三八二年 実の一日
ジェットたちがライナスへ戻ってきた。
「おかえりなさい、エト兄さん」
微笑んで迎えたククルに、ただいまとジェットが返す。
「クゥ。危ない目に遭わせてすまなかった」
頭を下げようとするジェットを止めて、ククルは首を振る。
「私は何もされてないわ。それに、ゼクスさんたちが守ってくれたもの」
だから大丈夫、と微笑む。
その頭を撫で、ぎゅっと抱き寄せ。
「無事でよかった」
抱えていた不安を吐き出すように、ジェットが呟いた。
カウンター中央の席、珍しくジェットが座っていた。
お互い何があったかを、ゆっくり話していく。
「あの六人、クゥによろしくって」
ここに来る前に、ジェットはディアレスたち六人からの謝罪を受けた。
事前にゼクスから寛大にと言われていたが、ククルを狙ったと聞いて正直腹が立っていたので、一発ずつ殴ってやろうと考えていた。しかし申し訳なさそうに謝り続ける少年たちに毒気を抜かれた。
だから、少し話をしてみた。
少年たちは最後まで自分に謝り、ククルのことを崇めるような勢いでほめていた。
「クゥ、あいつらに何したんだ?」
「食事を作っただけよ?」
不思議そうに尋ね返すククルに、ジェットは納得いかずに苦笑する。
六人の処分はまだ決まっておらず、今は本部で謹慎となっているが、おそらくそう厳しい罰は受けないだろう。
カウンターの中、仕込みを続けるククルを眺めながら。
「ホント、色んな人に世話になったよなぁ」
頬杖をついて、しみじみと呟くジェット。
「明日は精一杯もてなさないとな」
「もてなすって?」
「皆と酒飲もうと思って。店の前でやれば、皆で騒げるかなって」
ぴたりとククルが手を止めた。
「…エト兄さん、私、そんな話聞いてないけど」
「そうだっけ?」
「聞いてないから普通に仕込みをしてるんだけど」
ジェットがちらりとククルを見た。
ふたりとも無言で、そのまましばらく見つめ合う。
「…言ってないな。悪かった」
先に音を上げたのはジェットだった。
そのまま見据えるククルに、頼む、と手を合わせる。
「皆に礼が言いたいんだ。クゥは大変だろうけど、協力してくれ」
もちろんククルに断るつもりはないのだろうが、もうちょっと早く言ってね、と苦笑される。
「エト兄さんは町の皆に伝えてこないと。誰も来てくれないわよ?」
「そうだな。ありがとな、クゥ」
結局引き受けてくれる姪に感謝を伝え、立ち上がったジェット。
棚に並ぶ酒が目に触れ、もう一度ククルを呼んだ。
町の共同墓地。クライヴとシリルの墓の前に、ジェットは座り込む。
「兄貴。義姉さん。終わったよ」
店から持ってきたグラスを三つ置き、ほんの少しずつ酒を注ぐ。
「義姉さんには物足りないかもしれないけど」
そう笑って、自分の分のグラスを手に取った。
「ずっと、俺の帰る場所でいてくれてありがとう」
二十年の感謝を口にして。
ジェットはグラスを合わせ、少し飲む。
結局一度も一緒に飲めなかった。
もう少し―――もう少し早ければ、直接礼が言えたかもしれない。こうしてグラスを合わせ、一緒に飲めたかもしれない。
悲願を達成できたのは本当に嬉しい。しかしそれでも、残る後悔はあるのだと。
「…もっと手放しで喜べると思ってたんだけどな」
浮かぶ嘲笑を流すように、残るわずかな酒をあおる。
「…間に合わなくてごめんな。自分の力のなさが、ホント恨めしいよ」
うなだれて、呟いて。
静まり返る墓地に、ジェットの小さな独白だけが響く。
「…でもさ。俺なりにがんばったって。兄貴たちは、そう認めてくれるかな…」
応えはない。それでも。
翳る瞳を細め、ジェットは独りごちた。
明日は宴会をするからと、突然ジェットが言い出した。
手伝うと言ってくれたナリスたちに宿を任せ、テオは店に戻る。
「ジェットから聞いた。宿のほうでも父さんとダンが仕込んでくれてる」
「続きをお願い。お菓子も焼かないと」
急に忙しくなった店内。引き継いだ準備を進めながら、忙しなく動くククルを一瞥する。
本当は、時々ククルの様子がおかしいことをジェットに話そうと思っていた。しかしすべて済んだと嬉しそうに笑うジェットに、今日でなくてもいいかと考え直した。
過去を語ったジェットが帰ったあの日から、幸い一度も見ていない。
このまま杞憂に終わればいいと、テオは願っていた。




