ジェット・エルフィン/報告
―――実の三十六日、イルヴィナ。
俺はまた、ここに戻ってきた。
三時間かかっていたここまでの道も、二十年の間に少しずつ馬が通れる程度に拡げられ、今では一時間程で来れるようになった。
あの悪夢のあと、後発隊の皆が中心になって少しずつ切り拓いてくれたこの道。自分のことで精一杯だった俺がそのことを知ったのは、情けないことに五年も経ってからだった。
岩壁の前、今では草の生えた小さな山にしか見えないかつての高台。
その手前に石を積み上げただけの墓標と、ここで亡くなった全員の名を記した石板がある。
一年前と変わらず迎えてくれたそれを前に、俺は頭を下げた。
「戻りました」
膝をつき、全員の名を確かめる。
―――あの日から二十年、欠かさずここに来た。
ひとりの亡骸も連れて帰ることができなかったから、せめて皆の墓をここに作ろうとこの石板を用意した。
一年目。着いた途端に錯乱して失神し、石板を置けなかった。
二年目。ようやく石板は置けたが、手を合わせるだけで精一杯だった。
そして三年目から今まで。毎年改めて皆の名を胸に刻んでいる。
ここでこうして、一年の報告を皆にして。誓いを新たに仮初めの英雄に戻る。
俺はどうしてここにいるのか。
何の為にこうあるべきなのか。
毎年それを、確認していた。
―――でも、今年は。
(やっと皆のことを話せました。…本当に、遅くなってしまって申し訳ありません)
心中、そう謝って。
(俺の役目も、これで終わりですね)
ここで戦い抜いたのは俺じゃない、皆なんだと。二十年かかってようやく知ってもらえた。
本当に、よかった。
俺は少しでも、皆に何かを返すことができただろうか?
俺は少しでも、皆の想いに報いることができただろうか?
―――応えはない。でも。
もし、ここにいるなら。
レトラスさん、ほめてくれるかな?
よくやったと豪快に笑い、大きな手でバンバン背中を叩いてくる。そんなレトラスさんが、見えた気がした。
立ち上がり、振り返る。
少しうしろで毎回俺の気が済むまで待ってくれるダン。ここでのことを知ったナリスとリック。後発隊の皆。今までの弟子や同年代のリーダー。世話になった先達。
たくさん、来てくれた。
皆のことを―――本当のことを知って、ここに集まってくれた。
俺にできることは皆に感謝を伝えることだけ。
だから、話しに行く。目が合った順に片っ端から話しかけていく。
初めて来た弟子たちは、何だか不思議そうな顔をして岩壁を見上げていた。
そしてミランさんは、石板の前で長いこと佇んでいた。
仲間が眠るこの地に、二十年、ずっと訪れるのを我慢してくれていたのだと。改めて俺は痛感した。
話し終えたんだろうか、振り返ったミランさんに近付く。
「ミランさん。本当にありがとうございました」
ライナスに行ったときにお礼は言ってある。だけど、改めて。
「二十年もかかってしまって、本当にすみません」
「何を言ってるんだ、ジェット」
俺の謝罪に、ミランさんは心外そうに首を振る。
「君のおかげで、私はここでの真実を知っていた。皆が逃げなかったことを知っているから、私も逃げずに今までやってこられたんだ。だからこそ、皆の前でも胸を張って、今この地に立てている」
ミランさんの手が肩に置かれる。
「ありがとう、ジェット。私から君に伝えたいのは、本当にそれだけなんだ」
「ミランさん…」
それ以上顔が見れずにうつむいた俺に、今からそんな調子でどうするんだとミランさんが笑った。
少し離れたところに立つ四人。
「ゼクスさん、ノーザンさん、メイルさん。今まで、それにクゥのことも。本当にありがとうございました」
近付く俺に気付いて顔を上げた三人に、そう言って頭を下げる。
ゼクスさんには本部で一度会ったけど、ノーザンさんとメイルさんにはまだお礼を言えてなかった。
それに。
「ヴェインさん」
三人のうしろ、ひっそり立つ赤茶の髪の青年。ゼクスさんが足を悪くしてから、今年で四回目だったか、毎年ここについてきてくれていた。
ダン以上に寡黙なヴェインさん。ほとんど話したことはないけれど。
「ライナスにも来てくれてたって聞いて。本当にありがとうございました」
あの六人からもライナスでも名前を聞いていたから、今回会えたら礼を言おうと思っていた。
そう言い手を差し出すと、聞き取れないくらいの声で、いえ、と返される。
前髪で表情は見えないからどう思っているのかはわからないけど、握手には応じてくれたから、ありがとうの気持ちを込めて上下に振る。
手を放すとまたすっと三人のうしろに下がるヴェインさん。一見そんなふうには見えないけど、身のこなしや身体付きが只者じゃない。
きっとゼクスさんに絞られてきたんだろうなと、こっそり不憫にさえ思っていた。
「まぁ、今年もこうして来られてよかった」
後発隊で参加していたこともあり、二十年毎年欠かさず来てくれる三人。特にゼクスさんには本当に世話になった。
俺がそれなりに英雄としてやれてきたのは、ゼクスさんがふたりめの師匠になって鍛えてくれたおかげなんだから。
まぁちょっと、厳しすぎだとは思うけど。
「二十年かかりましたが、務めを果たすことができました」
そう言い、頭を下げる。
「本当に、ありがとうございます」
「何だ、改まって気持ち悪い」
…おい、じいさん。
世話になったから下手に出てんのに。
溜息をついてゼクスさんを見る。
もちろんゼクスさんが俺が気に病まないように言ってくれてるのはわかってるけど。
