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21話


 何度も躓きそうになりながらも、私は無我夢中で走り続けた。足が絡みそうになっても、足をくじいても、構わず私は走り続けた。

 

 痛みを感じる暇はない。唯一感じるのは、底知れぬ恐怖だけ。


「アーニャ!待て…!!待ってくれ!!」


 突然、背後から何者かに手を引かれ、私は慌てて振り払った。


「い、嫌…!!」


 ハッと我に返り、払い落とした手の主へと目を向ける。そこには、驚いて目を丸くするルイさんの姿があった。走り出した私を追ってきたのだろう。ルイさんは肩で呼吸をしながら、私を見つめていた。


「ごめんなさい…私……」


「一体どうしたんだ?突然走り出して……」


 ルイさんは探るような目で、私の様子を窺っている。その視線から逃げるように、私は俯いた。


「私、今すぐ王都を出ます…」

 

「今から村へ戻るつもりか?無茶だ!」


「違います…!村にももう戻りません!今すぐ逃げないと…あの人が私を追って……」


 湧き上がる恐怖に激しく心臓が警鐘を鳴らし、膝の震えが止まらない。


 村にはもう戻れない。あの人に、私がアカイ村で暮らしていることを知られてしまった。きっとあの人の手が、村へと及ぶだろう。


「あの人?誰だ?」


「私が死んでいないことを知って……殺されちゃう……!」


「殺され…?」


 ルイさんが不思議そうに首を傾げた時だった。


「どうやら気が動転しているようだね。ルイ、彼女をすぐに屋敷へ連れて行って休ませてあげなよ」


 ルイさんの背後からフィレンツォさんが現れた。冷笑のような奇妙な笑みを浮かべながら。


「その必要はありません…!お二人にもご迷惑をお掛けしたくないんです!私、早くここから逃げないと……!」


「そう思うのなら、大人しく僕たちについて来てもらえるかな。この意味、分かるよね」


「あ……」


 フィレンツォさんの笑みの意味を察し、私はハッと両手を口元に当てた。フィレンツォさんを見つめながら、ゆっくりと後ずさる。


「神殿騎士団との会話の後、君の態度は一変した。そして、さっきから随分と物騒なことを口走り、何故かこの場から逃げたがっている。そんな君を放っておくわけにはいかないよ。王宮騎士団の騎士として、ね」


「フレッド!」


 ルイさんが鋭い声で叫んだ。その瞳は、動揺と怒りを孕んでいる。


 フィレンツォさんは私の元へと早足で歩み寄ると、すかさず私の腕を掴み上げた。


「い、嫌…!」


 真っ白な光が私の手元から生まれ、鋭い音が起きたかと思うと、私の腕を掴んでいたフィレンツォさんの手が勢いよく弾かれた。

 

 フィレンツォさんは顔をしかめると、慌てて私から距離を取った。光を浴びたフィレンツォさんの手は、真っ赤に腫れ上がっている。


「嘘……どうして……?」


 懐かしい光。あの夜の日以来、見なかった白い光だ。


「神力…?アーニャ、お前は神力が使えるのか?」


 ルイさんは唖然とした様子でそう呟いた。その声はどこか震えている。


 見られてしまった。もう誤魔化すことは出来ない。


 逃げられる状況ではないことに気が付くと、私は唇を噛みしめたまま項垂れた。


 抵抗する気力を失った私を、ルイさんとフィレンツォさんは屋敷へ連れて帰った。そして、王都にいる間使うようにとルイさんから与えられていた自室に入るよう促された。初めてこの部屋に入った時はあまりの広さに感激したが、今はまるで圧迫感漂う牢獄のように思える。


