7話
どうして、こんなことになってしまったのだろう。王都には二度と近づかないと決めていたのに。
「用事が終わり次第、私はすぐにアカイ村へ戻ります」
「分かってる。それまでは付き合ってくれ」
ルイさんはそう言うと、私の荷物を馬の上に乗せた。
ルイさんの説得に陥落してしまった私は、ルイさんと共にアカイ村を発つことになった。村長は「誘拐だ!」とルイさんに息を荒くして迫っていたが、若い男衆たちの手によって押さえつけられた。
旅立つ私に「お土産待ってるからね」と、村人たちは呪文のように私に向かって何度も唱えた。どうやら、ルイさんから頂いた王都の品々が気に入ったらしい。
王都なんて怪しげな人間が怪しげな取引をするような場所だ、やっぱり田舎が一番だ、といつも言っていたのに。手のひら返しが得意な村人たちである。
かくして、ルイさんの馬に乗って、二度と近づかないと誓っていた王都へ私は向かうことになった。
「大丈夫か?」
「も、申し訳ありません…。乗馬には慣れていなくて…」
村を出てからすぐに、私はギブアップ宣言をした。
ルイさんが手綱を握る馬の上に私は乗せてもらったのだが、走る度に馬が酷く揺れ、私の体調は一気に悪化していった。まるで胃袋を掻きまわされたような気分だ。
車や船でいう乗り物酔いの状態である。
「少し休もう」
私の体調を気遣ったルイさんは、木陰に私を休ませてくれた。
神殿時代は、神殿から全くと言っていいほど外に出なかった。馬に乗る機会などなかったのである。そして、アカイ村に来てからも馬とは無縁の生活を送っていたので、今日のような本格的な乗馬は初めてだった。
「本当に申し訳ありません…。ルイさんにはご迷惑をかけてばかりですね…」
「いや、迷惑をかけているのは俺だ。お前を無理やり村から連れ出した俺が悪い」
昨晩の強引なルイさんと打って変わって、今日のルイさんは腰が低いように感じた。口調が柔らかく、私を気遣っている。おそらく、私を連れ出したことに対して罪悪感があるのだろう。
きっと私はルイさんの足手まといになる。遠出する程の体力が、私にあると思えない。アカイ村に何とか辿り着いたあの日だって、時間の感覚が分からなくなるくらい歩き続けて、やっと辿り着くことが出来たのだ。
どうか、このまま私を置いて一人で王都へ戻って欲しい。
「俺がお前を無事に王都へ連れて行く。だから、無理はするな」
ルイさんの言葉に、私はギクリと身体を震わせた。もしかして、心の声が聞こえたのだろうか。そんなことはないと願いたいが。
無事に連れて行かれても困るんだけどな…という心の声を口に出す勇気は、私になかった。
私が酔ってしまうということが分かったので、馬と徒歩を交えながら王都へ向かうことになった。馬での移動だけなら王都までは三日、徒歩だけの場合一週間はかかるという。
「ルイさんは、神の愛娘というものをご存じでしょうか?」
馬を引きながら先を行くルイさんの背中に、私は尋ねた。
「神の愛娘…?ああ、歴史か何かで聞いたことがある。随分昔に現れたという異界の娘だったと思うが…。それがどうかしたのか?」
「いえ、何でもありません」
私の唐突な質問に、ルイさんは首を傾げた。
四年前に神の愛娘が現れたことを、神殿は未だ隠しているようだ。王都で暮らしているルイさんが『神の愛娘』の存在を知らないということは、王都の人々が私を見ても神の愛娘を連想することはないということだ。
私が『神の愛娘』だと知っているのはほんのわずかな人たちだけ。そして、高い位の役職を持つ人たちだけである。彼らと遭遇さえしなければ、どうにかなりそうだ。王都は広い。遭遇する確率はかなり低いだろう。
「どうして私なんですか?王都にはたくさん人がいますし、私のような田舎者より都会の華やかな女性の方が、ダンスも上手だと思いますけど」
「え、いや…それは……」
アーニャでなければいけない、ルイさんは何度もそう私に言っていたが、何故私でなければいけないのだろう。
じっとルイさんの瞳を見つめる。すると、視線から逃れるようにルイさんは顔を勢いよく反らした。
「お前が欲しかったんだ」
二人の間に沈黙が訪れる。
私が欲しい?どういう意味だろう。
「すまない、言葉が足りなかった。お前の才能が欲しいと思ったんだ」
怪訝な顔をしている私の様子に気が付いたルイさんは、慌てて自分の言葉を訂正した。その顔は、熱でもあるんじゃないかと疑うほど赤く染まっている。
ああそういう意味か、と私は苦笑いを浮かべた。
「でも私には才能なんて…」
「お前の個性あるダンスに才能を感じたんだ。お前の個性はお前にしかない」
私の個性あるダンス?昔教わった通りに踊ったつもりだったけれど。そんなにユニークな動きをしていただろうか。
