三八二年 祈の二十三日 ①
訓練最終日。五人の訓練生とディアレス、そして今日は午前中の参加のテオに、ロイヴェインの指示が飛ぶ。
足場の悪い木々の間を縫うように走りながら、投げられる小石を避け、時折寸止めの不意打ちを仕掛けるゼクスたちをかわす。
その様子を眺めながら、考え込むような表情を見せるジェット。
「どうかしたのか?」
ダリューンに問われ、ああ、とジェットが頷く。
「テオが」
「…確かにそうだな」
言われてしばらくテオを見ていたダリューンが、納得したように呟いた。
「無理もない」
訓練が始まってしばらく、ウィルバートは食堂へ向かっていた。
今日は午後のお茶の準備に忙しいだろうから多分心配はないとテオに言われていたのだが。せっかく手の空いた時間、宿の部屋にいるよりはククルの前にいたかった。
今回はククルに対しても仕事の話をしなければならないせいで、あまり普通の会話ができなかった。ロイヴェインにああ言った手前節度は守らなければならないが、本当はもっと話をしたい。
そのくらいは許されるかと思いながら店に入ると、昨日以上の甘い香りが漂っていた。
「ウィル。お疲れ様です」
そう言い微笑むククルに笑みを返し、ウィルバートは昨日と同じ席につく。
「忙しいところにごめん。ちょうど少し手が空いたから」
「お茶を淹れるわね」
口調を寄せてそう言い、お湯を沸かし始める。
「訓練ももう終わりね」
「ククルは忙しかった?」
見上げるウィルバートに少し笑って。
「忙しくて楽しかった、ですね」
ククルはかつての言葉を繰り返す。
「ウィルのほうこそ。大変だったのでは?」
戻ってしまった口調に笑いながら、ウィルバートは頷いた。
「初めてのことだから。でも概ね問題なしかな」
そこまで話してから、結局は仕事の話になるんだなと苦笑する。
「…年が明けてから、仕事抜きで来られたらいいんだけど」
明の一日に式典があるのでそれからになるが、数日は休みをもらえるはずだ。
ランスロットからもまた顔を出せと言われているので、日数によっては帰りにレザンに寄ってもいいだろう。
お待ちしてますね、と微笑むククル。
その笑みを瞳を細めて見つめ返し、ウィルバートはゆったり流れる穏やかな時間と、手を伸ばせないもどかしさを感じていた。
もうすぐ昼というところで、ロイヴェインが皆を集めた。
「じゃあ午前は最後だし。皆で英雄さんに打ち込みしよっか」
「だから勝手に決めるなって…」
突然予定していた内容を変更するロイヴェインに、ジェットが笑う。
「ま、ナリスも入れて二対五なら受けるよ。ディアレスはあとで一対一な」
「テオは見てて。あとで講評聞くからね?」
ロイヴェインにそう言われ、テオは少し下がって腰を下ろした。
そうしてナリスを加えての二対五と、ジェットとディアレスの一対一の模擬戦が行われる。
どちらかというと指導に重きを置いたものではあったが、それでも英雄との手合わせは心躍るものだったらしい。嬉しそうな訓練生たちに、ジェットも役目を果たせたかとほっとする。
午前中はこれで終わりと言いかけてから、自分を見るテオの視線に気付いた。
何かと聞く前にテオが目の前にやってくる。
「俺もやる」
「テオ?」
「昨日ロイにも言ったんだろ? ククルに聞かれたら説教だって、俺言ったよな?」
小声で続けられた言葉に、うっとジェットが詰まる。
「ロイがそういう理由でやるなら、俺もやる」
真剣そのもののテオの眼差しに、ジェットもまっすぐテオを見返し首を振った。
「駄目だテオ」
即答で断られ、テオはじっとジェットを見上げる。
「何で?」
「自覚ないかもしれないけど、お前、自分で思ってる以上に疲れてる」
動きから見るこちらの予測より実際の行動が少し遅れる。溜まった疲労に反応が遅れ、動きに差が出ているのだろう。
「そんなこと―――」
「ギルド員じゃないテオに怪我をさせるわけにはいかない。堪えてくれ」
