ジェット・エルフィン/イルヴィナの悪夢
森の中を進んでいく。背の高い木に覆われ、空は見えない。そんな薄暗い中を一時間。目的地まではあと二時間。
「ジェット、疲れたか?」
前を行くアッシェ兄さんが振り返って聞いてきた。
「全然。でも、こう暗いとどんよりするかな」
俺の応えに笑って、確かにな、と返してくれる。
「これくらいで疲れるようなら連れて来ねぇよ」
先頭を行くレトラスさんが割って入ってきた。
「だからお前にだけは許可が下りたんだろうが」
ほかのパーティーにも新人はいるけど、同行してるのは俺ひとりだ。理由は簡単。
「さすがはランドさんの倅ってな」
そう言って笑うレトラスさん。
親父がそこそこ名が知れてたってことは、ギルドに入ってから知った。その親父に多少なりとも鍛えられてた俺は、新人の中では別格らしい。
まぁ、ひとつ文句を言うなら。
「ま、まだ兄貴共には敵わねぇがな」
こうして毎回兄貴たちと比べられることぐらいだ。
レトラスさんは俺より兄貴たちのほうが強いのを知ってる。本当のことなんだけど、ギルド員じゃない兄貴たちと比べられるのはちょっと不満だ。
「ジェットの兄さんたちって、そんなに強いのか?」
アッシェ兄さんは不思議そうに聞いてくるけど、俺は笑うしかなかった。物理的に怖いアレック兄さんと、精神的に怖い兄貴と。俺にどう立ち向かえと?
ふたりに囲まれて怒られるのに比べたら、討伐のほうがマシかもしれない。
ギルドに入って初めての大規模討伐は、アルスレイムの北東、イルヴィナの森の奥。魔物がたくさん出たらしい。
イルヴィナは地区の手前半分くらい魔物の殲滅が済んでて、あとは奥半分が残ってる。一番奥には壁のような崖があって、その先の調査は進んでない。
見る限りではそのすぐ手前の高台に真っ白い木の頭が見えてた。森の外からも見える異様なそれは、神樹と呼ばれて祀られてたこともあったらしい。
魔物を見たとされるのは、その神樹の周辺。
不気味に光る目と影みたいな真っ黒い身体。初めて魔物に対峙したときは、見たことのないその姿が少し怖かった。俺が見たのは精々大型犬くらいの大きさだったけど、レトラスさんは自分より大きなヤツと戦ったことがあるらしい。基本的に向かってくるだけなんだけど、大きいと力も強くなるから手強くなる。
今回の魔物の大きさは聞いてないけど、たいしたことなければいいと思う。
そんな俺の思いに反するように、先に進めば進む程、何ともいえない重苦しさが増してくる。
「大丈夫だ」
多分不安そうな顔でもしてたんだろう。そう言ってアッシェ兄さんが肩を叩く。
「先発隊もこれだけの人数だし、すぐ後発隊も来る。ダンにいいところ見せてやろうぜ」
この間まで同じパーティーだったダン兄さんは、別パーティーで後発隊として参加してる。
「そうだよな。成長したとこ見てもらわないと」
そう返すと、安心したように頷くアッシェ兄さん。
俺は気合いを入れ直し、歩を進めた。
相変わらずの木々の下。足元に角度がついてきた。神樹はここを登った高台にある。
もう誰も無駄口を利かなくなった。全身がぞわぞわするようなこの空気を、皆感じてるんだろう。
だんだんキツくなる坂を登り詰めると、急に視界が開けた。
目に飛び込んでくる、真っ白な木。頭だけじゃない、幹も枝も白い。その枝に一抱えくらいの白い実が八つ。
崖の奥まったところに神樹は生え、その崖から流れてきてるのか地中から湧いてるのかはわからないけど、根元には泉があった。そこから俺たちの足元まで、木はなく下草が生えてるだけ。
多分空から見たら、森の中にぽっかりと台の上に載ったようなこの場所があるんだろう。
