三八二年 雨の十八日
クライヴ・エルフィン、シリル・エルフィン、ルード・ブラスト。三人の合同葬儀は滞りなく終わった。
食堂をどうするかはジェットが来てから相談することにし、今日からは宿の厨房を手伝うことになったククル。休んでいてもいいと言われたが、何もせずひとりでいるのは嫌だった。
今は雨の月。旅に向かないこの時期、訪れるのはギルド員くらい。今まで朝食を出すだけだった宿の厨房はさほど広くはないが、客が少ないので何とかなるだろう。
そうして一日働く中。ふとした瞬間に浮かぶ疑問に手が止まる。
料理を作り客に出す。
していることは変わらない。忙しい朝には手伝いに来ることもあったので、慣れ親しんだ宿の厨房。家族同然のテオたち。
それなのに、何かが違う。
両親を失っただけではない。大切な何かが自分の中から抜け落ちていた。
少し考えてから、ふらりと歩き出す。
気付いたテオが名を呼ぶが、ククルは応えず外に出た。
辺りはすっかり暗くなっていた。連なる町の明かりを眺め、振り返る。
光の洩れる宿。そしてその隣、一切光のない食堂に視線を移し、ククルはそのまま立ち尽くす。
自分の大好きな景色は、もうそこにはなかった。
ククルの様子がおかしいことに気付き、テオは慌ててあとを追う。宿を出ると少し先にククルが立っていた。
「ククル?」
駆け寄って怪訝そうに覗き込むと、どこか焦点の合わない様子で前を見ていたククルの瞳から、見る間に涙の粒が零れ落ちる。
「ククルっ?」
思わず両肩を掴んだテオ。視界に入っているはずなのに、目が合わない。
「ククル? ククルっ!」
何度も名前を呼ぶと、ようやくその瞳に自分が映った。
「…テオ?」
「ククルっ! どうしたんだよ?」
剣幕なテオに微笑むように瞳が細められ、さらに涙が零れた。
「…私ね、ここからの景色が好きだったの」
暫しの沈黙のあと、ぽつりとククルが呟く。
「宿も、店も。明かりが灯って温かくて」
すっとククルの視線がテオの肩越しに店へと向けられる。
「…もう、見られないのね…」
静かな声音に含まれる諦めの響き。
らしからぬククルに、テオは掴んでいた肩を引き寄せ抱きしめた。
見ていられなかった。
感情をどこかに置き忘れてきたかのようにひとり泣く彼女も、諦めたように笑う彼女も。
腕に力が入る。
ひとりじゃないのだと、自分もここにいるのだと。どうすれば伝わるのだろうか。
「…俺が、いるから…」
「テオ、苦しい」
呟きと同時にそう言われ、テオは慌ててククルを解放する。
「ご、ごめん」
「ううん。私こそ。ちょっとしんみりしちゃった」
慰めてくれてありがとう。
笑って礼を言うククルの表情に、先程までの翳りはない。しかし、心の内のそれまで消えたわけではないのだ。
隠そうとしているつもりはないのだろうが、そこに本心が見えない。
「…ちょっとって感じには見えなかったけど…」
「大丈夫よ。びっくりさせてごめんね」
―――そして、口にもしてくれない。
我慢しようとか、無理しようとか。ククルにそんなつもりはない。わかってはいるけれど。
ぐっと拳を握る。
力になりたい。支えたい。
だから、どうか―――。
ぼそりとテオが何か呟いた。
聞き取れず、ククルは首を傾げる。
「テオ? 何か言った?」
「言って」
「え?」
「どうしたいのか、言って」
何を請われているのかわからず、ククルはうつむくテオを見る。
「俺にできることなら何でもする。だから言って」
「言ってって、何を…」
「ククル!」
顔を上げたテオの瞳が、何だか泣きそうに見えた。
一瞬怯んだククルの右手を両手で包み、頼むから、と再度うなだれるテオ。
「考えて。教えて。何でもいい、声に出して」
ぎゅっと、握る手に力が籠もる。
「俺、ククルのことわからなくなりたくない」
言われた意味がすぐにはわからず、ククルはきょとんとテオを見る。
(わからなく、なりたくない…?)
心中で繰り返し、首を傾げた。
「…そこはわかりたいでいいんじゃない?」
「ククル!」
真っ赤になったテオが顔を上げて叫ぶ。
「俺…俺…、真剣に……」
「ご、ごめんね、つい…」
間違いなく涙目のテオに謝って、ククルは左手もテオの手に添えた。
「ありがとう。…テオは私がどうしたいのか、知りたいの?」
じっとククルを見てから、こくりと頷くテオ。
「わかった。考えてみるから、聞いてくれる?」
「うん」
「上手く言えなくても笑わないでね?」
再度、頷きかけて。
「……俺のことは笑ったよな…?」
ふてくされて、テオがぼやいた。
少し明るくなったククルの表情に、テオは内心安堵の息をつく。
自分はかなり必死だったというのに、からかわれて終わったのは不本意極まりないのだが。
目の前で考え込むククル。握られたままの手が今更少し恥ずかしい。
「…店と同じことをしてるのに何か違うって思って、外に出たの」
そんな自分の動揺に気付いた様子もなく、握る手はそのままに独白は続く。
「ここからの景色が好きなのに、店の明かりが消えてて悲しかった」
ククルの視線が自分の背後に向けられたのがわかった。暫し眺め、目を伏せるククル。
「…また、見たい」
訪れる沈黙。
「…それがしたいこと?」
途切れた呟きに尋ねると、少し考え、こくりと頷き返される。
「うん。そうみたい」
幾分しっかりした声に、もう大丈夫かなと独りごちてから。
(店の明かり、か)
つまりは、と考えて。テオは十三歳の己の決断に感謝した。
ぐっと握る手に力を込める。
「わかった。任せて」
戻ろう、とそのまま手を引いていく。
「テ、テオ?」
「いいから! 任せて」
にっこり笑い、テオはうろたえるククルを連れて宿に戻った。
そうしてその日の仕事を終え、ククルが家に帰ってから。
夜、テオは自分の家族に頭を下げる。
「頼みがあるんだ」