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久しぶりに会った義兄がクズ男になっていた!?

作者: 桃田みかん

 騎士になると言って、義兄は全寮制の騎士養成学校に入って二年。王国の騎士団に入って三年近く経ったが、実家に帰って来ない。

 辛うじて連絡は取れるから生きてるはずだ。



「なんで人の付き合いに一々口出すんだ」

 プラチナブロンドの髪を後ろで結んだ長身の騎士が不機嫌さを隠しもしない声音で言った。

「だって、私たち付き合ってるんだから…他の女の人とは会わないでほしいの」

 対するブロンドヘアの華やかな美女が目を潤ませて騎士を見つめる。

「君が付き合ってほしいって言うから、付き合っただけだ。俺は君のことは特別好きでもないし、別に婚約してる訳でも結婚してる訳でもないんだから一々口を出すなよ。俺がこういう奴だって最初から分かってただろ」

 とても付き合っている彼女に向けるような表情じゃない。薄紫色の瞳には冷たさしか感じられない。


「あぁ、もう面倒くさいし、これ以上君には付き合いきれないから、別れてくれ」

「そんな…」

 しばらく騎士団の寮の裏手で、押し問答をしていた男女だったが、女の方が泣いて帰っていくことでこの修羅場は終了した。


 義兄が女を取っ替え引っ替えしてるなどという、不名誉な噂がまさか真実だったとは!

 久しぶりに会った義兄はとんだクズ男となっていた。


 木の陰に隠れて、現場を覗いていた私は深ーくため息を吐いた。


 私の大好きだった優しい義兄は、暫く会わない間にいなくなっていた。



 ◇◇◇◇◇


「アンナちゃん、これお願い」

 食堂で料理担当のマリンさんから料理を受け取って、カウンターの向こうで注文した料理を待つ長身の騎士に渡す。

「お待たせしました。今日のAランチです」

 騎士団の食堂は昼時で、お腹を空かした多くの騎士で賑わっている。

 出来上がった料理を次々にやって来る騎士たちにを渡して行く。


 義兄が現れるんじゃないかと、内心ドキドキしながら食堂内をさりげなく見渡すけれど、それらしき姿は見えない。

 がっかりなような、ホッとするような…


 暫くすると、ランチを取りに来る人流のピークが過ぎて、落ち着いてきた。


「お疲れ様。初日だし、大変だったでしょ?」

 料理の方も一段落ついたので、マリンさんが声をかけてきた。

「いえ、わたしは料理を渡すだけなんで大丈夫ですよ。作ってるマリンさんたちこそ大変そうです。こんな短時間にあんなにいっぱいのランチを作らなきゃならないなんて」

「それこそ大丈夫だよ。料理人は他に四人もいるし、毎日のことで慣れてるからね」


 わたしは赤茶色の長い髪を三つ編みにして、黒縁メガネをかけて、今日から騎士団内にある食堂でアルバイトをしている。

 学校が長期休みの間働く苦学生という設定だ。


 設定という言葉でお判りだと思うが、実際のわたしは苦学生ではない。

 一応、伯爵家の令嬢なのだ。別に貧乏でもない。


 では、なぜここで働いているかと言うと…


「すみません。まだ大丈夫ですか?」

 カウンターに背を向けて、マリンさんと喋っているところに、聞いたことのある声が聞こえて、体がビクッと跳ねた。


「大丈夫ですよ」

 様子の可笑しなわたしを訝しげに見ながら、マリンさんが答えると

「じゃあ、Aランチお願いします」

 少し低めの若い男性の声がランチの注文をした。


 背後に気配を感じながら、五年近く会ってないんだから、気づかないってことないかなと考えながらマリンさんが料理をするのをじっと見つめていた。


「アンナちゃん、よろしくね」

 マリンさんに頼まれたら仕方ない。

 出来上がった料理をトレイに載せてカウンターの向こうにいる人にちょっと俯いたまま差し出した。


「お待たせしました。Aランチです」

「…」

 いつまで経っても受け取ってもらえず、どうしたのかとそろそろと顔を上げた。


 プラチナブロンドの髪を後ろで束ねた白皙の美青年がアメジストのような美しい瞳を見開いて、こちらをじっと見ていた。


「マリーアンナ?」

「!!」


 秒でバレた。

 わたしが十三歳、義兄が十五歳の時から約五年会ってないというのに!

