三八二年 祈の十八日
「テオ! ククル! 久し振り!」
昼過ぎ、勢いよく扉を開けた淡茶の髪の少年。驚いて自分を見返すふたりに、笑って手を上げる。
「しばらくよろしくな!」
「リック! 来てたんだ?」
カウンターから出てきたテオと拳を合わせ、ククルには手を振って、リックは頷く。
「ジェットの師匠だろ? 絶対ためになるから行ってこいってジェットが。あ、最終日までには来るからって」
言付けられていたのだろう、ククルにそう告げてから、リックは入口を振り返った。
「挨拶したいって言ってる奴がいるから、ちょっと外出てくれる?」
そう請われ、テオとふたり首を傾げながら店を出る。出てすぐのところに立つのは、褐色の髪の少年だった。
「ディー!!」
テオに嬉しそうに名を呼ばれ、ディアレスは照れくさそうに藍色の瞳を細めた。
「ギルド、やめずに済んだよ」
「聞いた! 本当によかった」
そう言い笑うテオにありがとうと返し、ディアレスはククルに視線を向ける。
「ククルさんとジェットさんが許してくれたから、俺はまだここにいられるんだと思ってる。本当に、ありがとうございました」
「私は何もされていないんですから、事実を言っただけですよ。その…」
目の前の少年の名前をククルはもちろん知っている。しかし本人から名乗られたことはなく、何と呼んでいいのか迷っていた。
口籠っている理由を察したテオが、名前、とディアレスに促す。
はっとしたようにテオを見て、そういえばと笑う。
「ディアレス・フリーム。ディーと呼んでもらえれば」
「わかりました。私のことは呼び捨てで構いませんから」
略称呼びでいいと言われたので、略称のないククルはそう返した。少し驚いてククルを見てから、ディアレスがありがとうと呟く。
「でも訓練が終わるまでは、ククルさんと呼ぶよ」
ディアレスとリックは宿にいるゼクスたちに挨拶に向かい、入れ替わりにやってきたディアレスの師匠、セドラム・リーヴスは、名乗るなりククルに謝罪した。
ディアレスを責めるのではなく、己の不行き届きが原因だと詫びるセドラムに、今までと同じように何もされていないと答える。
改めて礼を返したセドラムは、無理に訓練を見学する許可をもらったと言い、勉強させてもらうつもりだと笑った。
ひとり増える詫びも言われたふたりの下に、今回一団を案内してきたウィルバートが近付いてきた。
「ああ、もう挨拶されましたか」
「今済んだところだ、では、世話をかけるがよろしく頼む」
気を遣ったのだろう、そう言いセドラムは場を離れていった。
「お久し振りです。今日から七日間、よろしくお願いします」
表情は柔らかいが口調は以前のそれに戻し、ウィルバートは場を借りる礼を述べる。
「俺も最後まで同行しますので、何かあれば言ってください。あと、リックから聞いていると思いますが、ジェットも二十二日には着く予定になっています」
「わかりました」
頷くふたりに今日、そして明日からの予定を告げてから、ウィルバートは少し申し訳無さそうに眉を下げる。
「すみません。宿も食堂も忙しいでしょうし、何か手伝えればいいんですが…」
「気にしないでください。ウィルも仕事で来ているんですから」
そう答えてから、ふと気付く。
今回はジェットたちだけではなく、ゼクスたちやほかのギルド員たちもいる。自分が事務長の補佐になったというウィルバートを略称で呼び捨てていいのだろうか。
「あの、ウィルバートさんと呼んだほうがいいですか?」
そう思い尋ねたククル。見返すウィルバートの紺の瞳に驚愕と納得がよぎるが、すぐに笑みに消された。
「気遣いありがとう。よければ気にせずウィルと」
声をひそめ、素の口調で告げられて。
本当にいいのかとは思ったが、ククルはわかりましたと頷いておいた。
