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三八二年 実の四十三日 ①

 昼の馬車に乗るからと、朝食後しばらくでゼクスたちは町を発った。

 わざわざ話しに来てくれたことに礼を言うと、さらに礼を返されて。

 今度はただ遊びに来ると笑って帰っていった。

 何かと続いた騒動も終わってみれば、たくさんの人に知り合え、その優しさを知る日々であったと思えた。

 彼らとの再会を待ちながら、これからも自分は変わらず店に立つのだろう。

 大切なものを失った代わりに新たな出会いがあり、自分を気遣ってくれる周りの優しさに気付いた。

 時折滲む喪失感も、きっとそのうち薄れていくのだろうと。ククルはそう思っていた。



 昼の営業も一段落し、片付けを済ませたテオは宿へ戻った。ククルがひとり仕込みをしていると、不意にドアベルが鳴る。

「ただいま〜!」

「ロイさん?」

 中にテオがいないことに気付いていたのだろう、髪を結んだロイヴェインがにっこり笑って入ってきた。

「どうしたんですか?」

「忘れ物したから。じぃちゃんたちには先帰ってもらったよ」

 そう言いながらまっすぐ花瓶の前まで行き、うしろに手を入れて白いハンカチを取り出す。

「大事なものだからね」

 見せられたそれは、ククルがお返しに贈ったハンカチだった。

「気付きませんでした…」

 どうしてそんなところにと思うククルに、ロイヴェインはさらに笑う。

「気付かれたら取りに戻れないからね」

 確信犯の台詞と共に、ロイヴェインはカウンター席の真ん中に座る。

「せっかくだからゆっくりしていくよ」

「お茶を淹れますね」

 お茶と菓子を出してから仕込みを再開したククルだが、前に座るロイヴェインがじっと見てくるのでやりにくい。

「…あの、ロイさん?」

「何?」

「そんなに見られると、穴が空きそうです…」

「空かない空かない。大丈夫」

 笑って軽く返される。

 またからかわれているのかと、ククルは心中溜息をついた。



「そういえば。ククル、あれからちゃんと泣いた?」

 唐突に問われ、ククルは何のことかとロイヴェインを見る。

 怪訝そうなその様子に、珍しく苦笑を見せて。

「英雄さんの話聞いて。ずっと心配してたんだよね?」

 昨日のことかとようやく思い当たり、気にしてくれていたのかと申し訳なく思う。

「大丈夫ですよ。昨日もほっとしただけなので…」

「ククルってば、すぐ大丈夫って言ってない? 俺今まで何回も聞いたよ?」

 ロイヴェインの指摘に、ククルは少し考える。

「そう、ですか…?」

「うん。昨日だってそうだし、ククルの話聞いてたら結構言ってるなって」

 言われてみればそうなのかもしれないが、全く自覚はなかった。

「無理してるつもりはないだろうけど、聞いてるほうは心配になるから」

 何か思い当たることでもあるのだろうか、少し目を伏せて呟くロイヴェイン。

「何も言われないままなのも、辛いからね?」

「ロイさん…」

 昨日も今日も。からかわれてばかりではあるが、こうして本気で心配してくれる一面があることを、ククルはちゃんとわかっていた。

「ありがとうございます。気をつけてみますね」

 そう言い微笑むククルに、ロイヴェインもようやく表情を和らげる。

「俺の胸ならいつでも貸すから言って?」

 茶化してくるのもきっとロイヴェインなりの気遣いなのだろうと思い、わかりましたと頷くククルに。

「本気で言ってるからね?」

 やはりからかうつもりもあるのだろうか、瞳を細めてロイヴェインはつけ足した。



 少しはいつもの調子に戻っただろうかと、ロイヴェインは笑みにほんの少し苦さを滲ませるククルを見る。

 無理をしそうなことに気付いてはほしいが、追い詰めたいわけではないから。考えすぎないように思考の矛先を変えておく。

 今までのククルの言動からすると、きっと両親が亡くなったときにもさほど泣いてはいないのだろう。

