19話
声の主を目にしたルイさんが声を上げる。フィレンツォさんの表情が真剣なものへと変わり、ルイさんの元へと駆け寄っていった。二人は声の主の前に並ぶと片膝を立て、もう一方の膝を床に付いて頭を下げた。
「その名で私を呼ぶということは、王宮騎士団の者か」
「王宮騎士団王都騎士隊二番隊長ルイ・アーバンと申します」
「私は、王宮騎士団王都騎士隊二番副長フレッド・フィレンツォと申します」
先ほどまでの騒がしい雰囲気が嘘のように、厳粛で重苦しい雰囲気が漂い始める。
高鳴る心臓を抑えるように、私は自分を強く抱きしめた。今にも不安に押しつぶされてしまいそうだ。早く……早く時間が過ぎ去って欲しい。声の主が遠ざかって欲しい。
「属する団は違えど、お前たちも事態の深刻さは分かっているだろう。今回殺害されたのは、高等神官の一人だ」
淡々としていて、感情は一切感じられない低音の声。
「申し訳ございません」
絞り出すようなルイさんの声が、背後から聞こえる。
「一体、何を理由に騒いでいた?」
責めるような強い口調で、声の主は尋ねた。
「彼女の身の潔白を主張していたのです」
ルイさんがはっきりと答えた。
「彼女?」
視線が、こちらへと向けられる。
………ああ。
今にも叫び出したい衝動に駆られる。招待客を掻き分け、障害物を飛び越え、勢いに任せて出口まで突っ切ってしまおうか。
無理だ。
きっと突然走り出した私を不審に思った騎士が追いかけてくるだろう。騎士の多くは日々訓練を重ねている男性だ。日ごろ運動というものを一切しない私なんて、瞬時に捕えられてしまうに違いない。
ここは、大人しく名乗り出るしかない。
嵐のように激しく動揺する心を抑えながら、視線の方へと恐る恐る振り返った。
「私は、アーニャ・ガストと申します」
声色をいつもより高めにして、平然を装いながら言葉を放つ。
顔が見えないように前髪で影を作り、身体の線が分かりにくくなるように体勢を前かがみにする。
何て失礼な態度だろう、と思われるかもしれない。しかし、今は顔を見られるわけにはいかないのだ。素性さえ気づかれなければ、どう思われても構わない。
「彼女は私どもの知人です。どうか、彼女も解放していただけないでしょうか」
ルイさんは、声の主に向かって訴えかけるようにそう言った。
声の主がじっとこちらを見つめる。前屈みになっているせいで、その表情は分からない。ただ突き刺さるような視線を感じる。
苦しい。緊張に耐えられず、呼吸が荒くなっていく。
「アーニャ、と言ったか。彼らとの関係は?」
声の主が質問を投げかけてきた瞬間、私は真意に気が付いてハタと動きを止めた。
おそらく、このままいくつかの質問を尋ねて、私が信用に足る人物なのか図るつもりなのだ。
「私は大人しく残ります。どうか、お二人を解放なさって下さい」
それならば大人しく会場に残って、下っ端の騎士の人から事情聴取を受けた方が幾分かマシだ。今の状況は危険過ぎる。声の主を上手く誤魔化せるほど、私の会話技術は優れていない。
「事件発生時、彼女はどこにいた?」
私が答えなかったからか、声の主はルイさんたちに尋ねた。素直に質問に答えなかったことを怪しまれてしまったのだろうか。
「彼女は私と共に庭にいました。目撃者も多くいるはずです!」
ルイさんが声を張り上げる。まるで自分のことのように私の無罪を叫んでくれることは嬉しい。でも、あまり目立った行為はして欲しくない。
祈るようにしてルイさんの方を見つめる。
「出身は?」
「王都の北にあるアカイ村です。彼女は三日前に王都へ来ました。したがって神官殺害の計画を立てる時間も、過激派に加担する時間もなかったと思われます。彼女は疑われるようなことは、一切しておりません。私が証明致します」
声の主の質疑に、ルイさんが冷静に答えた。
「ルイさん…」
どうして、そこまでしてくれるの。感情が高ぶっているからだろうか、目頭が熱くなってくる。
ダメだ。泣かないと、私は決めた。今は、この状況を上手く回避することに集中しなくては。
「アーニャ・ガスト。王宮騎士団の二人と共に、会場からの退出を許可する」
思わず、顔を上げそうになってしまった。
声の主から告げられたのは、自由を許される言葉。意外にあっさりと許されたことに驚きつつも、何とか乗り切ることが出来た喜びに全身が震えた。
「有り難きお言葉、感謝致します」
前屈みのまま、声の主に背を向ける。安堵の表情を浮かべたルイさんが私の傍に歩み寄って来た。その横には、少し疲れ気味のフィレンツォさんが立っている。
「行こう、アーニャ」
ルイさんは私にそう言うと、出口に向かって歩き出した。続いて私もルイさんの背中を追って、出口へ向かおうとする。
「随分変わられましたね」
先ほどまでの冷たく厳しい声とは異なり、聞き慣れた柔らかい穏やかな声が、背後から聞こえた。
思わず、振り返る。
「えっ…」
そこには、口元に微笑を浮かべたアランの姿があった。その青い瞳は、確実に私を捉えていた。
神殿で共に過ごしたアランの笑顔、氷のように冷たい嘲笑を浮かべるあの夜のアラン、そして今のアランの顔が、私の頭の中で一気に重なった。
床が崩れ落ち、奈落の底へと突き落とされたような感覚が、私を襲う。口内が渇き、口元に当てた手が小刻みに震えだした。
「漆黒の髪、綺麗でしたのに」
とどめのようなアランの一言で、弾けるように私は走り出した。
気づいてる、アランは私に気づいてる…!
「アーニャ…!?」
私の名前を呼ぶルイさんを追い抜かし、招待客の間をすり抜け、怪訝な顔をしてこちらを見る騎士を避け、何とか出口から会場を飛び出した。
ここから逃げなくては……!
私が生きていることを知られてしまった。以前のように刺客を使って、私を追いかけてくるに違いない。私の命を奪うまで。
ホールからとにかく離れようと、城下町を走り抜ける。夜の城下町は蝋燭の火でぼんやりと照らされているだけなので、足元が見づらい。その上、高いヒールを履いているので、上手く走れない。
ああ、どうしてこんなことになったんだろう。ただ静かに暮らしたいだけなのに。その願いさえも、私には許されない。