「わかった。じゃあいつも通り。…二十年かかったけど、皆喜んでくれてるかな」
「当たり前だろう」
三人揃って即答してくれる。
「お前はよくやった。最善を尽くしたな」
続けられた言葉に胸が詰まる。
俺が望む言葉だとわかってて言うんだから、ホントにゼクスさんは人が悪い。
「…尽くせたならよかったよ」
ああもう、誰と話しても泣きそうになる。
弟子、たくさん来てるから。
情けないとこ見せたくないのにな。
そうこうするうちに、遅れてたギャレットさんとウィルが来た。
「私たちが最後のようですね」
辺りを見回してウィルが言う。ギャレットさんがいるからか、いつもに増して言葉が固い。
近付いた俺に、ギャレットさんが片手を上げた。
「ジェット。遅くなってすまない」
「いえ、でもよくふたり揃って抜けられましたね」
「今日はイーレイもいるからな」
珍しい。イーレイさん、本部にいるんだな。
どっちかっていうと諜報活動ばっかりで、あんまり見かけないんだけど。
トネリさんひとりじゃなくて、ホントよかった。
そんなことを思いながらウィルを見ると、わかってますよと頷かれる。
「…約束でしたから」
一緒に酒を飲みたいと言ったこと、覚えててくれたようだ。
それなら、まずは。
「ウィル。ずっと俺を助けてくれてありがとう。ウィルは俺のことわかってくれてたから、文句言いつつもやりたいことできるように手ぇ回してくれてたよな」
いつもだったらそんなことないですと返されそうだけど。今日は何も言われなかった。
礼を言いたいって宣言しといたからな。
「本当に。ありがとな、ウィル」
「どういたしまして」
仕事だからって返さずにちゃんと礼を受けてくれたウィルは、いつもよりちょっと和らいだ顔をしてて。
「助けになったならよかったです。…俺もジェットのおかげで、色々と得るものがありましたよ」
「クゥにも会えたし?」
ギャレットさんに聞こえないように声をひそめて言うと、一瞬きょとんと俺を見たあと。
「…そう、ですね。それも含めて」
今まで見たことないくらい、幸せそうに表情を崩したウィル。こんな顔もするんだと驚いて見返す俺に、ウィルの笑みが少し気まずそうなそれになる。
「俺だって感謝してるんだ」
消え入りそうな呟きは、間違いなく俺に向けられていた。
「これからもよろしく」
独り言のようにそう言って。
「ほかの方にも挨拶をしてきます」
突然いつもの調子に戻り、ウィルは離れていった。
ホント、素直じゃないけど。
素の口調が出たことで、ウィルが本気でそう思ってくれてるんだとわかって。
逃げたウィルの背中に、俺はもう一度ありがとうと呟いた。
待っていてくれたギャレットさんを見ると、その視線は石板のほうを向いていた。
俺に気付いて、笑って向き合ってくれる。
「報告は済んだのか?」
「はい」
本当はひとり残っているんだが、どうしても最後に伝えたかった。
「そうか。皆喜んでいるだろうな」
もう一度石板を見て呟くギャレットさん。
一番付き合いが長く、一番面倒をかけて、そして一番、力になってくれた人。
ようやく、言える。
「ギャレットさん。今までありがとうございました。ギャレットさんがいなければ、俺は皆に何の報告もできないままだったと思います」
そう頭を下げると、とんでもないと返される。
「今日ここで報告できることは、二十年の君の成果だよ、ジェット」
ぽん、と肩を叩かれる。
「旅を終えた感想は?」
どのくらいかかるかわからない、過酷な旅。
皆のことを話したいと言った俺に、ギャレットさんが例えた言葉。
終えた実感なんて、まだないけど。
「…多分、幸せでした」
人に恵まれ、助けてもらって。
ひとり残された俺は、全然ひとりじゃなくて。
それに気付けたから、多分俺は幸せだった。
俺の返事にギャレットさんは一瞬だけ驚いた顔をしてから。
そうか、と小さく呟いて、俺を抱きしめた。
「君の旅が実り多いものになって、本当によかった」
ギャレットさんの声が少し震えてるように聞こえたから。
俺はもう何も言えなくなって、その背中に手を回しただけだった。
最後にダンのところへ行く。
―――あの日から、一番俺を心配し、一番俺を守ってくれた。
そして何より、ずっと隣にいてくれた。
向き合わず隣に並ぶ。それが俺とダンの定位置だから。
「…ダン兄さん。ずっと一緒にいてくれてありがとう」
ダンが兄弟子だった頃の呼び方で。弟弟子の、俺からの感謝と。
「…俺、ちゃんと役目果たせたかな?」
評価を求めると、くしゃっと頭を撫でられた。
「ああ。自慢の弟弟子だ」
隣のダンを見上げると、銀灰の瞳を嬉しそうに細めて頷いてくれた。
「…よかった」
嬉しそうなダンの表情に、俺はやっと実感する。
―――あの日から二十年。
俺はようやく、イルヴィナの悪夢を終わらせることができたのだと―――。
皆に石板の前に集まってもらう。
銅杯を渡し、持ってきた酒を少しずつ注いでいく。
残りを石板にかけようとすると、ゼクスさんに止められて、何か言えと顎で示される。
「俺?」
「他に誰がいる?」
仕方ないからぐるりと皆を見回す。
目を合わせてくれる皆の間に、去年までの重い空気はない。それがたまらなく嬉しい。
俺を守ってくれた皆に。
俺を助けてくれた皆に。
俺が言うべきことなんて、これしかない。
目一杯、息を吸い込んで。
「皆、本っ当にありがとう! 大好きだ!」
ありったけの感謝を込めて。
皆に届くよう、そう叫ぶ。
目の前のゼクスさんにやかましいと小突かれながら、皆で杯を合わせ、残る酒を石板にかけた。




