20話~過去~
その日は、少し肌寒い夜だった。私は気だるげに自室の窓から外を眺めていた。夜の闇に包まれた冷たい空気が漂う森が、視界いっぱいに広がっている。
先ほどまでは神官の慌ただしい足音が聞こえていたのに、今は全てが眠りに落ちたように、辺りは静まり返っている。
『絢様ったら、退屈そうですね』
ベッドシーツを取り替えていたセリーヌが、私に声を掛けてきた。何度目かの溜息が、彼女の耳に届いていたらしい。
『もしかして、アラン様のことをお考えでした?』
ハッと振り返ると、口元に手を当て、にんまりと笑みを浮かべているセリーヌの姿があった。途端に私の顔は真っ赤に染まり、全身から冷や汗が吹き出した。
『だ、だって五日も会ってないから心配で…!こんなに長く会わないのって凄く珍しいから、その……!』
自分でも何が言いたいのか分からないほど、頭が混乱している。セリーヌに考えていたことを見抜かれただけなのに、どうしてこうも恥ずかしくなってしまうのだろう。
そう、アランと会ってないから心配をしているだけ。冷静に、冷静に……。
『絢様は、アラン様のことをお好きなんですか?』
『ふぁ!?』
セリーヌが新たに爆弾を投下させたおかげで、私は再び冷静でいられなくなった。顔の赤みが更に増し、全身が燃えるように熱くなる。
『な、何を言って…!?アランは私の護衛騎士で……その……何ていうか……』
『お好きなのですね?』
まるで尋問を受けているかのようだ。
『分からない…。でもアランと一緒にいると安心するし、凄く楽しい。これが好きだって言うのなら、そうなのかも』
胸元で両手の指を絡ませ、意味もなく爪の辺りを撫でた。熱を帯びた身体から、今にも湯気が立ちそうだ。
あれ、私はアランが好きなの…?
言葉にしておきながら、頭の中で自問する。初めて、好きという言葉を口にした。
私は、アランが好きだったのか…。
王子から新しい護衛騎士を選任しよう、と言われた時は絶対に嫌だと思った。私の護衛騎士はアランしか考えられなかったからだ。
歴代の神の愛娘たちは、護衛騎士を将来の伴侶に選んだという。その事実を王子から聞かされた後も、脳裏に浮かんだのはアランの姿だった。
この二年半で、アランが傍にいる生活が当たり前になっていた。アランが傍にいないと、心も身体も落ち着かなくて、不安になってしまう。現に、今だってそうだ。部屋の扉から、アランが現れないかと期待している。
そうか……私は、アランが好きだったんだ。
迷いが、確信に変わる。
『そうですか』
慈愛に満ちた母のような笑みを浮かべたセリーヌが、そう呟いた。自分の気持ちを吐露しただけなのに、凄く恥ずかしい。
その時、扉を叩く音が部屋に響いた。
『はい?』
扉の向こうへと声を掛ける。すると、この数日間会いたいと切に願っていた人物が、扉の向こうから姿を現した。
『アラン!』
飛び出すような勢いで、彼の元へと駆け寄った。たった数日会っていないだけなのに、まるで数か月も会っていなかったようだ。顔の筋肉がほころんで、嬉しさを隠せない。
アランの腰元には、私が贈った御守が左右に揺れていた。いつでも私を感じていたいと言いながら、アランが御守をベルトに自ら付けたのだ。
その時、私はこんな出来の悪いものを誰かに見られて恥ずかしい思いをするのはアランだ、と訴えた。しかし彼は、恥ずかしいなんて思わない、と言い切った。否定的だったのに、いざ未だに付けてくれていることが分かると、少し嬉しくなった。我ながら矛盾している。
『この五日間、何をしてたの?国王陛下から呼ばれていたって聞いたけど本当なの?』
『外せない任務がありまして』
私の質問に答えるアランは、どこか声がぎこちない。その上、額には汗が噴き出ており、いつもより表情が堅いように思える。
『……何かあったの?』
尋常でない彼の雰囲気に、私は怪訝な顔をして彼を見つめた。
『いえ、お気になさらないで下さい。セリーヌ、これから絢様を外へお連れする。準備はこちらで既に済ませてある』
アランは普段と変わらない笑みを浮かべると、セリーヌの方へと視線を向けた。その視線に気づいたセリーヌは、慌てた様子でクローゼットの方へと駆け寄った。
『畏まりました。では、外套だけ用意させて下さい。寒いでしょうから…』
『ああ、早くしてくれ。時間がないんだ』
セリーヌに向かって、アランが吐き捨てるように言った。
機嫌でも悪いのだろうか。セリーヌに対して、ここまで厳しい態度をとるアランを見るのは初めてだ。もしかすると顔を合せなかったこの数日の間に、何かあったのだろうか。
セリーヌが準備した外套を羽織うと、私たちは部屋から出た。部屋から出た先にある廊下は静まり返っていて、私たちの足音と呼吸だけが響き渡った。
神官や、騎士たちはどうしたのだろう。いつもならば深夜を過ぎても、誰かしら廊下にいるのに。今日だけは異様に静かだ。
神殿の部屋のどこかへ連れて行かれるのかと思えば、アランが案内した先は神殿の外だった。
『……外?』
