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10話~過去~



 私がこの世界に来て二年が過ぎた頃、神殿に珍しい訪問者がやって来た。


 訪問者は黄金に輝く長髪を一つにまとめた二十代後半くらいの男性だった。煌びやかな衣服を身に纏っており、凛々しい立ち姿で私を神殿の応接間で待っていた。


『君がニーナ、アナ?』


 にっこりとほほ笑みながら、彼は私に問いかけた。


 ニーナ、アナとは何だろう。何かの呪文だろうか、と私は首を傾げた。


『殿下、深山絢です』


 すかさず傍にいたアランが言葉を挟む。すると、男性はぽんと嬉しそうに手を叩いた。


『失礼。変わった名前だったんで、どうも覚えが悪くてね』


 ああ、私の名前だったのかと、私は苦笑いを浮かべた。この世界では、私のような日本名は珍しいらしい。確かに神殿で出会う人は皆、横文字で複雑な名前ばかりだった。しかし、私の名前は簡単な方だと思うのだけれど。短くて簡潔な名前だと、逆に覚えにくいのだろうか。


『初めまして。わたくし、深山絢と申します』


 膝を折り、スカートの裾を軽く持ち上げて、会釈する。神殿で学んだ貴人と出会った時にするという挨拶だ。慣れていないせいでぎこちなく、どこか不格好な挨拶になってしまった。しかし、男性は気にしていないようで笑顔のまま私の様子を眺めていた。


『様になってるじゃないか。異界の娘と聞いてどんなものかと心配していたが、上手く調教しているみたいだな。流石はクロイド家の次男坊様直々に面倒をみてもらっているだけある』


 男性の言葉を聞いて、私の顔が強張る。確かに教えられた動作だけれども、調教と言われるのは良い気分がしない。


『殿下……』


 アランが男性を真剣な顔をして見つめた。


『軽い冗談じゃないか。お前は冗談も通じないのか』


 男性は豪快に笑い声を上げる。そんな男性の姿を、アランはじっと真剣な顔で見据えた。どうやら、アランには冗談が通じないようだ。


『絢様、この方は我が王国の第一王子、エルガルド様です』


 アランがそう言うと、男性は私の前で膝をつき、私の片手を手に取った。そして、手の甲にそっとキスをした。唇の柔らかい感触が直に伝わってきて、私の身体が固まる。


 この挨拶をアラン以外の人からされるのは初めてだった。アランのお陰で少しは慣れたと思っていたが、やはりそう簡単にはいかないようだ。恥ずかしさのせいで全身から火を噴いてしまいそうだ。


 国王陛下は幾度か神殿を訪れていたが、王子が神殿を訪れるのは初めてだった。何かと忙しくて王宮を出られないという陛下の代わりに、王子が訪問したのだという。


 王宮側としては、神殿側に『神の愛娘』を任せておくのは不安らしく、度々王宮から使者が寄越された。使者の殆どは王宮の重鎮ばかりだった。何でも、『神の愛娘』は中立的な存在でなければならないらしい。王宮は私との関係を軽薄にはしたくなかったのだろう。


『こうして君と会えて、本当に光栄に思っているよ。以前の召喚は二百年前だったからね。まさか僕の代で会えるとは思ってなかった』


 男性、もとい王子はそう告げると、私の手を解放して立ち上がった。思わずほっと一息をつく。


『身に余るお言葉を頂戴し、大変有り難く存じております』


 これまた慣れない口調で王子の褒め言葉に応える。緊張のせいで全身が震え、今にも消えそうな声になってしまった。


『そう堅くなるな。腕が震えてるぞ』


『も、申し訳ございません…!』


 王子に指摘され、慌てて頭を下げる。腕どころか全身が震えていることには気づかれていないようで、少しだけ安心した。


『僕と彼女を二人にして欲しいんだが、いいか?』


『承知致しました』


 王子の注文をあっさりと受けるアラン。

 

 王子と二人きりなんて、耐えられない。一生懸命縋るような目でアランを見つめてみるが、アランはさっさと部屋から出て行ってしまった。いつもならば、何もしなくても助けてくれるというのに。まあ、相手が王子だからしょうがないのだけれど。


