三八二年 実の十三日 ①
朝食後、片付けが一段落したところでテオが宿へ戻った。
仕込みを始めるククルを見ながら、ウィルバートは内心怪訝に思う。
自分にとっては都合がいいのだが、何故テオが自分とククルをふたりにするのかがわからない。
(それだけ余裕ってこと…なのか?)
昨夜のククルとテオの様子には、正直嫉妬しかなかった。
視線を合わせて笑い合う様子も相当だが、それよりも。
テオの出したケーキを見て、泣き出したククル。
ふたりの間にはやはり自分の知らない年月があって。
それはどうしたって自分には得られないものなのだと痛感した。
わかっていたことではあるが、目の前で見せられるとさすがに堪える。
ただでさえいつ会えるかもわからないのに、会えたら会えたであんな光景を見ることになって。
(…会えて嬉しい…けど…)
彼女の日常に自分はいない。
わかっては、いたけれど。
「どうかしましたか?」
仕込みの手を止めたククルが、少し心配そうに見ていた。
何でもないですとかぶりを振って、ウィルバートは溜息を呑み込む。
せっかく彼女の前にいるのだから、落ち込んでいる場合ではない。
「昨日はたくさん祝われてましたね」
気持ちを切り替え、できるだけ明るくそう言うと、嬉しかったですと弾んだ声が返ってくる。
「この町の人たちは、本当に仲がいいんですね」
「小さな町ですからね。皆家族のようなものですよ」
そう笑い、先日のジェットの宴会の様子を語るククル。相槌を打ちながら話を聞いていたウィルバートが、少し視線を伏せる。
「ウィル?」
気付いて名を呼んだククルに、ウィルバートはすみませんと失笑する。
「自分の不甲斐なさに少し落ち込んでました」
昨日のふたりの様子を見てから、どうにも気持ちが沈んだままで。どうしても色々余計なことを考えてしまう。
「俺も、全員家族の小さな村が故郷なのに、と」
楽しそうに町の住人とのことを話すククルに、村のことを思い出した。
十年間自分を待っていてくれた家族に背を向け続けていた自分。
「…バカな意地を張ってないで、帰ればよかった」
そうすれば自分にも語ることのできる故郷があったのかもしれないと。
後悔と呼ぶには遅すぎる、そんなウィルバートの諦めの言葉に。
ククルはまっすぐ見返し、首を振った。
「今からだっていいじゃないですか」
呟く声は、どこまでも優しく響いて。
視線を上げたウィルバートに、ククルはふわりと微笑む。
「いつまでも待っているものだって言いましたよね。遅すぎることなんてないんですよ」
続けられた言葉に、ウィルバートは一瞬呆け、それからふっと息を吐く。
「…そう、ですかね」
「そうですよ」
きっぱり即答され、ウィルバートはもう笑うしかなかった。
「…ありがとう。ククルには助けられてばっかりだ」
そんなことないですよ、と微笑むククルを。
(あぁもう。本当に)
まっすぐ見つめ、ウィルバートは心中吐息をつく。
いつも前向きで、ジェットと同じく人の心配ばかりして。
だからなのか、こちらの弱さに気付いて手を差し伸べてくれる。
そんな彼女に長年の暗鬱とした気持ちをいつの間にか溶かされて。代わりに胸を占めていく想い。
(本当に、俺は)
彼女の一挙一動に喜んだり落ち込んだり。目の前にいるのが嬉しいのにどうしようもなくて。
矛盾だらけの自分の感情に振り回されながら、それでも、幸せで。
自分が抱いたのはたかがひとつの感情。
そのひとつがこんなに大きいことを、自分は今まで知らずにいた。
―――彼女に、会うまでは。
「…俺はここに来られたことを、ジェットに感謝しないとな」
零れた本音に、大げさですねと笑うククル。
その紫の瞳を見返して。
「こんなに好きになるなんて、思ってなかった」
心からの想いが口をつく。
きっといつものように、町か店のことだと受け取られると思っていたのに。
驚いたように瞠目したククル。その頬が赤く染まっていく。
(えっ?)
思わずウィルバートは立ち上がった。
昨日といい、今日といい、本当に。
赤くなってしまった自分を自覚しながら、ククルはウィルバートから目を逸らす。
昨日はウィルバートに抱きしめられ、嬉しそうにプレゼントを渡されて。
その上に、今の言葉。
ウィルバートにそんなつもりはないのだろうが、どうしてもそんな意味に聞こえてしまう。
もう少し言葉を選んでほしい。
短く息をつき、気持ちを静める。
「ウィル、ほかの人が聞いたら誤解しますよ」
そう言いながら見たウィルバートの表情は、隠していたプレゼントを見つけてもらえたときのような、期待と喜びに満ちていて。
「ククル」
まさかと思ったときには、カウンター越しにウィルバートの手が頬に伸びていた。
そっと触れる大きな手。親指が唇をなぞる。
そのまま近付いた顔は、唇が微かに触れそうな位置で止まった。
動けないククルに。
ウィルバートはその唇を頬へと逸らし、少し長めに触れて。
「誤解じゃない。俺はククルが好きなんだ」
そのまま耳元で、吐息混じりの囁きを残した。
ゆっくりククルから離れたウィルバートが、幸せそうに笑み崩れる。
「やっと言えた」