 何故!?


 義兄のイアン・フレシェンドが呆気にとられた顔でわたしを凝視している。


 一向に顔を出さない義兄の日常を暫く観察しようと、肌の色を少し黒くした上にそばかすを描いて、伊達メガネを掛けて変装したのに!


 へらっと笑って、この場をやり過ごそうとしたら、トレイを持った手をグッと掴まれた。

「こんなとこで何やってるの」

「えっと、ちょっとアルバイトを…」

「は?なんでマリーがアルバイトなんて」


「あの、二人は知り合いなの?」

 問い詰めようとするイアン兄様とヘラっと笑って誤魔化そうとしているわたしをマリンさんが交互に見て、

「こんなところで揉めてたら、注目の的よ。休憩時間になるし、二人で話し合ってきたらどうかしら」

 そう言ってわたしの分のランチを差し出してくれた。


「ありがとうございます。お言葉に甘えて、そうさせてもらいます」

 イアン兄様が輝かんばかりの笑顔をマリンさんに向けると、マリンさんがほぉっとした顔になった。


 必殺、美青年の微笑みはしっかり者のマリンさんにも有効だったらしい。

 恐るべし。美貌の騎士。


 マリンさんからランチのトレイを受け取ると、イアン兄様にガッチリ肩を抱かれて食堂の隅の席に連行される。


 ランチタイムのピークが過ぎて、食堂は人がまばらになってきているとはいえ、まだ残っている人が何人もいる。

 イアン兄様が肩を抱いて連行するわたしを見ると、みんな驚きの表情をする。


 美貌の騎士が連れてるのが、地味なメガネ女なのが驚きなのか。

 イアン兄様にバレないように、目立たないように、わざと地味にしてるんだからね。

 甲斐なく秒でバレたけどね!