夜中に外へ出るのは初めてだ。夜の外は何かしら危険だから、と最高神官から外出を禁止されていた。アランもそのことを知っているはずだ。
『絢様にお会いしていただきたい者が、向こうで待っています。お手数をお掛けして申し訳ございません』
どうやら、彼は随分と焦っているようだ。言葉は丁寧だが、どこか投げやりで焦燥感がにじみ出ている。しかも、歩く速さが次第に速くなっている。
彼の目的はよく分からないが、取り敢えず従っておいた方が良さそうだ。
神殿を出た後、アランが向かったのは神殿の近くにある森の中だった。夜の闇に包まれた森は不気味な静けさが漂っていて、苔むした木々が鬱蒼と茂っている。鳥の鳴き声がどこからか聞こえる度に、私は身体を震わせた。
こんな場所で、誰が私を待っているというのだろう。
ぬかるんだ地面に足を取られ、私はつんのめりそうになった。
『絢様、足元にお気を付け下さい』
横を歩いていたセリーヌが、私に手を貸してくれた。遠慮なくその手を借りて、何とか私は体勢を取り戻した。
これ以上、先へ進むのはどう考えても危険だ。暗闇のせいで視野が狭いし、昨日の雨のせいで地面がぬかるんでいて歩きづらい。道に迷うのも、時間の問題だろう。
『ねえ、アラン!こんな森に何があるの!?』
さらに先へ進もうとしているアランの背中に向かって、私は問い掛けた。
アランの足が止まる。そして、彼はゆっくりとこちらを振り返った。
『絢様、私はクロイド家の者です』
『え、うん…それは勿論知ってるよ』
何を今さら。出会った当時から知っている事実だ。
『古くからクロイド家は王宮と神殿の為に尽力してきました。二つの勢力を保つことが、クロイド家の使命だったからです』
地面を踏みしめるようにして、アランがこちらに近づいてくる。
『クロイド家の尽力により、王宮と神殿の関係は上手く保たれていました。おかげで国は平和そのものでした。しかし近年、その関係を壊す不安要素が現れた』
アランの細長い人さし指が、私の方へと向けられる。
『神の愛娘である貴女です、絢様』
周囲の空気が氷点下にまで下がったのか、と思った。
全身から熱という熱が奪われ、私は動けなくなった。
『え……』
何を言っているの…?不安要素…?
アランの言っていることが理解できない。確かに言葉は耳に入ったはずなのに、頭が考えようとしない。受け入れることを拒否している。
『国家の発展、環境の保全の為に、貴女は異界より召喚された。そして、我が国の為にその強大な力を存分に貢献して下さった。それに関しては本当に感謝しています。クロイド家の願いは、国の繁栄ですから。しかし、貴女の力は強すぎる。使い方を誤れば、貴女は国の平和秩序を覆してしまう。まさに、貴女は諸刃の剣でした』
アランが言葉を紡ぐ度に、私の呼吸は荒くなっていった。
『待って…!待ってよ…アラン…!!』
夜の闇に消えていこうとするアランの背中に向けて、私は手を伸ばした。しかし、無情にも男たちの一人によってその手を掴まれた。
男は自分の方へと私の身体を引き寄せると、首筋に短剣の刃を当ててきた。鋭い白刃が月の光を浴びて煌めく。
『大人しくしろ!』
『きゃあっ!!』
声がした方へと視線を向けると、セリーヌも私のように男の一人によって短剣を突きつけられていた。セリーヌの顔は恐怖のせいで青ざめ、強張っている。
『セリーヌ!嫌…!セリーヌ!!』
男の手から逃れようともがくが、私の身体を抑える男の手はびくともしない。むしろ、その力は強まっていく。
『絢様を…傷つける者は私が許しません…!!お前たち、絢様を離しなさい!!』
果敢にも、セリーヌは上手く身体をねじることで、男の手から逃れた。そして、男に掴みかかろうとする。
『黙れ!これは国の命なのだ!』
突然襲い掛かってきたセリーヌに動揺したのか、男は短剣をセリーヌの方へと慌てて突き付けた。
『う……っ』
短い悲鳴の後、セリーヌの両腕が力なくだらりと落ちた。そして、セリーヌの身体が大きく傾き、地面にそのまま倒れた。
え……何……?
全ての思考が一斉に停止した。
茫然と立ち尽くしていると、地面に倒れたセリーヌの顔がゆっくりとこちらに向いた。その瞳の奥の光は、今にも消えそうなほど弱弱しい。
『絢様……逃げて下さい…必ず生きて……!』
セリーヌは口元に薄い笑みを浮かべながら、掠れた声でそう言った。そして次の瞬間、彼女の瞳から光がフッと消えた。
『お前は女の死体を運べ。痕跡は残すなとのことだ』
男がセリーヌの身体を乱暴に抱き上げ、肩に担ぐ。セリーヌは全く抵抗せず、まるで人形のように大人しく男の肩に背負われた。………いや、抵抗をしないのではない。もう出来ないのだ。力なく垂れた彼女の手足がそれを意味していた。
その瞬間、私の頭の中で何かが切れるような音がした。
絶望と悲しみに満ちていた心に、新たな感情が芽を吹く。
『嘘つき……』
信じていた。信じていたかった。でも、目の前に突き付けられた現実はあまりにも非情で。
一筋の涙が頬を伝い、零れ落ちた。




