三八二年 実の十一日 ②
カウンター中央の席。仕込みをするククルを眺めながら、ウィルバートは心中よかったと呟く。
ククルが狙われるとわかっているのに、それを告げることも傍にいることも叶わない日々が、本当に辛かった。
遠く離れたアルスレイムで、何もできずに報告を待つだけの自分がはがゆくて。すぐにでも行きたいのに行けない自分の立場が恨めしくて。行ったところで何もできない自分が情けなくて。
本当に。待つだけの日々が辛かった。
ようやく片が付いても、今度は事後処理の山が待っていて。
少々ジェットに当たってしまい、もう少しで明日のことを教えてもらえないところだった。
余程荒んで見えたのだろうか、ギャレットは六日の休みをくれた。レザンにも寄れる程の日数だが、今回はできるだけライナスにいたかった。
仕込みの傍ら、淹れたお茶と菓子を出してくれるククル。
―――本当に、彼女が無事でよかった。
事務側しか知らないことだが、二十年も大きな動きのなかったイルヴィナの一件。急に事態が動き出したのには理由があった。
ひとつはジェットが辞めると言ったこと。
そしてもうひとつは、ギルド本部の食堂でのリックの雑談から、英雄の溺愛する姪、ククルの存在が洩れたこと、だ。
二十年前の嘘を暴くことで英雄を貶めようにも、先に辞められては何もできない。そんなときに耳に入ったククルの存在に、事を急いだのだろう。焦って杜撰な動きをしてくれたおかげで、こちらは気付くことができたのだが。
ククルの存在はまさに騒動の鍵となった。彼女が相手の手に落ちれば、ジェットはどんなに理不尽な要求にも迷わず従ったに違いない。
そのライナスにゼクスたちを置くことは、間違いなく最善の手だった。
誰が敵か味方かわからないあの状況で、確実に味方であり、護衛と悟られず、かつ腕も立つ人員。ゼクスたち以上の適任者はまずいなかった。
元ギルド員である彼らとのつながりを持ち続けたギャレットには、普段どこまで考えて行動しているのかと問いたい程だ。
尤も、ゼクスたちにもイルヴィナとの因縁はあるようなのだが。
お茶を飲み、息をつく。
まだジェットには伏せられているが、正直懸念はまだある。
それでも、ひとまずは。
目の前で忙しなく動くククルの姿に、自然と頬が緩む。
ようやくこうして顔を見られた。
本当に―――本当に、もどかしい日々だった。
そして今、目の前にククルがいることが。
本当に幸せだと、そう思えた。
ウィルバートの視線に気付き、ククルは頭を上げた。
「どうかしましたか?」
「いえ、その…」
少し慌てたように口籠り、ウィルバートはすみませんと一旦視線を逸らした。何やら考え込むような沈黙のあと、改めてククルを見る。
「あの、ククル? あの六人がものすごくククルをほめていたんですが、何をしたんですか?」
ジェットといいウィルバートといい。どうして同じことを聞くのだろうかと思いながら。
「食事を作っただけですよ」
そう返すと、やはりジェット同様ものすごく怪訝な顔をされる。
「…わかりました」
何をどうわかったのかは知らないが、ウィルバートが諦めたように呟いた。それから少し表情を緩め、ククルを見る。
「まぁいいです。…そういうことではなかったようなので」
「ウィル?」
「いえ。何でもないです」
微笑んで告げた青年に、今度はククルが首を傾げる番だった。
仕込みが一段落したので、ククルも少し休憩がてらお茶にすることにした。
ウィルバートの隣に座ると、お疲れ様ですと労われる。
「ウィルにお礼を伝えるのが遅くなりました。いただいたショール、嬉しかったです」
直接礼を言ってなかったことを思い出してそう伝えると、こちらこそ、と微笑まれる。
「ククルの言う通りでした」
兄に怒られました、とどこか嬉しそうに続ける。
「愚痴仲間も増えましたし。これからは素直に帰れます」
そう返すウィルバートの表情はいつになく柔らかで。
本当にいい帰省になったのだとわかり、ククルもよかったですと呟いた。
そんなククルに顔を向け、ふっとウィルバートが笑う。
「俺からも礼を。お土産、皆喜んでました」
紺の瞳をまっすぐ向けて。囁くような声なのに、隣に座っているからか、いつもより傍で響く。
「また作ってもらえますか?」
「もちろんですよ」
横からじっと瞳を見つめられ、何だか少し恥ずかしさを感じながら。
そう返したククルに、ウィルバートは少しだけ頭を下げる。
「俺の好きな、あれもお願いします」
下がった分だけ近付いた顔と声に、ククルは何とか平常心で頷いた。