「ちょっと急用ができた。隊長に少し遅れるって伝えておいてくれ」

 途中で知り合いに会ったようで若い騎士に伝言を頼むと、わたしを端の席に座らせた。


「まあ、とりあえず食べなよ」

 イアン兄様は笑顔を浮かべているけど、目が笑ってない。


 なんか怖い…

 おずおずとナイフとフォークを手に持ち、食べ始める。

 全く味がしない。

 イアン兄様はさっさと食べ終え、わたしが食べ終わるのを待っていた。


「それで、なんでここでアルバイトなんてしてるの」

「えっと、イアン兄様が帰ってこないから…そのちょっと会いに?」

「なんで疑問形?って言うか、会いに来るのになんでアルバイト?マリーは伯爵令嬢でしょ。普通、伯爵令嬢は騎士団の食堂でアルバイトなんてしないよ」

「はぁ、ごもっともで」

 説教が始まってしまったので、気のない返事を返す。

 元々、こんなことしようと思ったのはイアン兄様がちっとも家に帰って来ないからじゃないか。

 というより、避けられてる気がしたから、強引に再会しようとしただけなんだから。


 わたしの心に全く響いていないことに気付いたのか、イアン兄様が大きなため息を吐いた。


 ため息を吐きたいのはこっちの方なのに。


「それで?どうして、そうまでして俺に会いに来たの?ちゃんと近況を伝える手紙は送ってたよね」

 イアン兄様の言い方に、会いに来て欲しくなかったって言われてるようで、泣きたくなる。


「そうね。手紙はもらったわ。でも、なんで家を出てから、もう五年にもなるのに、一度も帰ってこないの?」

「いや、色々と忙しくて。王都から領地まで馬車だと一週間くらいかかるから」

 わたしの目に涙の膜がうっすら覆ったのが分かったのか、イアン兄様が焦ったような顔になった。


「馬だったら、三日くらいで帰れるって知ってるわ」

 いつまでも何も知らない子どもじゃないのよ。


「うん、まぁ、そうなんだけど」

「従兄弟からイアン兄様の噂を聞いたわ」

 どんな噂なのか分かったのか、気まずそうに視線を落とした。

 わたしは息を一つ吐いて、立ち上がる。


「休憩をいつまでも取ってる訳にはいかないから、仕事に戻るわ。イアン兄様も仕事に戻って。わたしは暫くここでアルバイトする予定だし、また、後で話しましょう」

 それを聞いたイアン兄様は、少し驚いたように目を瞠った後、仕方なさそうに笑った。


「騎士団の食堂でアルバイトするなんて、マリーは相変わらず滅茶苦茶なことすると思ったけど、それでも会わない間に大人になったんだな」

「なんか微妙に失礼ね。わたしだって、ちゃんと働けるわよ」

 わたしが少し睨むと、可笑そうに声を上げて笑い出した。

 それを見た、周囲の騎士たちが信じられないものを見たとばかりにギョッとしたような顔をする。



「分かった。夕方には仕事が終わるから、ここに迎えに来る。俺が迎えに来るまでここで待っているように」

 表面上は笑顔なのに、逃げるなよという圧力を感じて、不承不承頷いた。

 逃げてたのはイアン兄様の方なのに、なんか理不尽…



 王都から離れた田舎の領地を持つ父にであるフレシェンド伯爵はわたしが五歳の時に再婚した。

 実の母は産後の肥立ちが悪く、わたしが一歳になる前に儚くなっていたのだ。

 二つ年上のイアン兄様は義母の連れ子で、母親似の美少年だった。


 母と兄ができたのが嬉しくて、田舎育ちのわたしはイアン兄様を野山に連れ出しては一緒に遊んでいた。

 父はおおらかな人で、使用人との距離も近く、家族ぐるみで楽しく過ごしていたが、わたしの遊び相手はもっぱら使用人の息子たちだったので、わたしの遊びは基本、外遊びだったのだ。


 イアン兄様はわたしが手掴みで蛇を持っても、カエルを部屋に放っても、笑って許してくれる優しい人だった。

 もちろん、お義母様やメイドたちはキャーキャー大騒ぎだったけど。


 そんな楽しい子ども時代は、イアン兄様の騎士養成学校入学で終わりを迎えた。

 わたしは優秀なイアン兄様がフレシェンド伯爵の後を継ぐと思ってたから、なんでって思っていたけど、イアン兄様の意思は固かった。


「マリーを守れるような立派な騎士になるからね」

 そう言って、頭を撫でてくれたイアン兄様は学校が休みでも、卒業しても領地には帰ってこなかった。


 イアン兄様に会えなくなって、暫くしてから、わたしは自分の気持ちに気づいてしまった。

 家にいても、外に行っても、イアン兄様のことを思い出していた。


 表面上は普通に過ごしてはいたけれど、どこか空虚なままだった。

 もうすぐ十八歳の成人を迎えるにあたって、父からわたしに婿養子を取るつもりであることが告げられた。


「イアンは血がつながらないから、フレシェンド伯爵は継げないと言っているんだ。だから、マリーが婿を取ってもらいたい」

「え…でも…」

 知らない誰かと結婚する?

 子どもはイアン兄様とわたししかいないから、イアン兄様が継がないなら、わたしが婿を取るしかない。

 それは分かる。わたしだって、貴族令嬢の端くれなんだから、政略結婚なんてよく聞く話で、仕方ないとも思う。

 だけど、頭では理解できても、感情はついていかない。


 わたしが婿養子を迎えたら、イアン兄様は二度とこの地には戻ってこない。それは確信を持って言える。


「マリーがイアンを連れて帰ってこれるなら、二人でこの地を盛り立ていけばいいと思っているんだ」

 父が優しく笑った。


 イアン兄様を連れて帰って来る?

 一緒に領地を?


 お父様の言っていることを理解すると、胸の高まりと興奮で頬に熱を持ってくる。


「じゃあ、ちょっと作戦を練るわ」

 この五年でどう変わってしまったのか、イアン兄様がどう思ってるのか、不安は心の奥底に押し込めた。

 そうだ。グズグズ悩んでるなんて、わたしらしくない。

 欲しいものは自分で取りに行く。


「それでこそ、我が娘だ」

 満足そうなお父様。

 お父様は細かいことは気にしないタイプに見えるが、意外と策士なのだ。

 前々から、優秀なイアン兄様を跡取りにしたかったに違いない。


 お父様の後押しがあるなら、色々できることはあるはず。

 先ずは、情報収集。


 割と大きな商会を営んでいる叔父の息子の従兄弟のアンドレを呼び出した。商売をしてると、いろんな情報を入ってくるし、情報に疎いようでは出し抜かれる。


「ちょっと言いにくいんだけど」

 言い淀むアンドレを急かして、情報を吐かせる。


「彼には女の噂が絶えない。有り体に言えば、取っ替え引っ替えだな。まあ、あれだけの容姿だし、騎士としても優秀だから、女の方から寄ってくるっていうのもあると思うけどな」

 思ってもいなかったイアン兄様の近況にショックを受けるわたしを見て、最後には慰めるように言うけど、それどころじゃない。


「あのイアン兄様が…」

 どちらかと言うと、下心満載で寄ってくる女を苦手そうにしていたのに。

 万が一、既に結婚を考えるような人がいるのなら、さすがに引き裂くようなことはできないと思っていたけど、まさか、複数?

