三八二年 動の四十四日
「ククル、俺そっち側入っても大丈夫?」
午前中、またテオの不在中に来たロイヴェインが、カウンター内を指してそう尋ねた。
「別に構いませんが…」
どうして中に来たいのだろうと思いながら、ククルはロイヴェインを見返す。
にっこり笑っていそいそとカウンター内へ入ってきたロイヴェインは、興味深そうにそこから店内を見回した。
「これがククルから見えてる店内なんだ」
しばらく眺めていたロイヴェイン。隣で仕込みを始めたククルを横目で見、腕が触れるくらいまで近付く。
「…刃物を使っているので危ないですよ」
「はぁい」
すぐさま注意され、残念そうに一歩離れた。
「そうだ。材料少しわけてもらえたら、俺、ククルにお昼作るけど?」
「ロイさんが?」
「うん。うちの朝の定番。どう? 興味ない?」
にやりと笑って尋ねてくるロイヴェイン。
「あります」
そう答えると、つぃ、と顔を寄せてくる。
「俺には? 興味ない?」
ククルは答えなかった。
ここ数日、こんなやりとりも増えていた。どうせからかわれているだけなので、答えられないことには答えないほうがいい。ククルはそう決めていた。
「俺は、ククルに興味あるんだけど?」
吐息がかかるくらいにまで、ロイヴェインが顔を近付けた、そのとき。
「ロイ! お前はまた懲りもせず!」
入口の扉を開けるなり怒鳴るノーザンに、もう少しかかると思ったんだけど、とロイヴェインがぼやいた。
卵、砂糖、牛乳、小麦粉。ロイヴェインが準備したのはありきたりな材料ばかりだった。
それを手際よく混ぜ合わせていく。
「慣れてますね」
少し意外に思ってそう言うと、まぁね、と返ってくる。
「肉体労働だから俺の担当なんだ」
白身を泡立て始めたロイヴェインに納得する。確かにこれは大変だ。
生地と合わせて焼いていくと、辺りに甘い匂いが満ちた。
「ハイ、おまたせ。まずはククルに」
皿に取り、手渡される。
「ありがとうございます」
かなり分厚いパンケーキ。朝食にすると言っていたので、あえて何もかけないのかと考える。
昼にはまだ少し早いが、間違いなく熱いうちに食べたほうがいいだろう。
「いただきます」
フォークを入れると厚みの割に簡単に切れる。泡立てたからだろう、どこかしゅわりとした舌触りに、遅れて甘みを感じる。
「美味しいです…」
食事代わりにするならこれくらい素朴なほうがいい。お茶と出すなら砂糖を増やすか、むしろ減らして焼いてから蜂蜜やジャムを―――。
「ククルってば」
笑いながらのロイヴェインの声に我に返る。
「すみません、つい…」
「考え込む程気に入ってくれたならよかった」
二枚目をノーザンに出しながら、ロイヴェインはどこか嬉しそうに言った。
午後の休憩時間になり、ゼクスたちと六人は店の裏手に集まっていた。
ここは人も来ず町からは建物で見えないので、午後の休憩は部屋に入らずこの場で取っていた。
ゼクスたち三人の分の椅子はテオが自宅から持ち出している。
テーブルはないので、各自にトレイを持ってもらう。燃費の悪い六人には軽食付きだ。
ククルが彼らの様子を見られるのはこの時間だけなので、できるだけ細かく様子を見ることにしているのだが、皆さほど好き嫌いはないようで、何を出しても嬉しそうに食べてくれている。
途中で一度抜け、テオが店で用意してくれているおかわり用のお茶を待ってくるのもいつものことだ。
各自に注いで回ると、毎回六人がここぞとばかりに礼を言ってくるのが少し照れくさい。
ククルは苦笑しながら、ひとり離れて立つロイヴェインの所へ行った。
「ヴェインさん。お茶をどうぞ」
前髪で表情は見えないが、入れやすいようにトレイを下げてくれた。
お茶を注ぎ、顔を上げかけた瞬間、動きに合わせるようにロイヴェインが顔を寄せる。
「ありがと」
耳元でそう囁かれ、ククルはもう少しでポットを落とすところであった。
直後、小さく笑ったロイヴェインの頭上ぎりぎりを、手がすべったと言い張るゼクスのフォークがかなりの勢いで飛び抜けていった。