先頭のレトラスさんが周囲を見てる。
何がおかしいのか、俺もすぐ気付いた。
魔物が一匹もいないんだ。
「ジェット、うしろに」
低い声でそう言って、アッシェ兄さんが前に出た。
先発隊三十人がその場に揃い、調査を始める。
隠れられるようなところはどこにもない。たくさんいるといわれてた魔物は、一体どこに消えたんだろう。
進む調査の中、神樹の根元にいたひとりが幹に触れた、そのとき。
ぼたりと実が落ちた。
真っ白な実は見る間にどす黒く染まりながら、形を変えていく。
「どけっ!」
叫んだレトラスさんが斬りかかった。真っ二つにされながら、それは黒い獣のような形になる。
間違いなく、魔物だ。
場の空気が凍りついた、次の瞬間。
残る七つの実が一斉に落ちた。
「来るぞっ」
レトラスさんの声を合図に皆が動く。
何が何だかわからないけど、何が敵かはわかっていた。
残る七つ―――七匹も仕留め、レトラスさんは皆を中央に集めた。
「こんな報告はなかったが…。あれが魔物ってことでいいのか?」
ほかのパーティーのリーダーにそう聞かれ、レトラスさんはわからんと唸る。
「不確定要素が多すぎる。一旦退くぞ」
そう言った、直後だった。
ドン、と身体を貫く衝撃。
何をと思う間もなく、地に伏せた魔物の死体から白い木が生えた。砂山でも崩すように、ざらりと魔物の身体が崩れていく。
残った白い木を見て、神樹の根だと理解する。
「吸収してる?」
ぽつりとアッシェ兄さんが呟いた。
舌打ちをしたレトラスさんが、動揺する皆を見回す。
「総員―――」
レトラスさんの声は地響きにかき消された。
立ってられないほどの揺れ。場所によっては波打つように地面が動いてる。
「退路がっ」
うしろで悲鳴のような声が上がった。振り返ると、さっきまで見えてた木が一本もない。
駆け寄ったレトラスさんが、くそっと呻く。
近寄って覗き込んだ俺は、自分の目を疑った。
ここまで登ってきた傾斜。そこに生えてた木が全部消え、根がなくなったからか、土がなだれ落ちて飛び降りれないくらいの段差になってる。しかも絶壁の途中から白い根が何本も見えた。
レトラスさんが振り返り、俺の横を通り過ぎながら肩を叩く。
「ひとりずつなら下ろせるだろうが、まずはあっちだ」
見上げたレトラスさんの視線は、まっすぐ神樹に向けられてる。
俺もうしろを向き、ぎくりとした。
「なっ…んだよ…」
神樹にまた実がついてた。しかも今度は十や二十じゃきかない。
「総員、戦闘準備っ!」
ぶるりと身を振るうように神樹が揺れて、一斉に実が落ちた。
真っ先に突っ込んだレトラスさんが、魔物に変わる前に斬り刻んでいく。すぐにあとに続くけど、あまりに数が多すぎる。間に合わなかった実が次々魔物に変わっていった。
向かってくる魔物に対峙してる間に倒した魔物は吸収され、また実がなり落ちてくる。
こっちだってそれなりに人数がいる。でも、キリがない。
だんだんと実の間に斬れなくなって魔物の数が増えていく。
「うわぁっ」
声に振り返ると、近くにいすぎたのか、魔物の死体を貫いた根が腕に刺さっている人がいた。
崩れる魔物の姿が頭に浮かぶ。
でも斬り落とそうとするより早く、根はすっと引っ込んでいった。
人は襲わないのか、襲えないのか。わからないけど、少なくとも地面の下から根に狙われることはなさそうだった。
それがわかったところで状況が変わるわけじゃないけど。
いつもレトラスさんに言われる、最善と最悪。ここを無事に切り抜けられるのが最善。皆死ぬのが最悪。それはわかってる。でも、だからどうすればいい?
