11話
少しだけ休む、という名目でベッドの中にもぐりこんだはずなのに、気が付くと屋敷の外は真っ暗になっていた。
五日間積み重ねられてきた疲労は随分としつこく、半日は身体を休めたというのに未だ身体が重い。疲労が完全に取れるまでは、まだ時間がかかるようだ。
乱れた衣服を整え、部屋を見回してみる。やはり広い。私の家とは比べ物にはならないくらい、広い。ベッドの上でぼうっと辺りを眺めていると、部屋の扉がノックされた。
「どうぞ」と声を掛けると、扉の先から現れたのはファニーさんだった。
「お目覚めでしょうか?お食事の用意が出来ましたので、こちらにお運び致しますね」
「あの、ルイさんはどうなさっていますか?」
私が休んでいた間、ルイさんは何をしていたのだろう。それに家の人間を置いて、自分だけ食事をするわけにはいかない。
「ルイ様はお出かけなさっています。お帰りが遅くなるので、先にお食事を召し上がっていて欲しいとのことです」
「ルイさんは踊りに行かれたのですか!?お疲れでしょうに」
「え、ええ…」
苦い顔をして、ファニーさんは頭を縦に振った。主の働きぶりに、彼女は心配を募らせているようだ。しかし、長旅の後、すぐに仕事へ出掛けてしまうなんて。体調は大丈夫なんだろうか。私よりも、ルイさんの方が体調を壊してしまったら元も子もないだろうに。
「私はルイさんに雇われた身なのです。ですから、何か手伝わせて頂けないでしょうか」
食事を終えた後、私はファニーさんに申し出てみた。まるで客人のようにもてなされているが、私はルイさんに雇われているのだ。そんな私が悠々とホテル生活を満喫していいはずがない。雇用主が働いているというのに、雇われた自分は休んでいるというのは気が引ける。
「とんでもございません!!アーニャ様はお休みになっていて下さい!」
ファニーさんは強い口調でそう言った。彼女の額に冷や汗のようなものが見えるのは気のせいだろうか。
「ルイさんが働いていらっしゃるのに、自分だけ休んでいるのは耐えられないのです。どうか、私に仕事を与えてはくれませんか?どうも落ち着かなくて……」
逸る気持ちを抑えながら、私はファニーさんに懇願した。
*****
「何をしているんだ」
帰って来たルイさんは、玄関ホールを見渡して目を丸くした。
「お帰りなさい、ルイさん」
そう答えた私の手には、雑巾が握られている。乾拭き用の雑巾で床を拭き上げていた時にルイさんが帰って来たのだ。
「何をしているか、と聞いているんだ」
訝しそうに顔をしかめながら、ルイさんは口調を強めた。
「掃除です」
一体、何をしているように見えたのだろう。雑巾を持ったまま、ルイさんの元へと歩み寄る。
「掃除なんて使用人にさせればいいだろう」
「はい」
「何故、アーニャが掃除をしている?」
「使用人だからです」
私がはっきりとそう言うと、ルイさんは深い溜息をついた。
「どうしてアーニャが使用人として働いているんだ?おかしいだろう」
「仮面舞踏会までの間、ルイさんと私は雇用関係にあります。雇われた以上、私はその役目を全うしなければいけません」
覚えていないのだろうか。アカイ村近くの湖で、確かに雇用関係を結んだはずだ。「俺の家業を助けると思って、どうか引き受けてくれ」と言ったのは、ルイさんじゃないか。
「俺は無理を言って、お前を王都まで連れ出した。それなのに、家事や手伝いまでお前に押し付けるわけがないだろう。俺がそんな冷血漢に見えるか?」
「い、いえ、そんなことありません」
慌てて頭を横に振る。すると、ルイさんは安堵したように微笑んだ。
「俺とお前の間には雇用関係なんて存在しない。むしろ、お前には感謝しているんだ。俺の我儘を聞いてくれたことに、感謝してる」
ルイさんの手が伸びてきて、そっと私の頬を撫でた。彼の手は、男らしいゴツゴツとした不愛想な手だと思った。しかし、その印象を覆すほど、優しく、穏やかに私の頬を包み込んだ。
温かい体温が肌に直に伝わってきて、ビクリと身体を震わせる。一体全体、どうしたというのだろう。
「埃が付いている。せっかく綺麗にしたのに台無しじゃないか」
頬を撫でたのではなく、埃を払ってくれたのか。急に恥ずかしさが込み上げて来て、思わず後ずさりした。
突然手元から離れた私を、ルイさんは不思議そうに瞬きをして見ている。
「どうした?」
「な、何でもありません!お疲れでしょう?早くお身体を休めて下さい。舞踏会当日に体調を崩されては、元も子もありませんよ」
「そ、そうだな…。確かにそうだ」
どこかうろたえつつ、まるで自分に言い聞かせるように、ルイさんは呟く。どうもルイさんの様子がおかしいような気がする。もしかすると、体調が崩れる前兆だろうか。




