つかの記憶だけ。
それ以外は靄がかかったように不鮮明か、そもそも思い出せないか。
「何か、思い出せましたか」
「まぁまぁかな。俺は孤児だったんだが、むかつく聖騎士のおっさんに拾われてな。綺麗な奥さんと、腹立たしいくらいにツラの整った息子がいるってのに、俺みたいなのを引き取るような、変なやつだったよ」
「……あの街の英雄、聖騎士ダン殿ですね」
「はは、それも知ってるんだな。まぁ、そのおっさんもゾンビになっちまったんだけどな」
「……はい」
「最終的には、ちゃんと殺したよ」
「…………」
更に空気が重くなってしまった。
「あとな、ビオラっていう大層美人な馬がいたんだ。最高の相棒だった。無事に逃げ切れてたらいいんだが」
「黒い毛並みの、牝馬ですね」
「そうそう。ってことは、逃げ切れたのか」
「……その馬は、ある親子を除けば、他に誰も乗せることなく生涯を終えたと記録が残っています」
「――そうか」
母と弟を頼むという俺の願いを聞き届けてくれたのだろう。
あの親子以外を乗せなかったのは、俺を最後の主と定めていたからか。
「……貴方も、決して牝馬には乗らないようにしていると、聞きましたが」
領内の女性やついでに男共を助ける際に、馬が必要になることも多かった。
お姫さんの家が馬を貸し出してくれたのだが、俺は絶対に牝馬は選ばないようにしていたのだ。
馬の世話をしている者から、その情報が漏れたようだ。
「馬ってのは人間が思っている以上に繊細だったりするもんでさ、相棒が別の馬に乗るところを見ると拗ねたりするんだ」
「では、その子の嫉妬を買わぬように、と?」
「いつかビオラと再会した時に、別の女に乗ってたからと拗ねられたら困るだろ」
「……そう、なのですね」
重苦しい空気は脱することが出来たが、今度は少し、しんみりとした空気になってしまった。
俺はおどけたような口調を意識して、お姫さんに語りかける。
「今、『馬のメスには一途なんだな』って思った?」
「い、いえ、そのようなことは……少し、だけ」
「あはは」
冗談に合わせてくれたというより、彼女の正直さが出ただけだろう。
とにかく、固さが少しとれてきたようで何より。
「多分、自分を乗せてくれる相棒という存在に関しては、俺はビオラで満たされてたんだな」
満ち足りていたから、他の馬には意識が向かなかった。
「……人間の女性では、満たされないと?」
「いやいやいや、女性はそれだけで素晴らしい存在ですよ、アストランティアサマ」
だが、幼い頃、誰かが言っていた『幸せ』についての話。
いい女を抱き、愛する者を守ること。
これに関して、自分が辿り着いたという感覚を、ついぞ味わうことが出来なかった。
いや、ついぞも何も俺は死んでいない。死んだけど、生きてもいる。
ならばまだ、機会はある筈だ。
本当の死を迎えるまでの間に、到達できるといいのだが。
と、そこで馬車の速度が緩やかになったことに気づく。
「そろそろかな」
「えぇ、おそらく」
俺が連れてこられたのは、教会に併設された墓地だった。
緑豊かな広大な空間に、無数の墓石が並んでいる。
馬車から降りた俺たちは、お姫さん先導のもと進む。
「いい墓地じゃないか。俺も街のやつらを埋葬したが、さすがにこんな立派なもんは作れなかったよ」
「全員を、ですか? ……確かに、他の封印都市で見かけるような亡骸を、あの街では発見できなかったと報告は受けていましたが」
お姫さんから、尊敬の眼差しを向けられているような……。
「いや、立派な志があったからじゃないぞ。いつの間にか結界とやらで出られなくなったから、暇つぶしがてらやっただけで」
「とても立派な行いですよ、我が騎士アル」
「そういうもんかね」
人々を魔女の呪いから解放して埋葬したと言えば、確かに聞こえはいいかもしれない。
だが一度ゾンビになった俺はわかる。
押し付けられた感情だとしても、ゾンビたちは幸福な不死者となっていたのだ。
それを強引に殺し直したのが俺だ。
墓を建てたくらいで、殺したやつらの気が済むかは微妙なところだろう。
「……あちらです」
お姫さんが、ある地点を手で示す。
どうやら、俺一人で行かせてくれるようだ。
「あぁ、じゃあ行ってくるよ」
「のちほど、必ずや詳しくご説明いたしますので」
「わかった」
彼女から離れ、指し示された墓へと進んでいく。
隣り合う二つの墓石には、知った名前が刻まれていた。
『ロベール=マクフィアル』『ミルナ=マクフィアル』。
義弟と義母の名だ。
だが聞き覚えのない名字が追加されていた。
「……へぇ、家名を貰ったのか。出世したじゃないか、義弟よ」
お姫さんの、というより彼女の家が俺に関して知っていたのは、この二人を保護するなり引き取ったなりしたから、だったのだ。
そして、分かってはいたことだが。
二人はもう、この世にはいないのだ。
それもその筈。
普通の人間は、三百年も生きられない。
あの日、二人が生き延びたことを喜ぶ気持ちも確かにあるのに。
何故か、胸に孔が空いたような気分になる。
いつだったか、こんな感覚を味わったことがあるような。
あぁ、面倒みてくれていたジイさんが死んだ時と、ダンが死んだ時か。
では、人はこれを、喪失感と呼ぶのかもしれない。
俺は墓の前に屈み込み、二つの墓石を眺める。
「三百年ぶりだな、二人共」