 王子に促されるまま、部屋の中央にあるソファに腰を下ろした。王子は私とテーブルを挟んだ向こう側のソファに座った。テーブルの上には王子の侍女が用意したという紅茶とお菓子が置かれていた。とても美味しそうだけれど、緊張のせいで手をつける気にはなれない。


『相変わらずあの男は仏頂面だな。紅茶が凍ってしまいそうなほど冷たい顔をしている。あの男とよく二人でいられるな。気疲れしないか?僕だったら一日で音を上げてしまいそうだ』


 王子にあの男と言われて、それがアランのことだと理解するのに、それなりの時間を要した。


 言われるほど仏頂面だっただろうか。確かに、いつもより堅い表情をしていると思ったけれど。


『とてもよくして頂いているので……。彼にはどんなに感謝しても感謝しきれないくらいです』


『君には同情するよ。あの男が護衛に名乗らなければ、君は今より快適な生活が送れただろうに』


『どういう意味でしょう…?』


 私の頭上にクエスチョンマークが浮かぶ。神殿内での生活はとても快適だ。お腹が空いたと言えば食事を用意してくれるし、服が汚れたら新しい服を用意してくれる。果てには、入浴の際に身体まで洗ってくれる。本当は、身体くらい自分で洗いたいのだけれど。


 神殿の人たちはこれ以上にないくらい親切だった。生活に対して不満を感じたことはない。勿論、私を護衛してくれているアランに対しても、だ。


『あの男が氷の伯爵と呼ばれているのを君は知っているかな?』


 ああ、またそれか。と思いつつ、私は小さく頷いた。私が頷くと、王子は満足そうに微笑みながら話をつづけた。


『僕はあの男にぴったりの愛称だと思っている』


 王子の言葉に、私はハタと動きを止める。以前、レオニード・グランセルがアランを『氷の伯爵』を呼ぶ者は頭の足りない大衆ばかりだ、と言っていた。まさか王子がその愛称を気に入っているとは。


 レオニード・グランセルの言葉を知ったら、王子はどんな顔をするのだろう。考えるだけで身の毛がよだつ。


『あの男の護衛が息苦しくなった時は、遠慮なく言ってくれ。我が国に貢献してくれている君には、快適な生活を送って欲しい。新しい騎士を君に寄越そう。そうだな、次は王宮騎士団の中から選出しようか』


 新しい騎士……!?


 王子の話がおかしな方向に進みだしていることに気が付き、私は慌てて頭を横に振った。


『ま、待ってください…!私は彼に不満なんてありません!』


『まさか、脅されているのか?』


『え!?』


 何故、脅されているなどという考えに至るのか。王子の言っていることが全く理解できない。


『あの男は君を脅してまで、護衛の任務に就きたいのか……。しかし、君はもう十九になると聞いた。そろそろ相手が必要となってくる頃だろう』


『相手と言いますと…?』


『結婚の相手だよ』


 更なる王子の理解できない言動に、私は卒倒しそうになった。


『過去の神の愛娘たちは、護衛の騎士と婚姻を結んだという。しかし、あの男は結婚に向いていない。まず女という生き物に興味がないだろう』


 神の愛娘が騎士と結婚…?初めて聞く話だ。どうして、神殿の人たちはそういう大切な話を誰も聞かせてくれなかったのだろう。将来に関わる大切な話だというのに。


 それよりも、アランが結婚に向いていないというのはどういうことだろうか。しかも、女に興味がないというのは初耳だ。


『神の愛娘の夫となる者は慎重に決めるべきだ。次の騎士の選出は一波乱起きそうだな』


混乱する私を他所に、王子は矢継早に話を続ける。


『も、申し訳ありません…。あの、お話が上手く……理解できないのですが……』


 慌てて王子に言葉を挟む。これ以上、王子を放っておくと、話がさらにおかしな方向へ発展しそうだ。

 