 ―――ククルの両親の事故のことを、おととい、ここへ来る途中に知った。

 前回の行きはつながりを隠し、帰りは馬車を追っていた。今回の行きに、ようやく事故現場に花を手向けることができたと言っていた祖父から聞いたのだ。

 そのことを思い出し、少し考える。

 悲しませるだけかもしれない。

 けれど。

「…今回来るときに、ご両親の事故の現場、寄ったんだ」

 ククルの身体が小さく揺れたことには気付いていない振りをして、ロイヴェインは続ける。

「ククル、まだ行ったことない、よね?」

 視線を落としたまま顔を見ずに問いかけると、しばらくの沈黙のあと、ククルがぽつりと返す。

「機会が、なくて」

 是と非、どちらの感情も読めない淡々とした声音。

 そっか、と呟いてから、ロイヴェインが顔を上げた。

「俺と行かない?」

「ロイさん?」

「ククルが嫌じゃないなら。一緒に行こう」

 そう言い、まっすぐククルを見つめる。

「辛いだろうけどさ。向き合って、泣いてくればいいんだよ」

 浮かんだ自嘲はすぐに消され、心配そうな視線だけが残る。

「ずっと抱えてるのも、しんどいから」

 向けた翡翠の瞳に、からかうような色はなかった。



 自分を見るその瞳。いつもの飄々としたそれでも、からかうときの愉悦混じりのそれでもない、心配と後悔が見えるそれに。

 ロイヴェイン自身の経験からの言葉なのだろうと、ククルは気付いていた。

「…ロイさんにも、あったんですか?」

 聞いていいものかとのためらいはあったが、つい口にしてしまった。

 見返す瞳が一瞬翳り、細められる。

「死に別れじゃないけどね」

 呟く声には、既に過去と割り切る強さと、自分のこれからを憂う優しさがあった。

「辞める兄弟子と喧嘩別れしてそれっきり。…まぁククルの場合とは全然重さが違うけどさ。その程度でも意外といつまでも引きずるものだよ?」

 だから、と重ねられる言葉。

「泣けるうちに、ね?」

 本当に自分を心配して言ってくれているのだとわかる、真剣な声に。

「…ご迷惑でないのなら、お願いしてもいいですか?」

 ククルはようやく頷いた。



 ロイヴェインがアレックに話をしてくれ、先にククルがロイヴェインと、交代でテオとレムがアレックと、事故の現場へ行くことになった。

 馬に乗るので服を替え、ロイヴェインと共に町に下りる。

「ククル、馬乗れるんだ?」

「こんな立地ですからね。学校で習いますよ」

 答えると、確かにね、と前髪の奥の瞳が笑う。

「残念。ふたり乗りできるかなって思ってたんだけどな」

 気負わないよう軽く言ってくれているのだろう。からかうような声ではなかった。

 馬を借り、門を出る。山道を十分足らず走ったところで、ロイヴェインが馬を止めた。

 邪魔にならないよう馬を繋ぎ、その場に立つ。

 ロイヴェインたちが手向けてくれたのだろうか、花束が置かれてあった。

 ライナスからミルドレッドへの、本当に何でもない道の途中で。

 両親は―――。



 背後から、両肩に手が置かれる。

「振り返ってくれたら胸を貸すよ。見ないほうがいいならうしろ向いてる」

 囁くように呟くロイヴェイン。その温かな声と手に。

 ククルの瞳から、涙が溢れ出す。

「…その、ま、まで…」

「わかった」

 途切れながらのククルの言葉。肩に置かれた手が少し下がり、支えるように力が籠もる。

「ここにいるから」

 優しく響くその声に、ありがとうございますと言いたかったのだけれど、声は出ず。

 うつむいたまま、ククルは泣いていた。

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― 新着の感想 ―
[良い点]  なんだなんだ、ロイ。  いいヤツじゃないですかっ?  普段チャラけたヤツの、こういう優しさは  ずるいんですよね~。  ヤンキー君が雨の中で、仔犬を拾ってあげる  ようなズルさがある。笑…
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