9話
「ええーと……、アーニャさんだね。よろしく」
フィレンツォさんは何故か狼狽した様子で、私を見ていた。この挨拶の仕方は間違っていたのだろうか。
「アーニャ、その挨拶の仕方はどこで覚えたんだ?」
怪訝な顔をしたルイさんが尋ねてくる。
「い……以前、貴族の方とお会いする機会があったので、その時に」
嘘はついていないはずだ。適当な笑顔を作ってルイさんの問いかけに答える。そして、ルイさんの追及から逃れるように視線を落とした。
「ルイから君のことは聞いているよ。活発で、明るい女性を想像していたけれど、品のあるお嬢さんで驚いたよ。ルイがパートナーとして選ぶのも頷けるね」
「おい、フレッド!」
慌てた様子でルイさんがフィレンツォさんの言葉を遮る。どうやら、フィレンツォさんは私のことを知っているらしい。ところで……
「お二人はどのようなご関係なのでしょうか?」
随分と親しいように見えるが、フィレンツォさんは何者なのだろう。騎士に属している貴族の人間のように見えるけれど…。
「ああ、ごめんね。僕は王宮騎士団の人間なんだけれど、王宮騎士団を知っているかな?」
王宮騎士団…!
王宮騎士団は、あの人が幹部をしていた騎士団だ。すると、このフィレンツォさんは彼の部下だろうか。
バクバクと高鳴る胸を抑えつつ、私は頭を縦に振った。まさか、ここであの人と関わりのある人と出会うなんて。もしかして先ほどフィレンツォさんが狼狽したのは、私が何者かを悟ったから?
いや、それなら私と顔を合わせた時点で気付くはずだ。彼は私が名乗ったときに狼狽した。アーニャという名は偽名なのだから、この名前から『神の愛娘』を想像することはないは
神殿にいた頃と、今の私は随分と変わった。村での質素な生活で身体は痩せ、二十を超えた頃から何故か身長が少し伸びた。あどけなさが残った顔立ちは、成人を過ぎると次第に大人びた顔立ちへと変化していった。
神殿の人たちが今の私を見ても、すぐには『神の愛娘』だと分からないはずだ。
それに、私と顔合わせることをあの人が許していたのは、神殿騎士団の僅かな人たちだけ。王宮騎士団の人は、私の顔を知らないはずだ。
大丈夫。おかしな行動さえしなければ、きっとやり過ごせる。フィレンツォさんが狼狽した理由は分からないが、『神の愛娘』とは関係ない理由だろう。
「ぼうっとしてるけど、大丈夫?」
「い、いえ……王宮騎士団の方とお会いできるとは思っていなくて驚いていたのです。お会いできて光栄です」
フィレンツォさんに怪しまれないよう、適当な言葉を言い繕う。フィレンツォさんは「そう、それなら良かった」と呟くと、説明を続けた。
「実はね、僕はダンスを見るのが大好きなんだ。それで、このルイを僕の専属のダンサーとして雇っているんだよ」
「な…!?」
フィレンツォさんの言葉を聞いて、ルイさんが目を見開いた。何故か顔を真っ青にしている。
「そうだったのですね!ルイさんは王都で有名なダンサーだとお聞きしました」
「だ、誰から聞いたんだ!?」
ルイさんが慌てた様子で私に尋ねる。
「ファニーさんからお聞きしましたが…?」
そう答えると、ルイさんは何故か片手で顔を覆った。私は余計なことを言ってしまったのだろうか。ずだ。
「三日後、王都の北区で仮面舞踏会が行われるんだけれど、二人にその舞踏会に参加して欲しいんだ」
フィレンツォさんはそう言うと、傍に置かれていた椅子に腰をかけた。その様子をルイさんが怪訝な顔をして見ている。
「仮面舞踏会……ですか?」
「仮面を付けた人たちが、身分や素性を隠して参加するパーティだよ。平民にも参加が許されているから、貴族たちの間では大衆舞踏会なんて揶揄されてるけどね。でも、気兼ねなく参加することが出来るから結構好評を得ているんだよ。その舞踏会に参加して、そこでぜひ二人のダンスを見せてほしい」
仮面を被るということは、相手に顔が知られないということ。なるべく人と接触をしたくない私にとって、それはとても好都合だ。
しかし、やはりダンスに関して不安である。ダンスは得意と言えるほど上手くはないし、ルイさんの足を引っ張るかもしれない。不安を表情に出してしまったのだろうか、フレッドさんが私に微笑みかけた。