戸惑っている私の様子に気が付いた王子は、ハッと我に返った。「すまない」と呟きながら姿勢を正すと、先ほどとは違って落ち着いた口調で語った。


『あの男が君の護衛に名乗り出たのは、おそらく神殿と王宮の関係を緩和する為だろう。君は王宮と神殿にとって必要な存在だ。君は結構難しい立ち位置にいるんだよ。その立ち位置がズレてしまえば、王宮と神殿の間で一波乱起きる恐れがある。あの男はそれを避ける為に、君の護衛になったんだよ。その役目を持った家の人間としてね。でも、あの男が君の結婚相手になるかと聞かれれば話は別だ。あの男は政治には向いているが、結婚には向いていない。常に仮面を被っているような男が夫だなんて、君には耐えられないだろう』


 アランの家が神殿と王宮の関係を平衡に保つため役割を持つことは、以前レオニード・グランセルから聞いていた。アランも家の役割に従って、神殿と王宮の為に尽力していることも知っている。しかし、その関係に私が関わっていたことは知らなかった。それよりも……、


『仮面…?アランが仮面を被っているとおっしゃるのですか?』


 アランが仮面を被っている、というのはどういう意味だろう。


『あの男の本性を知る者は誰もいない。いや、あの男には本性がないのかもしれない』


『本性がない……?』


『人形のような男、と言えば分かるかな』


『人形……?』


 人形ならば、心がない。心がなくとも動く人形。


 それが、アラン…?

 

 それなら、いつも私に優しく声を掛けてくれるアランは何なのだろう。私に微笑みかけ、私を気にかけてくれるアランは何なのだろう。彼の言動には、全て心がないというのか。

 

 心がないのなら、何故…?


『とにかく考えておいてくれ。次の騎士の選出は早い方がいい』


 王子は早口でそういうと、カップに残った紅茶を全て飲み干した。そして、勢いよく立ち上がり、足早に部屋の出口へと向かっていった。


『そろそろ君を神殿から出すべきかもしれないな。今度、夜会にでも参加させようか。君のフィアンセとなる者との出会いがあるかもしれない』


 そう言い残すと、王子は私を一人残して部屋を立ち去って行った。残された私はただ茫然と、王子の言われた言葉の意味を考え続けた。


 王子が出て行って少し経った後、アランが部屋に戻って来た。いつもの柔らかい笑みを浮かべながら。


『殿下との謁見は如何でした?』

 

『凄く緊張したよ』


 アランの問いかけに答える私の声は酷く震えている。その理由は王子と出会った後だからというのもあるが、それよりもアランの真意が分からないことが、怖い。


『だって王子様だよ?国王陛下の息子だよ?緊張するよー…』


 アランと視線を合わさないように、テーブルの上に顔を伏せた。一切手を付けていない紅茶のカップがガチャン、と音を立てる。紅茶の滴が二、三滴辺りに飛び散った。


 駄目だ、悟られてはいけない。動揺していることを悟られてはいけない。


『絢様の振る舞いは完璧でしたよ。教えた者としては嬉しい限りでした』


『そう…?』


 アランの言葉を適当に流す。今は言葉を選んで発する余裕はない。動揺を隠すので精一杯だ。

 

 王子の言葉を真に受けてはいけない。私が信じるのは目に見えるものだけ。


『絢様のご成長には目を見張るものがあります。絢様はやはり聡明な方です』


『褒めても何も出ないよ?』


『そんなことはありません。絢様にはいただいてばかりですよ』


 私は首を傾げた。私がアランに何をあげたというのだろう。


『ところで、殿下とはどのようなお話をされたのですか?』


 一番聞かれたくない話題だ。私の身体がギクリと震える。


『えっと……今の生活は気に入ってるか?とか、そろそろ夜会に参加させようか、とかかな』


 間違っていないはずだ。嘘もついてないはずだ。王子と確かに話した内容だ。


『夜会に…ですか?』


 アランが眉を潜める。追及するような鋭い視線を感じて、私はすかさず顔をそむけた。


『うん。もう神殿を出てもいい頃だって言われたの』


 これも王子が言っていたことだ。嘘はついていない。


 黙り込んでしまったアランの方へと見やると、宙を眺めて何か考え込んでいた。そして私の視線に気が付くと、何もなかったように微笑んだ。


『お部屋に戻りましょうか』


 彼はいつもと変わらない穏やかな笑みを浮かべて、そう言った。


 アランが仮面を被っているという王子。王子の言う通り、アランが人形の男だというのなら、何故アランは私に微笑みかけてくれるのだろう。





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