 もしかして、綺麗な女の人に囲まれるのが楽しくて、領地に帰って来ないとか?

 なんか、すごくムカつく。


 もし、本当にそんな女誑しの碌でもない男になっているなら、そんな男はこっちから願い下げだし、フレシェンド伯爵を継いでもらう訳にはいかない。


「ちゃんと調べないとね」

 鼻息荒く言うと、アンドレは迷惑そうな顔をしていたけど、もちろん、調べるための手筈を整えるのを手伝わせることは忘れない。


 そうして、騎士団の食堂に潜入調査計画が実行されたのだった。



 ◇◇◇◇◇


 食堂でのアルバイトはランチの下拵え、ランチタイムのお手伝い、使用後の食器洗いと片付け、明日のための準備までが仕事だ。

 騎士団の寮で朝食と夕食を出すので、この食堂ではランチだけなのだ。


 わたしの仕事は終わったけれど、イアン兄様の仕事か終わるまでは、まだ時間がありそうだ。


 秒でバレた変装はもう意味がないので、邪魔なメガネを外し、そばかすを施した化粧も落とした。


 本当なら、五年ぶりの再会では少しでも綺麗になった自分を見せたかったのに、わざと目立たないよう地味にしないといけないなんて!

 すごいジレンマの中で変装していたのだ。


 もう意味がないなら、さっさと止めるに限る。


 変装を止めたわたしを見たマリンさんたちは驚いた顔をしたけど、突っ込まない方がいいと判断したのか、何事もなかったように帰って行った。


 誰もいなくなった食堂の窓際の席で、ぼんやりと綺麗に手入れされた庭を眺めていた。


 木の陰から覗いていた時に見たイアン兄様は確かにクズ男だったけど、実際喋ったイアン兄様は五年前とそうは変わらない気がした。

 スマートだった体型は随分逞しくなって、元々綺麗だった顔は大人になったことで、男らしさが加わってより魅力的になっていた。


 いやー、確かにあれは周りの女が放っておかないよね。

 ちょっと落ち込むわ…



 ◆◆◆◆◆


 〈イアン〉


 仕事を終わらせて、急いで食堂に向かう。

「イアン、昼に食堂で喋ってた女の子誰だよ」

 急いでいるのに、同僚騎士のローランドが話しかけきた。


「妹だ」

 足を止めることなく、短く答える。

「妹かぁ。なるほどな。イアンが珍しく笑ってたから、気になってたんだ」

「俺だって笑うことくらいある」

「いやいやいやー、形ばかりの笑いじゃなく、声に出して笑ってるとこなんて初めて見たぞ」

 ローランドが何故かついて来る。


「気のせいじゃないのか」

 素っ気なく答えても、何も感じないのか、話し続ける。

「妹かぁ、あれ?イアンって伯爵令息だったよな。なんで妹が食堂で働いてるんだ?」

「……」

 そんなの、こっちが聞きたい。

 昔からマリーはこっちが思いつかないようなことをやるんだから。


「それにしても、似てないな」

 ローランドが俺の顔を覗き込んでくる。


 いい加減、鬱陶しいなと思ってたら、食堂に到着してしまった。


 食堂の窓際の席で、赤茶色の髪の女の子が窓に寄りかかって寝ているのが目に入った。


 年頃の女の子がこんな場所で寝てるなんて、危機感がなさ過ぎる。

 起こして一言注意しなければと近づいたのだが、気持ちよさそうに眠るマリーを見て、はっと息を呑んだ。


 昼間のよく分からないメイクとメガネはなくなっていて、透き通るような白い肌に閉じられた目には赤茶色の長いまつ毛が縁取られて、形のよい唇が微笑みの形を作っている。


 領地を出た時はまだ、幼さが残っていたマリーはすっかり大人の女性になっていた。

 元々、マリーはかわいらしい女の子だった。突拍子のないことはするけれど、それがまた可愛らしかった。


 子爵だった父親が事故で突然亡くなって、子爵家は叔父に乗っ取られた。俺は幼すぎて後を継ぐことができなかったのだ。