倒しても倒しても倒しても倒しても。同じように魔物は復活する。でもだからって倒さなければ魔物にやられる。
今の俺にできるのは、向かってくる魔物を斬ることだけ。
魔物は無限。でも俺たちの体力は有限。このままじゃ、結果は見えてる。
最前線で戦ってたレトラスさんが、しばらく任せると言って中央まで退いた。何人かで話をしたあと、中央に火の手が上がる。
倒した魔物を、と言われ、やっとレトラスさんの意図がわかった。
火の近くまで魔物を引きつけ、倒す端から放り込んでいく。もちろんすぐ燃え尽きるわけじゃないけど、火の中の死体には根は伸びない。
これなら、と思ったのもしばらくの間だけだった。
再吸収を阻止しても、神樹の実はまだ尽きない。
一方で、魔物の身体を糧に火の勢いは強くなる。
悠長に弾切れを待つ時間がないのは誰の目にも明らかだった。
今はまだ、身体は動く。でも―――。
「戦いながら聞いてくれっ」
はっと我に返る。
折れかけた心に、レトラスさんの声が聞こえた。
「今から神樹に火をつける。おそらく死地になる。退きたい奴は今のうちに言ってくれ」
その問いに、答える人はいなかった。
俺だってそうだ。ギルド員になったときから覚悟はしてる。
レトラスさんは少し驚いたように皆を見回して。
「…ありがとう」
絞り出された声は、泣いてるようにも聞こえた。
「俺の力が及ばず、こんな死地に皆を連れてきてしまったこと。本当に申し訳ない」
戦いながらレトラスさんが叫ぶ。
「皆、泉の水を浴びてくれ。全員済んだら火をつける。…俺から、最後の指示だ」
張り上げられる声。最後の、の言葉に胸が詰まる。
「総員、己の守るべきものを守れ。自分でも、仲間でも、誇りでも、意地でも。何でもいい。守る為に戦えっ!」
「応っ!!」
目一杯、叫び返す。
隙を見て皆が水を浴びる間に、レトラスさんが来てくれた。
「謝らないでよ、レトラスさん」
何か言われる前に言っておく。俺だってパーティーの一員なんだ。
「一緒にここに立ててよかった。俺は、先発隊に入れた誇りと、レトラスさんの弟子って意地と。あとは皆の為に戦うよ」
「ジェット…そうか」
バン、と背中を叩かれる。
レトラスさんが褒めてるときにしてくれるやつだ。
「頼りにしてる」
短く、そう言って。
レトラスさんは離れていった。
そうして。皆が水を浴び、神樹に火がつけられる。
すぐには燃えない。でも嫌がるように、実の落ちる数と速度が増す。
舞い飛ぶ火の粉の中、必死に戦う。倒れた仲間が根の餌食になるのを見て、そこからは仲間の身体も火にくべていく。
火に巻かれながらも、まだ実を落とす神樹。人も魔物も火に呑まれ見えなくなる。
肉と脂の焼け焦げる臭い。肌も喉も焼く熱気。
息を吸いたいのに、上手く吸えない。
死ぬんだな、と頭のどこかで感じ取る。
―――レトラスさん、俺、皆の為に戦えたかな?
膝を折る、その直前。
「ジェット!」
名を呼ばれ、支えられる。
見上げるそこには、ボロボロのアッシェ兄さん。
名を呼びたいのに、声が出ない。
「もういい」
小さく呟き、俺を抱える。
連れてこられた泉に、もう水はほとんどなかった。
縁にもたれかかるように下ろされ、湿った泥をかけられていく。
「ダンが見つけてくれる。お前はここで待ってろ」
そう言い笑う、アッシェ兄さん。
「…ジェット。生きろよ」
応えたいのに声は出ず。
俺の意識は、そこで途切れた。