「心配しなくても大丈夫だよ。君のことは、プロであるルイがフォローしてくれるから。ね、ルイ?」
「そうだな…」
「あれー?雇い主にその話し方はどうかな?」
「そ、そうですね…」
ルイさんはくっと唇を噛みしめると、フィレンツォさんから顔をそむけた。
もしかすると、二人の関係はただの雇用関係だけではないのかもしれない。二人の間に漂う雰囲気からして、あまり深く聞かない方が良さそうだが。
三日後というと、まだそれなりに時間はある。本番まで練習をする時間があるということだ。
「ルイさん、良ければ私の練習に付き合っては頂けないでしょうか?」
「練習?」
ルイさんが目を丸くして、私を見る。
「私の踊りは趣味程度のものです。ダンスを職業としているルイさんには到底及びません。ですから、せめてルイさんに迷惑をかけない程度にまで上達させたいんです」
胸に手を当てて、練習の必要性を必死に力説する。すると、フィレンツォさんが肩を揺らしながら笑い声を上げた。
「アーニャさんは……とても真面目なお嬢さんなんだね…!ルイには勿体無いよくらいだよ…!」
息も絶え絶えになりながら、尚もフィレンツォさんは笑い続けている。私が真面目であるということが、そんなに面白かったのだろうか。私は別に真面目ではないし、当然のことを言っただけなのだけれど。
ルイさんには私のせいで恥をかいて欲しくない。その為には練習をするしかないのだ。
「アーニャ。長旅のせいで疲れているだろうから、今日はもう部屋で休め」
ルイさんはそう言うと、私を扉の方へと促した。どこか顔が火照っているように見える。
「え、でも練習が……」
「練習は明日からでも出来る。今日は休んだ方がいい。体調を崩したら元も子もないだろう」
確かに、その通りだ。王都に着いたばかりで、体力は殆ど残っていない。疲労のせいで足はむくんでいるし、腕は鉛のように重い。今の状態でダンスをすれば、酷く滑稽なダンスになるだろう。
舞踏会当日の為に、体調を戻しておいた方がいいかもれない。
「それではお言葉に甘えて、今日はお休みさせて頂きます」
私がそういうと、ルイさんが扉を開けてくれた。二人に向かって軽く会釈をし、私は部屋を退出した。
*****
「誰がプロだって?」
彼女が部屋を出て行った後、椅子にふんぞり返っている幼馴染を問い詰めた。答え次第では、これからの付き合いを考える、と心に決めて。
「僕も彼女に嘘をついちゃったし、共犯者として君に協力するよ。僕が仮面舞踏会の存在を知っていて良かったね。感謝してよね」
フレッドはふふっと笑い声を漏らすと、椅子から立ち上がった。
共犯者と言って協力的な姿勢を見せているが、ただの楽しんでいるだけのように見える。いや、絶対に楽しんでいるだけだ。
「有り難いと思ってる」
俺はそう言うと、傍にあったソファに腰かけた。募っていた疲労が溜息となって吐き出される。
嘘をつくというのは体力がいるものだ。これ以上、もう嘘はつきたくない。体力がもつ自信がない。
「そういう時はね、素直にありがとうって言うんだよ。まあ、君の面白い一面を見せてもらったから、おあいこってことにしてあげる」
「俺の弱みを見つけたの間違えじゃないか?」
「そういうことにもなるね」
この男は、どこまで調子がいいんだ。しかし、フレッドの協力は不可欠だ。弱みの一つや二つ、見せても構わない。後のことを考えると怖いけれども。
フレッドは腰に手を当てると、俺の前で仁王立ちをした。真剣な話を始める時のお決まりのポーズだ。
「分かってる?期限は三日だよ。三日の間で、彼女に事実を全て話して、君の気持ちを伝えるんだ。もちろん、君の好感度を上げるのも忘れずにね」
「好感度を上げる?」
「君の自慢のテクニックを披露する時が来たんだよ。彼女を君の虜にするんだ」
「からかうな」
「からかってないよ。彼女を田舎に帰したくはないんだろう?僕に君の本気を見せてよ。そしたら、今回の借りはなかったことにしてあげるからさ」
借りなんてどうでもいい。そう呟きながら、俺は肩を落とした。
三日で彼女に嘘を謝罪し、全てを話す。そして、正直な気持ちを伝える。何てハードなスケジュールなんだろう。我ながら、無茶なことをしたものだ。
過去の計画性のない自分の行動を後悔しつつ、これからの身振りを考えることにした。