 一応、叔父は後見人だったが、追い出されるように家を出るまで、半年とかからなかった。

 母親は評判の美人だったから、もしかしたら言い寄られていたのかもしれない。

 俺も叔母と従姉妹からはねっとりとした視線を感じていたから、正直、離れられてホッとしていた。

 だから、知り合いの紹介で、母親がフレシェンド伯爵と再婚した時は、凄く警戒していた。


 しかし、義父はおおらかで優しい人だったし、母親を早くに亡くしていたからか、義妹はとても伯爵令嬢とは思えないお転婆だった。


 義妹から初めてもらったプレゼントはカブトムシだったし、セミやバッタももらったことがある。

 義妹に外に連れ出されて、使用人の息子たちも交えて日が暮れるまで遊んでいた。


 穏やかで、楽しい日々だった。

 でも、いつまでも子どもではいられない。

 伯爵の実子ではない俺は自分で身を立てないといけない。

 義父は俺に後を継がせることも考えていたようだったが、実子のマリーがいるんだから、マリーが継ぐべきだ。

 だから、騎士になることにした。


 騎士養成学校に行くために領地を出る時には、こんなに長く帰らないつもりはなかった。

 でも。王都で過ごすうちに、俺の容姿に惹かれて女性たちが寄ってくる時いつも、マリーと比べていることに気づいてしまった。

 マリーといた時はあんなに楽しかったのに、どれだけ評判の美人だろうと、全く心が動かない。


 言い寄られて、何人かと付き合ってはみたけれど、心が許せたことは一度もなかった。


 離れてみて、初めて、妹としてではなく、マリーに恋情を抱いていると気づいた。

 それでも、マリーは義理とはいえ、妹だ。

 この気持ちを知られる訳にはいかない。

 会えば、この気持ちが溢れてしまう気がして、領地には戻れなかった。


 それを誤魔化したくて、女性と付き合うけれど、満たされない。

 こんな気持ちでは、申し訳ないからと付き合い始めて三ヶ月と経たないうちに敢えて冷たい言葉で別れを告げた。

 今度こそはと思って付き合うものの、やっぱり会うのが面倒になる。


 俺の女性関係が派手だと噂になるのに、時間は掛からなかった。

 その上、王太子付きの近衛騎士になったら、王太子からの「その顔貌を使って女性たちから話を聞いてきてよ」なんていう無茶振りによって、噂が更に加速した気がする。


 そもそも半分以上は身に覚えのない話だったが、どうでもいいからと放置していた。


 まさか、王都から離れた領地にいるマリーがその噂を聞いてやって来るなんて、思いもしなかった。


 騎士団の食堂のアルバイトとして潜り込むなんて、予想外過ぎる。

 マリーには負けるな。

 もうそろそろ、この感情にちゃんとケリをつけなきゃな。




「あれ?昼間の子だよな?メガネがないせいか、なんか印象が違うな。すごいかわいい…」

 すっかり存在を忘れていたローランドの足を蹴飛ばしてだまらせる。


「嫌らしい目で見るな。マリーが穢れる」

 これ以上、マリーのかわいい寝顔をローランドに見せる訳にはいかないから、そっと揺り起こした。




 ◆◆◆◆◆


「…マリー、起きて」

 体を揺すられて、ゆっくり目を開けると、アメジストのような瞳と目が合った。


「!?え?イアン兄様!?」

 起き抜けにイアン兄様の顔を間近に見て、驚きのあまり椅子から転がり落ちそうになったが、イアン兄様に支えられて、なんとか事なきを得る。


「マリー、こんなとこで寝てたら危ないだろ。変な奴に目をつけられたらどうするんだ」

 渋い顔をするイアン兄様に

「ごっごめんなさい」

 寝起きで働かない頭ではあるものの、条件反射で謝った。


「おいおい、その変な奴って俺のことか」

 イアン兄様の後ろで彼と同じ年くらいの騎士が苦笑している。


 誰?

