22話
アーニャ……いや、アヤは俺とフレッドに頭を下げると、一切何もしゃべらなくなってしまった。声を掛けても、頭を縦か横に振る意思表示しかせず、彼女は頑なに口を閉じた。きっと、これ以上情報を漏らすことを恐れての行動だろう。
何故、そこまで彼女が拒んでいるのかは分からない。ただ、彼女が抱えているものがそうさせていることだけは分かった。
これ以上は無駄だとフレッドが判断し、俺たち二人は彼女の部屋を出ることにした。
「まさか偽名を使っていたなんてね。普通の女の子だと思っていたけど、訳アリみたいだね」
部屋から外に出ると、フレッドがため息交じりに呟いた。
まさか、アーニャという名が偽名だったとは。彼女が偽名を使っているとは予想だにしていなかったので、俺は戸惑いを隠せなかった。正直なところ、今も彼女が偽名を使っていたということが信じられない。
「ルイ、分かってるよね?私情は無用だよ。神力が使える時点で、彼女が一般人でないことは明白だ。君だって、分かっているだろう」
「……ああ」
神力に目覚めた人間は、必ず王宮と神殿に報告しなければならない。そして、報告したと同時に神殿の管理下に入る。将来は神殿に関わる職務に付き、神力を以て王国に貢献することを強制される。
彼女は神力を扱えることを王宮と神殿に報告しているのだろうか。もし、報告しているのなら、彼女は神殿の人間だということになる。しかし、彼女は辺境の村で暮らしていた。
……何故だ?
彼女の様子から、神力に目覚めたばかりという感じではなかった。
「彼女は誰かが尋ねてくるかもしれないと言っていたね。誰だと思う?」
フレッドが声を聞いて、我に返る。どうせ考えたところで、俺だけの見解だけでは答えに辿り着かないだろう。口を閉じている彼女からも、真実を聞くことは出来ない。考えるだけ無駄だ。
湧き上がる疑問を振り払うように頭を横に振る。そして、フレッドの方へと身体を向けた。
「さあ?ただ、彼女にとって恐怖の対象だということは分かる。尋常でない怯え方だった」
あの人に殺される、と彼女は言っていた。彼女にとって"あの人"が恐怖の対象であることは明白だ。生死に関わる問題ならば、あそこまで怯えているのも分かる。
「僕は神殿の関係者だと思う。神力を使える時点で、彼女は神殿の関係者だ。もしかすると神殿と何か問題を起こしてしまって、それを理由に追われているのかもしれない」
「つまり、お前は彼女が罪人だと言いたいのか?」
「あくまで推測だよ。もう少し冷静になってよ。君の気持ちは分かるけれど、これはもう僕たち二人で抱えられるような問題じゃない。彼女のことは諦めるんだ」
フレッドはそう言うと、俺の背中を軽く叩いた。まるで、言い聞かせるように。
これでも冷静な方だ。
本当なら、次々と頭に浮かぶ疑念を取り除きたい。そして、彼女を問い詰めたい。何故偽名を使っていたのか。一体、何に怯えているのか。あの人とは何者なのか……。
しかし、華奢な身体をいつも以上に小さくして震えている彼女を問い詰めるなど出来ない。彼女には笑っていて欲しい。舞踏会で踊っていた時の彼女の笑顔は眩しかった。あの笑顔は、嘘ではなかったはずだ。
……この際、理由なんてどうでもいい。
彼女を恐怖から守りたい。これ以上、彼女を苦しめたくはない。例え、彼女がどんな問題を抱えていたとしても、俺は彼女を守りたい。
「今晩は泊まらせてもらうよ。もしかすると、彼女が言っていた『あの人』が尋ねてくるかもしれないからね」
フレッドはそう言うと、「その前に腹ごしらえしないと」と呟きながら階段を下りて行った。
夜はゆっくりと更けていった。
両親たちは俺たちの行動を不思議に思ったようだが、何も聞かずに自室へと戻って行った。おそらく舞踏会の衣装から軍服に着替えた俺を見て、騎士の仕事関連だと思ったのだろう。
軍服に着替えたのは、『あの人』の襲撃に備える為だ。彼女は『あの人』に殺される、と言っていた。もしそれが本当ならば、それなりの武装が必要だろう。腰には、使い慣れた剣が刺してある。
日付が変わり、使用人たちの慌ただしい声や足音が消え、夜の静寂が訪れる。
俺は一人、アヤの部屋の扉の前に立っていた。フレッドは一階に降りて行ったまま帰って来ない。おそらく『あの人』の襲撃に向けて、本人なりに何かしら準備をしているのだろう。……していると信じたい。結構な時間が経ったので、さすがに腹ごしらえは終わったと思うが。一体何をしているのだろう。
「ルイさん」
背後から突然声がして、俺はびくりと身体を震わせた。
声の主はアヤだった。どうやら、扉の傍に立っているようだ。扉越しのせいで様子はよく分からないが、声のトーンが若干低い。
「まだ起きてたのか?」
「ルイさんこそ、ずっとそこにいらしてたんですか?」
「約束だからな」
お前には俺がいる、と約束した。恐怖に怯えている彼女を一人にしておくわけにはいかない。
扉の向こう側から「ふふっ」という小さな笑い声が聞こえてきた。
「ルイさんって、本当に誠実な方ですよね」
「フレッドからは不誠実だとよく言われる」
俺がそう言うと、再び扉の向こうから笑い声が聞こえた。少しは恐怖を緩和出来ているようだ。
「アーニ……いや、本当の名前はアヤだったな」
アーニャで呼び慣れていたせいか、アヤと呼ぶと、どこか違和感がある。
「良ければ、もう一度私の名前を呼んでくれませんか?」
吐息が籠もった、少し掠れた小さな声が扉越しから聞こえてきた。
「アヤ」
彼女の要望に応えて、もう一度彼女の名前を呼ぶ。
一瞬の沈黙。そして、彼女の長く深い溜息が扉の向こうから聞こえた。
「……ルイさん、楽しい時間をありがとうございました。ルイさんと過ごした時間を、私は決して忘れません」
先程までとは違った、張りのある声。何かを決心したような、そんな声だ。
ハッと俯いていた頭を上げ、扉を見つめる。
「アヤ…!」
すかさず扉のノブへと手を伸ばそうとしたその時、鐘の音が聞こえてその手を止めた。鐘の音は玄関ホールの方から聞こえた。訪問者が家の人間を呼び出す際、この鐘を鳴らして家の人間に来訪を知らせるのだ。
「こんな深夜に…?」
おかしい。
こんな深夜に、鐘は鳴らさない。家の人間の眠りを妨げることになるからだ。もし、深夜に鐘を鳴らすことがあるのならば、それは緊急の時ぐらいだろう。
しかし、緊急ならばその緊急性を示す為にけたたましく鐘を鳴らすはず。今聞こえたのは、遠慮がちな鐘の鳴らし方だった。
一体、誰だろう。
「……来たみたいですね」
アヤがごくりと喉を鳴らす。
まさか……?