宿から出てきたゼクスが教官側四人の紹介のあと、今回訓練を受けるギルド員たちと宿と食堂を取り仕切るククルたち五人の顔合わせをする。
訓練生はリックを含めて五人、皆年若い少年たちばかりだった。
「理由に関わらず、町の住人に手を出した場合は厳罰に処す。許可なく町へ降りるのも禁止する。町の厚意でここを使わせてもらっていることを努々忘れるな」
緊張気味の少年たちに厳しい声でそう言い置いてから、これからの予定を話す。
今日は軽く各自の身体能力を見る程度で、訓練自体は明日からだ。
ぞろぞろと宿へ向かうリックたちを見送ってから、ククルは店へと戻る。
荷解きがてら少し休憩、と言っていた。前のようにお茶をするのは最終日だけと言われたが、到着したばかりの彼らに部屋で飲んでもらうくらいならいいかと考える。
テオに話すと、お茶は宿で淹れると言って出ていった。ウィルバートが来るので焼いておいたパウンドケーキを切り、人数分包む。
レムが引き受けてくれた、とテオはすぐに戻ってきた。
「俺行こうか? それとも様子見たい?」
「苦手な物も聞きたいし、私が」
前回同様、ギルド員たちの食事内容はこちらで決めていいことになっていた。セドラムを含めて面識がない五人には事前に聞いておければ配慮もできる。
まずはゼクスに渡して訓練生たちにも出していいかと尋ねると、ククルちゃんらしいなと笑って許可をくれた。
「ひとりじゃ大変だろう。ロイ、手伝ってこい」
ゼクスにそう振られ、ロイヴェインは僅かに動きを止めてからククルを見る。
「ククルさえいいなら」
見える遠慮と迷いには気付かない振りをして、ククルは微笑んで頷いた。
「お願いしてもいいですか?」
「…喜んで」
瞳を細めるロイヴェインが、安堵を滲ませ呟いた。
二階のゼクスたちの部屋から宿の厨房へお茶を取りに行く。
やはり少し距離を空けてついてくるロイヴェイン。階段の手前、ククルは立ち止まって振り返った。
「…ロイ」
同じように立ち止まり、呼ばれた名に首を傾げる。
「何?」
「気を遣ってくれてますよね?」
見返す瞳に驚きはなく、ただ薄い微笑みと共に頷かれる。
「そりゃあね。…俺はもうククルを泣かせたりも、怖がらせたりも、したくないから」
心から願うような、切なる声。
ロイヴェインの後悔の深さを垣間見、ククルは瞳を伏せる。
彼をここまで追い詰めたのは、無意識とはいえ自分の態度でもあるのだから。
お互い忘れると言っても以前と同じようにはできない。しかし、それでも。
「…もう少し、力を抜いてください」
来てくれた客が楽しそうに食事をする様子に励まされ、美味しかったと言われて喜んで。
そんな自分には、遠慮気味に微笑む今の彼の姿は見ていて辛い。
「店に来て、寛いでもらえないのは悲しいです」
言い切った、ククルにしては強い声に。
見つめ返す翡翠の瞳が揺らぎ、伏せられる。
「…ククルは優しいね」
ぽつりと洩らし、視線を上げるロイヴェイン。占める憂いを振り払うように、息をつき、笑みを見せる。
「ありがとう」
ロイヴェインは呟き、一歩だけ歩を寄せた。
全員にお茶と菓子を配り終わり、ロイヴェインは部屋に戻った。
「ご苦労だったな」
そう言い笑うゼクスに首を振り、テーブルに自分の分のトレイを置く。
礼を言い、トレイを手渡してくれたククル。受け取るのに、指に触れてしまわないよう気を付けた。
―――本当は触れたい。
心の中ではそう思っているのに、どこまで力を抜いて接してもいいのか。もう自分にもわからない。
それでもククルの言葉は嬉しかった。
違うとわかっていても、諦めなくていいと言われているように聞こえて仕方がなかったが。
己の手を見つめ、嘆息する。
見失った距離感を取り戻すには、もうしばらくかかりそうだった。