 小首を傾げて、その人を見てると、イアン兄様がわたしの手を引いて歩き出した。

「こいつのことは気にしなくていいから」


「おい、無視するなよ」

 イアン兄様に手を引かれながら、笑いを噛み殺したような顔をして立っている彼に、軽く頭を下げた。


 手を振られたから、手を振ろうとしたら、イアン兄様に止められた。

「あいつのことは放って置いていいから。マリーはタウンハウスに泊まってるのか?」

「そうよ」

「一人で歩いて来たのか?」

 イアン兄様の顔が怖い…


 フレシェンド家のタウンハウスは王城から二十分ほど歩いた場所にある。

 苦学生のアルバイトが馬車で乗り付ける訳にはいかないので、徒歩通勤だ。


「えー、一人じゃないわよ。お城の入り口までは護衛が一人ついて来てくれたから」

「帰りはどうするつもりだったの」

「入り口まで迎えに来てくれたわよ。でも、今日はイアン兄様が待ってろって言うから、帰ってもらったの」


 イアン兄様がふーっと息を吐き出した。

「最低限の危機意識は持っているようでよかったよ」

 ほっとしたように笑う。


「イアン兄様って、そんなに過保護だった?」

「マリーがあんまり綺麗になったから、過保護になったのかもな」

 微笑みを浮かべるイアン兄様から目がはなせなくなる。


 綺麗って言った?言ったよね?言ったに違いない。

 脳内はイアン兄様の言葉でお祭り騒ぎだ。


 いつの間にやら、色とりどりの花が綺麗に咲き誇っている庭園に出て来ていた。


「マリー。本当はこんなこと言うべきじゃないのかも知れないけど…」

 イアン兄様は緊張したような顔をしている。


「俺はマリーのことを妹ととしてじゃなく、女性として好きなんだ。マリーといれば、自然と笑えるし、楽しい。だけど、マリーが兄としてしか見れないって言うなら、このまま兄のままでいるよう努力する」

 瞳を瞬かせて、イアン兄様の美しい顔を見つめた。


「え?わたしまだ寝ぼけてる?わたしの願望がそのまま夢に現れてる?」

 混乱する頭で、ぶつぶつと言うわたしを見て、イアン兄様はちょっと眉根を寄せて小首を傾げた。


「願望ってことは、マリーはそれを望んでいるのか?」

「もちろん。だってわたしはずっとイアン兄様が好きだったんだから。わたしを好きになってくれたら万々歳よ。そうしたら、無理矢理既成事実作ったりしなくて済むもの」

 イアン兄様は暫し瞠目して、次の瞬間、顔を赤らめた。


 夢の中のイアン兄様もやっぱり眼福ね。

 わたしの欲望ってすごいわ。見たことのないイアン兄様のかわいい表情が見られるなんて!


「いや、マリー。いくらなんでもそれは義父上が許さないよ。俺は嬉しいけど」


 イアン兄様の少し冷たい指先がわたしの頬にそっと触れた。

 その冷たさに、ビクッと肩先が跳ねた。


「え?まさか夢じゃない?」

 呆然として、可笑そうに笑うイアン兄様を見つめる。


「夢じゃない。夢だったら困る」

 イアン兄様は蕩けるような表情で、わたしの頬を撫でている。


 え?え?え〜?

 欲望のまま、凄いこと言っちゃった気がする!

 気を失う?失っちゃう?

 いやいや、待って。イアン兄様、わたしのことを好きだって言ったよね。

 両思い?両思いなの?両思いよね?


 頭の中は絶賛混乱中。

 なんか、聞かなきゃいけないことがあった気が…


「あっ!そう言えば、イアン兄様って女誑しなの?わたし、浮気は無理なんだけど」

 わたしの歯に衣着せぬ物言いに、イアン兄様はピシッと固まった。


 暫くしてフリーズが解けると、大きなため息を吐いた。


「それについては、まぁ、何もないとは言わないけど、噂の半分以上は身に覚えがない」

 イアン兄様はそう言いながらも、ちょっとバツの悪そうな顔をした。


「じゃあ、昨日の人は?」

「昨日の人?」

「昨日、食堂に挨拶に行った帰りにイアン兄様が女の人と話してるのを聞いちゃったの」

「ああ、あの時か…彼女とは元々、一ヶ月でもいいから付き合って欲しいって言われて付き合ってはみたんだけど、束縛が激しくて。情報収集のために女性たちに話を聞いてるのが許せなかったみたいだから、一ヶ月経たずに別れたんだ」

