30話
屋敷の外に出ると、アランが私を待っていた。門付近に用意されていた馬車へと誘導され、アランと共に乗り込んだ。そして屋敷を背にして、馬車はゆっくりと動き出した。
もうここに来ることはないだろう。そう考えるだけで、胸にこみ上げてくるものがあった。
他の景色と共に流れていく屋敷を一瞥すると、馬車の席に深く座り直した。
同じ王都内にある神殿には、あっという間に辿り着いた。神殿では多くの神官や騎士たちがわざわざ入口付近に立って私を出迎えてくれた。私の姿を見つけた途端、彼らは顔を赤くして私の帰還を喜んでくれた。
「神の愛娘様…!よくぞご無事で!」
「ああ、神よ!感謝します!」
私が神の愛娘である以外価値のない存在だと、そう彼らに思われていると思っていた。だからこそ、レオニードとセリーヌの事件は神殿全体によるものだと思ってしまった。彼らを恨み、そしてアランを恨み、私は溢れる憎悪に苦しんだ。
今、彼らが私をどう思っているのかは分からない。けれど、彼らがこうして私を必要としてくれていることは事実なのだから、それを素直に喜ぼうと思う。
「……うん、ただいま」
目頭を熱くさせながら、私は神官たちの手を取った。
神官たちの歓迎を受けた後、私は以前使っていた自室へと案内された。
一年以上使われていなかったはずの自室は、綺麗に整頓されていた。私がいなくなった後も、欠かさず掃除や手入れをしてくれていたようだ。二年前、小さな植木鉢に植えた花が窓際で未だ咲き誇っている姿を見て、私は再び目頭が熱くなるのを感じた。
「絢様、お疲れでしょう。どうかお掛けになって楽になさってください」
背後に立っているアランが部屋の中央に配置されている椅子に座るよう勧める。椅子に向かって歩き出そうとした足を、私はふと止めた。
話を切り出すのなら、早い方がいいだろう。
これから私がしようとしていることは残酷なことだ。けれど、このままにしておくこともまた残酷。選択肢は二つに一つ。
「あのね、アラン……」
アランの方へと振り返ろうとした時だった。背後から手が伸びてきたかと思うと、私の身体は後ろへと引き寄せられた。
「え、アラン…?どうしたの…!?」
「夢ではないのですね…?確かにここにいらっしゃるんですね?」
私の存在を確かめるように、アランが私の身体を強く抱きしめる。あまりに強く抱きしめられたので、私は息が止まりそうになった。
「うん……ちゃんと生きてるよ」
背中越しで、彼に答える。
アランが私から手を離したので、彼と向き合う為に私は振り返った。アランは床に片膝をつくと、私に頭を下げた。
「陛下の任務を果たした功績と引き換えに、私は貴女を失った。愚かにも、私は自分だけ生き残ろうとしたのです。決して許されることではありません」
「違うよ!私はアランを疑った…!悪いのは私!アランは何も悪くない!!」
アランに、非はない。悪いのは、私だ。二年以上支えてくれた人を疑い、恨みを抱いた。決して許されることではない。
私はアランの前にしゃがみ、彼の肩に手を置いた。すると、頭を下げていたアランがゆっくりと顔を上げた。
「今回の件は、私の直属の部下が起こしたことです。上官である私は、その責任を負わねばなりません。どうか、貴女の手で私に罰を」
アランが腰の辺りから『何か』を取り出す。私はその『何か』を見た瞬間、思わず目を見張った。
「え、何?」
「そのナイフで、私を罰して下さい。全て受ける覚悟です」
彼が腰元から取り出したのは、ナイフだった。銀色に鋭く光る刃。彼は恭しく両手でナイフを私に差し出した。
「何を言ってるの…!?」
彼の行動が全く理解できず、私はたじろいだ。しかし、それでも構わずアランはナイフを私に差し出す。
「私の全ては、絢様のものです。護衛騎士は、主人の剣であり盾です。しかし、私はその役目を果たせませんでした。絢様を守れなかった私に、どうか罰を」
「ちょ、ちょっと待って!突然のことで何が何だか…!」
罰……?私がアランに罰を……?
