三八二年 祈の十二日
朝食の片付けと仕込みを進めながら、テオは考えていた。
宿と食堂の了承を先に確認したジェットたちは、アレックと共に町の住人たちに話しに行った。おそらくそう難航することはないだろうから、きっと昼には戻るに違いない。
人数は前回と変わらないだろうと言われたが、立場上おとなしくしていたあの六人と違い、今度は何の遠慮も必要ないギルド員たちが来ることになる。
普段のように移動の合間の一泊ではない。数日滞在するということでどんな違いがあるのか、それがまだわからなかった。
あとで父と話をしようと思いながら、隣で仕込みをするククルを横目で見る。
ロイヴェインがヴェインであることは、その理由と共に昨夜ジェットが話してくれた。
もちろん自分は初耳だ。しかし手紙を見たときの様子からすると、ククルは知っていたのだろう。
問い詰めたい気持ちと、聞いてどうするんだという気持ちと。ふたつの狭間でテオは心中吐息を洩らす。
前回ヴェイン―――ロイヴェインが不自然な帰り方をしたこともあり、彼には不信感にも似た疑問を抱いたままだ。
(…ククルはどこまで知ってるのかな)
ククルのことは一番わかっているつもりだった。
一緒に店に立つようになり、今までより共に過ごす時間も増えたはずなのに。
取り巻く環境が変わり、おそらくククル自身も何かが変わったのだろう。悲しんでる、悩んでるという感情には気付けても、その理由まではわからなくなってきた。
こうしていつの間にか、わからないことが増えていくのだろうか。
「テオ?」
声をかけられ、手が止まっていたことに気付く。
ごめんと笑い、テオは作業を再開した。
特に問題なく町の住人たちとの話もつき、ジェットたちが宿に戻ったのは昼前だった。
混む時間を避ける為、食堂には昼過ぎに向かう。ウィルバートは一緒に食堂へ、宿を手伝っていたナリスは向こうで食べるとそのまま残った。
「エト兄さん、お疲れ様」
店に入るなりそう微笑むククルの姿に、ジェットはウィルバートから聞いた話を思い出す。
心ここにあらずとでもいうような様子で泣いていたというククル。こうして見ている限りでは、とてもそんなことがあったとは思えない。
「クゥもお疲れ」
宿にいる四人分の昼食の用意も頼み、いつものテーブルにつく。
イルヴィナの件が片付き、自分もようやく荷を降ろすことができた。英雄を続けなければならないのは誤算だが、それでも少しは取れる時間も増えるはずだ。
訓練という口実もできた。これからは少しでもここへ戻り、ククルの様子を見られればと考えていた。
「どうぞ」
昼食を運んできたククルが微笑んで皿を置く。
向けられる屈託ない笑顔をこの先も守る為に。
自分に何ができるだろうと、ジェットは独りごちた。
今日も夜の店番を引き受けたウィルバート。働くククルを眺めながら、どう切り出せばと考えていた。
先日の、ロイヴェインのあの様子。
どうやら自分の想いは知られていて、その上でああも挑発してくるということは。
(…遊びのつもり…ならまだしも…)
楽観視できそうにない、ロイヴェインの態度。
誕生日、自分の不在中を狙ったかのようにプレゼントを渡しに来たと知って、少し嫌な予感がした。
イルヴィナで全く気付かなかったのは本当に自分の落ち度でしかない。
自分が存在にすら気付かないうちに、一体どこまで入り込んできているのか。
ククルにはロイヴェインとしても接していたと本人が言っていた。相手は女好きの遊び人と言われる男、ククルにも何かちょっかいをかけているに違いない。
それをククル本人に確かめたいのだが、どう聞けばいいのか見当もつかず。
(今からこんな調子じゃ、先が思いやられるな…)
心中、嘆息と共にぼやく。
ここライナスで訓練が始まれば、ロイヴェインに加え、ほかのギルド員たちの出入りも増える。もちろん自分が来る機会も増えるだろうが、それでも心配は尽きない。
町の者に手を出すと厳罰に処すと、ここに来るギルド員には告げられることになっているが、果たしてどこまで抑制効果があるものなのか―――。
空になったグラスに気付き、食事を用意しましょうかと尋ねるククル。
お願いしますと頷いてから、ウィルバートはククルを見つめる。
以前はこうして眺めていられるだけでも幸せだったのに。
段々貪欲になる己の心に、浮かぶ自嘲を押し殺し、ウィルバートは溜息を呑み込んだ。
閉店作業も終え、テオも帰った。
「じゃあクゥ、明日早いけど頼むな」
ジェットは明日の早朝に町を出ると言っていた。当日中にアルスレイムまで戻るつもりなのだろう。
わかってると頷くと、ジェットは笑ってククルの頭を撫でる。
「悪いけど酒はまた次にな。訓練の終わりには顔を出すから」
「無事に来てくれたらそれで十分よ」
来てくれさえすればいいと言うと、ジェットは嬉しそうに表情を崩した。
「俺も少し来る回数増やせたらって思ってるけど。訓練中何かあったらすぐ誰かに言うんだぞ?」
「わかってるわ。ゼクスさんたちも来てくれるんだから、心配ないでしょう?」
そう頷くククル。見返すジェットがふと真顔になる。
「…クゥ。あいつ…ロイには何もされてないか?」
「えっ?」
どきりとするが、それ以上の動揺は何とか堪える。
「いや、ちょっと気になる噂を聞いたもんだから」
言葉を濁すジェット。
何かとは、何度もからかわれたことを指すのだろうか。それとも―――。
お互い忘れようと言ったのだから、それを言うつもりはなかった。
「……事故現場に連れていってもらったわ」
なので代わりにそう告げると、ジェットは驚いたように瞠目する。
「向き合うのも大事だって言われて。いっぱい泣いちゃった」
「クゥ…」
何かに耐えるように瞳を伏せ、ジェットは息をついた。
「…俺がすべきことだったな」
「エト兄さん?」
浮かんだ失笑を隠すように、ククルを抱きしめる。
「次会ったら礼言っとくよ」
そう呟き、ジェットはもう一度ククルの頭を撫でた。