強く言い切られ、自分は好意で訓練に参加させてもらっていることを思い出したテオは仕方なさそうに頷いた。
そのままうなだれるテオの頭に手を乗せて、ジェットは表情を和らげる。
「俺が帰ったときにいつでもできるんだから。また今度な」
少し強めに頭を撫でられながら、約束な、とテオが呟いた。
昼食を終え、午後の訓練が始まる少し前。
「クゥ、ちょっとテオ借りていいか?」
店を覗いてそう言うジェットに、もちろんよとククルが笑う。
外に出て町を見下ろすように座ったジェットは、とりあえず座れと隣を示した。
「さっきは皆の前で悪かったな」
気にしていたのだろう、腰を下ろすなりそう言われ、テオは笑って首を振る。
「ジェットのせいじゃないだろ。止めてくれてありがとう」
既に切り替えたらしいテオ。気に病む様子がなく、ジェットは内心安堵する。
「宿にも食堂にも出てるんだもんな。…ごめんなテオ、お前にばっかり負担かけて」
「ジェット?」
急に沈んだ声音にテオが名を呼ぶ。
「ウィルから聞いてる。クゥのこと、ホントにありがとう。テオがいてくれるから、クゥは笑ってられるんだな」
自分が何も知らず、何もできないうちに、テオはククルを助けて支えてくれていた。
言外の詫びに気付き、テオは再度首を振った。
「…俺は自分がそうしたいからやってるだけだって。それに俺ががんばれるのは、ジェットがいるからでもあるんだ」
「俺?」
急に名を出されて怪訝そうな顔で見返すジェットに。
テオは笑い、頷く。
「何ていうか。俺たちからしたら、生まれたときからジェットは英雄だったから。だから、ジェットが英雄になったんじゃなくて、ジェットは英雄っていう職種なだけなんだよな」
上手く言えないけど、とはにかむテオ。
「俺にとってジェットは、ククルに甘くて、父さんたちに怒られて、町の皆にかわいがられてるだけの普通の人で。小さい頃は全然特別な人だって認識なくてさ、ただのギルド員じゃなくて英雄なのも、がんばったからなんだろうなって。それぐらいにしか思ってなかった」
町の住人たちが自分を英雄扱いしないのは、自分が望んで英雄になったのではないと知っていたからだ。
その理由を知らないテオが自分を英雄扱いしなかったことに、正直今まで疑問を感じたことはなかったのだが。
そんなふうに思っていたのかと、今更ながら驚く。
「もちろん本当はそんな生易しいことじゃなかったって、こないだ知ったんだけど。でも、だからなおさら思うんだよ」
正面からジェットを見つめる瞳に浮かぶのは、尊敬と慰謝。
「そんなジェットが近くにいるから、俺だってって気になるんだ。次にジェットに会ったときに恥ずかしくないようにがんばらないとって」
「テオ…」
さすがに面と向かってで照れが勝ったのか、視線を逸らしてテオは立ち上がった。
よぎるのは嬉しさと驚き。ジェットはテオを見上げ、それから瞳を伏せた。
「…ありがとな」
「俺のほうこそ」
ジェットを見ないまま、テオが返した。
「でもまぁ、ジェットもいつも通りでよかったよ」
暫しの沈黙の後、ぽつりと零れたテオの呟きに顔を上げるジェット。
どこか不思議そうなその眼差しに苦笑して、テオは続けた。
「今回は英雄としてのジェットしか知らないギルド員たちが来るからさ、窮屈じゃないのかなって心配してたんだ」
自分はここライナスでのジェットしか知らないが、どうやら町の外では構え方が違うらしく、リックも最初は戸惑ったと言っていた。
「逆に皆のほうがびっくりしてた。今まで思ってたのと感じが違うって」
「変えてるつもりはないんだけどな」
そう穏やかに笑うジェットはやはりいつもの顔で。
こうしていつの間にか、ここでも、どこでも、ジェットらしくいられるようになればいい。
そんなことを思いながら、テオはジェットに右手を差し出す。
「訓練、最後だろ。らしいとこ見せてやって」
「だから。名ばかりだって言ってるだろ」
ぼやきながらその手を借り、ジェットも立ち上がった。




