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13話



 レストランを出ると、昼下がりになっていた。通りを行き交う人たちがさらに増えているような気がする。結局、レストランの代金はルイさんが支払ってくれた。一応自分の代金は支払うと言ったが、金額を知った瞬間、大人しくルイさんに奢ってもらうことにした。

 

 やはり高級レストラン。一般庶民が軽々しい気持ちで行くような場所ではないと思い知った。


「まさか、アーニャが酒好きだったとはな。驚いた」


「えー?そんなことないですよー」


 上手く呂律が回らないうえに、視界が狭くなったように見えるのは気のせいだろうか。


 不意にバランスが取れなくなって身体が傾きかけると、慌てた様子のルイさんがすかさず私の腕を掴んだ。


「酒は好きでも、あまり飲み慣れてないみたいだな…」


「ルイさんの勧めて下さったお酒が美味しかったからですよー。あんなに美味しいお酒を飲んだのは初めてですー」


「……そうか」


 小さな声で呟くルイさんの頬は、少し赤く染まっている。彼もまた、お酒を飲み過ぎたのだろうか。



*****




「いらっしゃい!待っていたのよ!」


 日が傾きかけた頃、私とルイさんは屋敷へと戻った。そして屋敷内に入ると、二人の男女がにこやかに私たちを出迎えてくれた。年齢は五十代くらいだろうか、上品な雰囲気を漂わせた男女だ。


「戻られていたのですか…!?」


 男女を目にしたルイさんが驚いたように声を上げた。どうやら、この男女の登場はルイさんにとって予想外だったらしい。


「果樹園の視察が意外と早く終わったんで、早々に切り上げてきたんだ。そうしたらお前が若いお嬢さんを家にご招待したというじゃないか。どうしてそういうことを私たちに話さないんだ」


 黒い髭を顎に蓄えた男性が、穏やかな表情を浮かべてそう言った。ルイさんのことを『お前』という時点で、彼が誰なのか分かった気がする。


 男性の隣に立っていた女性は、私をじっと眺めると嬉しそうに笑みを浮かべた。


「ああ、まるで夢のようだわ。ルイがこんなに可愛らしいお嬢さんを連れてくるだなんて。私、ずっと心配していたのよ。女性と関わろうとする気配が全くないし、お見合いまで勝手に断ってしまうし。妹のエミーも、弟のハルートも、さっさと家庭を作って家を出て行ってしまったのに、ルイったら、いつまでもこの家から出て行こうとしないんだもの!」


 女性の話は随分と早口で、半分以上聞き逃してしまった。取り敢えず、私の姿を見て興奮していることだけは分かる。


「どうか落ち着いて下さい…。お願いします」


 ルイさんは血の気が失せた顔でそう言うと、私に傍へ来るよう手で促した。それに従って、ルイさんの横に並ぶ。


「俺の父と母だ」


 やっぱりと思いつつ、慌てて頭を下げた。


「は、初めまして。わたくし、アーニャ・ガストと申します……!」


 動揺してしまっているせいで、上手く言葉が出てこない。もっと気の利いた挨拶をすれば良かったと、瞬時に後悔した。

 

 恐る恐る顔を上げると、相変わらずニコニコとほほ笑むルイさんの両親の顔があった。


「まあ、なんて出来たお嬢さんなんでしょう。ルイには勿体無いくらいだわ」


 ただ頭を下げて挨拶をしただけなのだけれど…、と苦笑いを浮かべる。どうやら、取り敢えず好印象を持ってもらえたようだ。ところで、ルイさんには勿体無いくらい、というのはどういう意味だろう。