 一ヶ月…思った以上に短い交際期間。


「正直に言えば、血が繋がらないとはいえ、やっぱり妹だし、マリーのことは諦めないといけないと思ってたんだ。だから、ちょっとヤケになってた。彼女には悪いことしたと思う。いくらそれでいいと言われても、好きでもないのに最初から付き合うべきじゃなかった」

 キュッと唇を噛み締めた後、不安そうに瞳を揺らしてるイアン兄様と目が合う。


 身体の大きなイアン兄様のシュンとした様子がなんだか、捨てられそうになってる子犬みたいで、ついつい吹き出してしまう。


 ケラケラ笑うわたしを見て、イアン兄様は、はーっと大きなため息を吐いた。



「側にいて欲しいのはマリーだけだ。だから、浮気はしない。俺にはマリーが一番大切なんだ」


 わたしの手を取ったイアン兄様の澄んだアメジストの瞳に捕らえられた。

 息を詰めて、その瞳に映る自分を見つめる。


「マリーアンナ、俺と結婚してもらえますか」

「……はい。よろしくお願いします」

 結婚?結婚!結婚!!イアン兄様と結婚!!

 脳内に一斉に花が咲いて、夢現で返事をする。


 次の瞬間、大きな身体にぎゅっと包まれた。

「よかった」

 イアン兄様はわたしの耳元で安堵の息を吐き出した。


 ひょえ〜

 イアン兄様の息がぁ〜


 イアン兄様の体温を感じて、顔が沸騰しそうになる。

 あまりの供給過多に、既に息も絶え絶えだ。


「真っ赤になって照れてるマリーもかわいいな」

 少し身体を離して、イアン兄様が覗き込んで嬉しそうに笑う。


 赤い顔を誤魔化すように、目を逸らして咳払いをした。

「とっ取り敢えず、日が暮れちゃうから今日は帰らないと」

「そうだね。送ってく」

 さりげなく、距離を開けようとするのに、イアン兄様はわたしの手を引いて歩き出した。



「今度休みを取って、一度領地に戻るよ。ちゃんと義父上に許しを得ないと」

 決意の篭ったキリッとした秀麗な顔をドキドキしながら見上げた。


 お父様の許しって、あれよね?結婚の許しをよね?

 自然と頬が緩んで、嬉しさを噛み締める。

 ん?待って。領地?


「領地に戻るの?でも、まだ暫くここでアルバイトするから、わたしはすぐには無理よ」

「え!?まだ続ける気なのか?」

 イアン兄様が驚いた顔をして、見つめてくる。


「約束は一ヶ月だから、その分は働くわよ。急に辞めたりしたら迷惑がかかるでしょ」

「まぁ、確かにそうだけど…」

 イアン兄様は少し困ったような顔をした後、仕方ないなとため息を吐く。


「じゃあ、あのメイクとメガネはしておいて」

「え?もう変装する必要ないと思うけど」

「必要だよ。騎士団の食堂で貴族令嬢然としたマリーが働いてたら、目立つから。このままじゃ、変な虫が次々湧いてくるに決まってる」

「そんな貴族令嬢っぽいかな?まあ、イアン兄様がそう言うなら、そうするけど」

 イアン兄様の最後の方の言葉は小さくてよく聞こえなかったけど、わたしも目立ちたい訳じゃないから、大人しく言うことを聞いておく。


 庭園を出ると、途端に人の行き来が多くなる。

 みんな、笑顔のイアン兄様と私たちの繋がれた手を二度見して、瞠目する。


 イアン兄様はみんなに、一体どんな人だと思われているのか。

 まぁ、イアン兄様のことはわたしが分かっていれば、それでいいんだけど。


 久しぶりに会ったイアン兄様はちょっとクズなとこもあったけど、ちゃんと反省もしてるし、やっぱりわたしには優しい人だった。


 満ち足りた気持ちで、久しぶりに繋がれた手を見つめた。



 イアン兄様を婿養子に迎えるために、お父様が既に色々と手筈を整えているだなんて、この時の私たちには知る由もなかった。


 久しぶりに会った義兄が旦那様になる日まで、あともう少し。




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