「とにかく、今は先を急ごう。この辺りは治安が悪いと聞く。長居は無用だ」
二人の間に漂う微妙な雰囲気を振り払うように、ルイさんは力強い歩調で歩き始めた。慌てて私もその後を追う。取り敢えず、今はルイさんの後を追うしかない。私はアカイ村への帰り道も、王都への進路も知らないのだから。
*****
王都に辿り着いたのは、アカイ村を発ってから五日後のことだった。
中学、高校は帰宅部、そして神殿で暮らしていた時も運動とは無縁の生活を送っていた私にとって、この五日間は地獄だった。炎天下の中、ただ黙々と歩き続けるのは非常に苦痛だった。
五日間とも宿屋に泊まることが出来たので、野宿をせずに済んだのは幸いだった。もし野宿だったら、私は音を上げていただろう。
私と同じ距離を歩いたルイさんは、五日間歩き続けたというのに息を荒げる様子が一切見られなかった。さすがは日ごろの鍛錬の賜物だ。
ルイさんに案内されて辿り着いたのは王都の外れにある大きな屋敷だった。
いくつもの窓が並んだ煉瓦調の屋敷である。庭には色とりどりの花が咲き誇っており、その中心には白い椅子やテーブルが置かれたテラスがある。
「ここはどこです?」
「俺の家だ」
「い、家!?」
私の家の何倍あるのだろう。五倍…いや、十倍?それどころか、元の世界の私の家よりも大きい。王都では大きな家を所有することが普通なのだろうか。
「ダンサーって儲かるんですね…」
「ま、まあな…」
罰が悪そうにルイさんは頷いた。
「アーニャはそこで待っていてくれ。家の者たちに客人がいることを伝えてくるから」
ルイさんはそう言うと、屋敷の中へと消えていった。残された私は取り敢えず荷物を地面に置くと、静かな庭を一望した。手入れの行き届いた花や木々が風に揺れている。
ルイさんが私の家を小屋だと言った理由が分かったような気がする。こんなに大きな屋敷と比べれば、私の家など犬小屋のようなものだ。そんな家に寝泊まりさせてしまったことを申し訳なく感じた。
遠くへと目をやると、丘の上に立つ王宮が見えた。この国の国王がいる王宮だ。確か神殿はあの王宮を挟んだ向こう側にあるはず。ルイさんの家は神殿とかなり距離があることを知り、私は安堵した。
神殿にいた頃、王都の地図を眺めていたので多少の位置関係は分かる。いつか神殿から出られた時の為に、という考えからの行動だったのだけれど、まさかこんな形で活かされるとは。
「アーニャ、こっちへ」
少し経った後、屋敷の入り口からルイさんが顔を出した。地面に置いていた荷物を抱えると、ルイさんの元へと駆け寄った。
屋敷の中は豪華だった。高そうな壺やら絵が沢山飾られており、床は真っ赤なカーペットで敷き詰められていた。
「す、凄い…」
「そうか?普通だと思うが」
これが普通?ルイさんは一体どういう金銭感覚をしているのだろう。
「十分凄いですよ。私の家と比べたら天と地の差です」
「それはまあ…」
言葉に詰まるルイさん。そこは否定して欲しかった。まあ、否定のしようがないのだけれど。
「アーニャ様ですね。お待ちしておりました」
ルイさんに促されるまま屋敷内を進んでいると、若い女の子に声を掛けられた。私に恭しく頭を下げている。
「彼女は使用人のファニーだ」
「し、使用人…!?ダンサーって凄いんですね」
この世界では、ダンサーという職業は非常に儲かるらしい。使用人を雇うことが出来るのは富裕層の人間だけだ。
ルイさんはギクリと身体を震わせると、私から視線を反らした。やはり視線を反らすのはルイさんの癖のようだ。
「あ、あの…お部屋へご案内致します」
何故か苦笑いを浮かべたファニーさんは、屋敷の奥へと私を促した。
ルイさんと別れた後、ファニーさんに連れて来られた部屋は、ロココ風の家具が揃う高級感の溢れた部屋だった。部屋なのに、私の家の二倍はありそうな広さである。
「ダンサーって凄い…」
もしかすると、ルイさんの家は歴史ある有名なダンサー一家なのかもしれない。そうでなければ、こんなに素敵な屋敷に住むことなんて出来ないだろう。
「お体を清めましょう。新しいお召し物もご用意いたします」
「は、はい」
まるでホテルを訪れたかのようだ。久しぶりの特別待遇に、身体が思わず緊張して固まってしまった。
「もしかして、ルイさんは王都で有名なダンサーなんでしょうか?」
恐る恐るファニーさんに尋ねる。
「そ、そうですね…。有名なお方です」
ファニーさんは張り付いたような笑顔を浮かべながらそう言った。
どうやら、私は大変なことに巻き込まれてしまったらしい。プロの人と踊ることさえ恐れ多いというのに、有名なダンサーのパートナーに選ばれてしまったなんて。ダンスの練習は幾度と重ねてきたが、それを本格的な催しで披露したことは一度もない。
こんな私に大役は務まるのだろうか。