「そこで待っていてくれ。見てくる」
扉の向こうにいるアヤに向かってそう告げると、玄関ホールがある一階へと歩を進めた。
訪問者はアヤが言っていた『あの人』だろうか。訪問者は一人か、或いは複数か…。いつでも抜けるように、腰に刺している剣の柄を握る。
玄関ホールへとたどり着くと、既にフレッドが待っていた。軍服を着ており、その手には鞘で覆ったままの剣が握られている。
「お前…」
「アヤさんが悪党に追われている可能性もあると思ってね。色々な可能性を考慮しておかないと」
俺が呆れたように笑みを浮かべると、フレッドは罰が悪そうな顔をした。
二人で剣の柄に手を当てながら、外へ続く玄関の扉へと歩み寄る。外からは一切何も音は聞こえてこない。しかし、確かに鐘を鳴らした人物が扉の先にいるはずなのだ。
息を殺し、扉のノブへと手を伸ばす。
「開けるぞ」
俺は小さくそう呟くと同時に、扉を僅かに開いた。外の冷たい空気が玄関ホールに侵入してくる。
開いた部分からそっと外を覗くと、そこには黒い外套を羽織った男が一人立っていた。
「夜分遅くにすまない」
見覚えのある金色の髪。青色の瞳がこちらの様子を窺っている。
「アラン・クロイド騎士長…?」
先ほど、舞踏会の会場で出会ったアラン・クロイドが家の前に立っていた。
「何故、貴方がアーバン隊長の自宅に?」
フレッドが訝しそうな顔でクロイド騎士長に問いかけた。俺もフレッドのように不審な表情をしていると思う。一切予想だにしていなかった訪問者に、不信感と驚きを隠せない。
何故、こんな深夜に、神殿騎士団団長であるクロイド騎士長が、俺の家に来たのか。
そもそもクロイド騎士長とは直接的な関わりはないはずだ。あるとすれば、今日の舞踏会会場での出来事くらいだろうか。まさか、会場での出来事を諌めに来たのだろうか。しかし、それなら何故直接家にまで来る必要がある?しかも、深夜に…。
「彼女がここにいるだろう」
……彼女?
クロイド騎士長の言葉に、俺とフレッドは顔を見合わせた。
「アーニャ・ガストを名乗る女性だ」
クロイド騎士長の口から、その名前が出てくるとは思わなかった。目を見開いて、クロイド騎士長へと顔を向ける。
「まさか貴方が……」
『あの人』…?
言葉の続きが出てこない。喉の奥でつっかえたまま動こうとしない。
「何か知っているみたいだな。しかし話は後だ。人目に付きたくないんでね。今すぐ彼女の元に通してくれないか?」
低く、淡々とした声で、クロイド騎士長はそう言った。まるで人形のように表情がない顔をして、俺たちの出方を窺っている。もし、この人が『あの人』ならば、そう簡単に彼女の元へと通すわけにはいかない。
「彼女は、貴方に怯えているようです」
気が付くと、俺はそう口走っていた。
「ルイ…!」
慌てたフレッドが俺を制止しようと手を伸ばしてくる。
確かに、上官への態度ではないと思う。しかし、今は上の人間への態度に気を遣う暇などない。
「ああ、知っている。舞踏会の会場で見たからな」
クロイド騎士長のその一言にフレッドは動きを止めた。
アヤが舞踏会の会場からおかしくなったのは、クロイド騎士長と出会ったからだったのか。疑いが確信へと変わる。彼女が怯えていた『あの人』は、間違えなくこのクロイド騎士長だ。
「貴方に殺されるとまで言っていました」
まるで脅すような強い口調で、クロイド騎士長に向かって告げた。警戒心を露わにし、再び剣の柄へと手を伸ばす。
「ルイ!いい加減に…!」
俺の様子に気が付いたフレッドが、とうとう顔を赤くして掴みかかってこようとした時だった。
「そうか…。取り敢えず、彼女に会わせてくれ」
クロイド騎士長の表情の変化を、俺は見逃さなかった。
ほんの一瞬だった。ほんの一瞬だけ、クロイド騎士長は顔を曇らせた。青い瞳が微かに揺らいだのだ。
茫然としていると、クロイド騎士長が扉を自分で開き、家の中へと足を踏み入れた。