 フィレンツォさんが、有無を言わせない雰囲気でソファへ座るように指示した。私は肩をすぼませながら、フィレンツォさんに指示された通りにソファへと腰を下ろした。


「さっきはどうして逃げようとしたの?」


 丁寧だが、どこか責め立てるような口調で、フィレンツォさんが私に尋ねた。


 私は伏目がちになり、唇を強く結んだ。そんな私の様子を見ていたフィレンツォさんは、眉間にしわを寄せる。


「殺されるというのは、どういう意味?」


 フィレンツォさんの声だけが、部屋に響く。


「君は神殿の関係者なの?」


 私は膝の上に置いた拳を強く握りしめた。それを見ていたフィレンツォさんが新たな質問を私に投げかける。


「さっき言っていた、あの人っていうのは誰?」


 これ以上は、もう……。


 私は瞼を強く閉じたまま、頭を横に振った。どんな質問をされても、答える気はない。


「んー、何か言ってもらわないと困るんだけどな」


 フィレンツォさんはため息交じりに肩を落とすと、首の後ろを指で掻いた。


 質問に一つ答えてしまえば、きっと矢継早に次々と質問をされ、答えざるを得なくなる。


 私が抱えている秘密は、彼らにとって知る必要のないことだ。無理に知る必要はない。いや、むしろ知るべきではない。


「怯えているんだ。これ以上はやめよう」


 傍に立っていたルイさんはそう言うと、私とフィレンツォさんの間に割り込んできた。そして、私の目線にあわせるようにしゃがみ込んだ。


「俺はお前をどうこうするつもりはない。お前が何も言いたくないと言うのなら、何も聞かない。お前は嫌かもしれないが、動揺しているお前を放っておくわけにはいかないんだ。言っただろう。お前には俺がいる、と。俺を信じてくれ」


「ルイさん……」


 あまりにも優しくルイさんが諭すものだから、堅く結んでいた唇が緩みそうになった。


 ……ダメ。

 

 ルイさんだからこそ、本当のことを話してはいけない。巻き込むわけにはいかない。


「ああ……惚れた弱みってやつかな。とにかくアーニャさんを落ち着かせることが先決だね」


 呆れたように笑みを浮かべ、フィレンツォさんは私たちの傍から離れた。どうやら、質問をする気はもう無いらしい。


「もし私を尋ねてくる人がいたら、こう言って下さい。『自分たちは何も関係ない。何も知らない』と」


 私と関わりがあると知れば、一体何をされるのか分からない。幸いにも、ルイさんたちは何も知らない。私を辺境で暮らしているただの娘だと思っている。


 あの人に尋問されるようなことになったとしても、素直に何も知らなかったと言えばいい。何も知らない人間を無理に責め立てることは、あの人だって出来ないだろう。……出来ないと信じるしかない。


「誰が尋ねてくるんだ?さっき言っていた『あの人』か?」


 ルイさんの問いかけに、私は深く頷く。

 

「何だか、物騒なことになりそうだね」


 腰に手を当てたフィレンツォさんが、真剣な顔をして呟いた。


 ……とうとう、私も終わるのか。


 一年と半年前のことは、昨日のことのように思い出せる。迷いながらも森を抜け出し、私は命からがら王都を抜け出した。とにかくあの人がいる場所から離れたかった。時間も忘れ、怪我をしても気にも留めず、無我夢中で走り続けた。


 山を越え、川を渡り……ようやく家の灯りを見つけた時は、感激で身体が打ち震えた。この世界に来て初めて、生きていて良かったと思った。アカイ村の人たちに救われ、私はただただ生きるためだけに日々を暮らした。生きることが私の目的であり、彼らへの復讐だったから。


 それも、もう終わる。


 あの人への恐怖や悲しみが消えたわけではないけれど、以前のような怒りはそこまで感じない。


 どうしてだろう。蔑ろにされた上、殺されかけたというのに。以前のように、憎しみや苦しさは感じない。彼らへの復讐の為に、生きたいとは思わない。


 今は……。


 今は、自分の為に生きたい。


「一つだけ、本当のことをお話します。私も嘘をついていました」


 ふとルイさんの方へと視線を向けた。膝の上に乗せている手が小刻みに震えている。


 これくらいは許して欲しい。せめて、これだけは彼に知っておいて欲しい。


「アーニャ・ガストは偽名なんです。本当の名前は絢といいます」


 深山絢。一年と半年前に捨てた名前。この名前を名乗ったのは、いつぶりだろう。捨てたはずなのに、ずっと会いたかった旧友にやっと出会えたような感覚。


「アヤ…?」


 ルイさんがそう呟いた途端、何故か嬉しくなった。いつもはアーニャと呼ばれていたからだろうか、とても新鮮な気分だ。いや、それだけではないと思う。


 きっと、私はルイさんに”絢”と呼んで欲しかったのだろう。本当の私の名前を……。


 私はソファから立ち上がり、ルイさんとフィレンツォさんの方へと向き直すと、深々と頭を下げた。


「ご迷惑をお掛けして、本当に申し訳ありませんでした」


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