確かに護衛対象を守れなかったというのは、護衛を使命としている護衛騎士にとって最も許されないことなのかもしれない。
しかし、アランは国王陛下の任務があったという正当な理由で私の元を離れていたのだから、今回のことは仕方のないことだと思う。それなのに罰を受けるというのは、あまりにも理不尽だ。
私がナイフを受けとる気がないと分かると、アランは再び自分の腰の辺りに手を伸ばした。
「どうか、私を罰して下さい。ナイフでなくても構いません。ご所望であらば、剣をお持ちしましょうか」
にっこりとほほ笑む彼が手を伸ばした先は、剣の柄だった。それに気づいた瞬間、私は真っ青な顔をして勢いよく首を横に振った。
「そんな所望はしないし、ナイフに不満があるわけじゃないから!私はアランを責めることなんて出来ないよ!」
私が喜んでアランを傷つけると思ったのだろうか。
私はアランに怒りも憎しみももう抱いていないし、刃物で身体を傷つける勇気もない。ただでさえアランには申し訳ないと思っているのに、そんな非情なことをできるわけがない。
「責めるのではありません。罰するのです。二度と同じ過ちを繰り返さぬよう、私が貴女のものであるという印を、この身体に刻んでください」
迷いのない眼差しでアランが私を見つめる。曇りない青い瞳に吸い込まれてしまいそう。
「ど、どうしたの…?何でそんなことを言うの?」
「罰してくださらないのですか?」
当たり前だ、と叫びたくなる衝動を必死にこらえて、私は冷静にアランの顔を見つめた。
「そんなことは絶対にしないし、私にアランを罰する資格なんてない」
「資格など、どうでもいいのです。そのナイフで罰して欲しいと言っているのは、私自身の為でもあるのです。私は護衛騎士として、最も許されない失態を演じてしまいました。主人である貴女に罰してもらうことで、少しでも許されたい。そして、これからも護衛騎士として貴女の傍に置いて欲しい」
……何となくだけれど、アランの真意が見えてきた。
「アラン、落ち着いて話をしよう」
深呼吸をして、アランを見据えた。アランは微動だにせず私の様子を窺っている。
どうやら、彼は意地でも私に『傷』をつけてもらいたいようだ。しかし、私にはそんなことは出来ない。たとえ彼が望んでいるとしても。
「私は……アランを罰する資格はないの……」
努めて冷静に振る舞おうとしたのに、どうしても声が震えてしまう。
これから彼に伝えなければならない。残酷な言葉、を。しかし、喉の奥につっかえて言葉が出てこようとしない。
どれくらいの時間が経ったのだろう。
長い沈黙の中、無言で私を見つめていたアランは、私の頬を手の平でそっと包み込んだ。アランの温かな体温が直に伝わってくる。
「今、貴女は私に罪悪感を抱いている。私を罰することで、優しい貴女は更なる罪悪感を私に抱くでしょう。そして貴女は、罪悪感から私を手放せなくなる。晴れて、私は護衛騎士として貴女の傍にいることが出来る」
そこまで言うと、アランは頬から手を下ろした。伏目がちになり、僅かに唇をほころばせる。それは、とても弱弱しく寂しい笑顔だった。
「……というシナリオだったのですが、即興では上手くいきませんね」
「アラン……」
アランは器用で、常に毅然としていて、全てにおいて完璧な人間だと、私は思っていた。いや、そう決めつけていた。しかし、本当はそうではなかったのかもしれない。どうして私は、彼と真正面から向き合おうとしなかったのだろう。
「私は狡猾な男です。どんな手を使ってでも、貴女の心と身体を手繰り寄せ、私を貴方の傍に置いて欲しい」
まるで自嘲するように、アランは口元を歪めた。
「私は貴女の護衛騎士です。貴女のことはそれなりに理解しているつもりです。だから、貴女の心に私がいないことも分かっています」
アランの言葉にハッと顔を上げる。
「軽蔑するでしょう?子供のように縋ってでも、私は貴女の傍にいたいのです。貴女の護衛騎士として……いえ、護衛騎士など、本当はどうでもいい。貴女の全てが欲しい。貴女の全てを私で満たして、私しか見えなくなるくらい私を愛して欲しい。私が貴女を求めているように、貴女にも私を求めて欲しい」
アランはそう言うと、私の腕を掴み、自分の方へと引き寄せた。そして、私の身体を両手で強く激しく抱きしめた。
「愛しています、絢様。貴女の為ならば、私は全てを捧げます。今度こそ貴女を守り通すと約束します。どうか、私を貴女の護衛騎士として置いてください」
アランの願いを実現することは簡単だ。私がただ頷けばいい。けれど、それは私が嘘をつくことになる。嘘をついて実現した願いは、きっといつかアランを傷つける。これ以上、アランには傷ついて欲しくない。
「一年半前までは、アランのことしか考えられなかった。でもねこんな気持ちで、私はアランの気持ちに応えられない……」
気が付くと、私の頬は涙で濡れていた。アランの胸元に縋るようにしがみつき、嗚咽を漏らす。
「ごめんなさい……罰せられるべきなのは、私なの……!」
アランのことが好きだった。でも、私はアランを疑ってしまった。そして、違う人に心を惹かれてしまった。
なんて愚かなんだろう。結局、私は自分のことしか考えられない子供のままだ。
「……どうか、ご自分を責めないで下さい」
「貴方を疑った上に私は………!」
「絢様と出逢ったばかりの頃を思い出しますね。あの時も、貴女はこうして私に謝罪していました」
アランが私の頭を優しく撫でる。泣きわめく子供をあやすように。
「貴女の幸せは、私の幸せです。貴女の幸せを、私は心から願っています。ですからもう泣かないで下さい」
アランの手が私から離れる。私がアランを見上げると、涙で濡れた私の頬をそっとぬぐってくれた。
「絢様、お願いします。私は自ら任を解くことが出来ないのです」
彼は穏やかな微笑みを浮かべてそう言った。
初めて出逢ったときは軽い人だと思った。けれど、いつも私の傍にいてくれて、馬鹿みたいに泣き続ける私を何も言わず優しく慰めてくれた。
この世界に来たばかりで右も左も分からない無知な私に、多くの知識を与えてくれた。いつだって献身的で、孤独な私に寄り添ってくれた。ずっと支えてくれた大切な人。
「私、アランが護衛騎士で本当に良かった。貴方がいてくれたから、私はこうしてここにいられる。ありがとう……」
この言葉を告げれば、私は恩を仇で返すことになる。けれど、私にはアランを幸せにしてあげられることは出来ない。
「アラン・クロイド…。本日を以て、貴方を……護衛騎士から……解任します……」
私の声は、冷たく静かな部屋に溶けていった。