「初めまして、アーニャさん。私はマクシーム・アーバン。そして、妻のダリヤだ。君のような可愛らしいお嬢さんと会えて嬉しいよ」


 ルイさんの父親であるマクシームさんが、ダリヤさんの片手で肩を抱きながらそう言った。


 アーバン……おそらく、ルイさんのラストネームだ。よく考えると、ルイさんのラストネームを聞くのは初めてである。ルイさんは、ルイ・アーバンさんだったのか。


「ルイさんのお父様とお母様にお会いできて、とても光栄です」


 まさか、ルイさんのご両親と会う事になるとは。緊張のせいで足腰が震え始めてきた。どうも私は臨機応変というものが苦手らしい。


「そう他人行儀にならないで頂戴。私たちはこれから長い付き合いになるんだから」


 ダリヤさんはそう言うと、満面の笑みで私の手を取った。


「長い付き合い……ですか?」


 ダリヤさんの言葉の意味が理解できず、私は首を傾げた。


「勿論よ!だって貴女はルイの……」


「お母様、落ち着いてください。アーニャは長旅で疲れています。どうか無理をさせないで下さい」


 ダリヤさんの興奮に満ちた声を、ルイさんがすかさず遮った。ルイさんの額には脂汗がにじみ出ている。


「ダリヤ、ルイの言う通りだ。アーニャさんは遠地からわざわざ我が家を訪れて下さったんだ。無理をさせてはいけないよ」


「残念だわ。もっとお話がしたかったのに…」


 まるで少女のように大げさに落ち込んでいるダリヤさん。私とお話がしたかったと言われるのは、素直に嬉しい。私もぜひ、ルイさんのお母さんとお話をしてみたい。


 王都に辿り着いたのは昨日のことだし、さっきまで城下町で遊びまわっていたのだ。長旅の疲労を理由に、ダリヤさんのお誘いを断るのはおかしいような気がする。


「あの、ルイさん…」


「僕たちは自室に戻らせて頂きます。それでは」


 ルイさんは私の手を取ると、さっさと館の奥へと引っ張って行った。


「あら、あの子ったら意外と情熱的だったのね!」


 嬉しそうなダリヤさんの声が、玄関ホールの方から聞こえてきた。



*****



 まさか、両親が戻ってきているとは思わなかった。使用人たちの話では、地方から当分戻らないと聞いていたが。お喋り好きな母がアーニャに余計なことを言ってくれていたが、どうにか誤魔化せる範囲だ。


 これからはなるべく両親とアーニャを近づけないよう、使用人たちに見張らせておくべきだろう。あの母のことだ。アーニャと積極的に接触しようとするに違いない。


 アーニャを両親がいる玄関ホールから連れ出すと、二階のベランダへと向かった。両親は一階を生活拠点にしているので、二階には滅多に近づかないからだ。アーニャの部屋を二階にしておいて良かったと本当に思う。


「優しそうなご両親で羨ましいです」


 夜の庭を眺めながら、アーニャはそう言った。どこか悲しそうな顔をしている。


 ふと、アーニャが十七歳の時に家族と生き別れになったと言っていたことを思い出した。きっと俺の両親を見て、自分の両親を思い出してしまったのだろう。


「驚かせてしまってすまない。俺も両親が戻っていることを知らなかったんだ」


「気にしないで下さい。ルイさんのご両親とお会い出来て、本当に嬉しかったです。それに、ルイさんのフルネームを知ることが出来ましたから」


 悪戯っ子のようにフフッと笑うアーニャ。彼女にラストネームを名乗っていなかったことを、今さら思い出した。


 素性がばれてしまうという心配から、彼女にはラストネームを名乗っていなかった。どうやらラストネームを知っても、彼女は俺の素性に気が付いていないらしい。


 王都の人間にアーバンを名乗れば、すぐに素性を気づかれてしまうだろう。しかし、辺境の地で暮らしている彼女は知らなかったようだ。俺の心配は杞憂にすぎなかった。


「ルイさんのご両親もダンスがお上手なんですよね」


 突然の彼女の一言に、俺はベランダの柵から滑り落ちそうになった。


「か、家業だからな…」


「やっぱり!」


 目を輝かせて俺を見つめる彼女の視線が、突き刺さるように痛い。


「ご両親も仮面舞踏会に参加なさるんですか?」


「いや、あの二人はもう歳だから参加しないだろう」


「そうですか…?私にはお若く見えましたよ?」


「身体のあちこちが痛いという理由で、父も母も最近は踊らないんだ。だから、舞踏会には参加しないだろう」


「それは大変ですね…」


 深刻な顔をして呟くアーニャを見ていると、胸が酷く痛んだ。このまま嘘ばかりつき続けていると、そろそろボロを出してしまいそうな気がする。それに何より、アーニャに申し訳ない。


 俺は本当に不誠実だなと、深い溜息をついた。


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