三八二年 動の四十日
ククルは呆然と立ち尽くしていた。
自分の目の前に、うずくまる少年がふたり。
開いたままの扉の前、完全に気を失っている少年が三人。
その三人を見下ろすヴェインに後襟を掴まれる少年がひとり。
「全く。最近のギルドは何を教えとるんだ」
手応えがなさすぎる、とぼやくゼル。
ククルはテオを振り返り、首を傾げる。
カウンターから出ようとしたところで立ち止まったままのテオが、苦笑した。
(えっと…)
困った顔で自分を見るククルに、テオは何が起きたか頭の中で整理する。
朝食にしては少し遅い時間。店内にはゼルとヴェイン、それから若いギルド員が三人いた。
ひとりが先に店を出て、しばらくしてから残るふたりが立ち上がってククルを呼んだ。カウンターから出たククルがギルド員の前に立った、それを合図に。
まずヴェイン、ほんの一瞬遅れてゼルが動いた。続いてギルド員がククルに手を伸ばし、店の扉が大きく開く。
なだれ込んできた三人を、ヴェインがどうやって気絶させたのかは目で追いきれなかった。ゼルは杖でギルド員の手を払い、持ち手側でふたりの腹部を突いた。踏み込む前に瞬殺された仲間を見て逃げかけた残るひとりをヴェインが捕まえ、この状況、といったところだろうか。
本当は飛び出そうとしたテオであったが、ヴェインとゼルの動き出しのほうが早かったことと、下手に加わろうとすると邪魔をすると感じたので、カウンターから出なかった。
アレックに多少鍛えられているとはいえ、自分は所詮素人なのだ。
ちらりと赤茶の髪の青年を見る。
店内に引きずり込んだギルド員を少々乱暴に床に投げるヴェイン。息ひとつ乱れてないその様子に、テオは内心やっぱりと思う。
何というか。纏う雰囲気がジェットやダリューンのそれなのだ。
それに―――。
うずくまる少年からククルに向き直るゼル。
「ククルさん、大丈夫か?」
ゼルに声をかけられ、ククルははっと我に返る。
「は、はい。あの…」
「詳しいことはあとで説明する」
そう言って、ゼルがテオを見た。
「よく見えてたな。さすがはアレックの息子、といったところか」
ゼルの口から出た父の名に、テオが問い返そうとしたそのとき。
「何が―――」
駆け込んできたアレック。
店内の惨状に、続く言葉はなかった。
「改めて。ゼクス・フォルナー、元ギルド員だ」
そう名乗り直したゼル―――ゼクス。足が悪いのは本当のようだが、動きは今までよりも格段にいい。
捕まえた少年たちは縛って宿の一室に入れてある。
ヴェインもいつの間にか姿を消し、店にいるのはククルとテオ、そしてゼクスの三人だ。
「ジェットとギャレットの失脚を狙った輩の仕業でな。二十年前のことをこちらから話した以上、あとはここを狙うしかないだろうと読んでおった」
ここ、というよりはククル自身を、ということなのだろう。
「相手の情報が少なく、事前に押さえきれる確証がなくてな。ならいっそここで捕らえたほうがいいだろうということになったのだが…」
ゼクスがククルに向き直る。
「説明もせずに囮に使うような真似をして申し訳ない。ジェットは反対したんだが、儂らが押し切った。責めるなら儂を」
「責めるようなことはされていませんから。むしろ助けていただきました」
頭を下げようとしたゼクスを言葉で止めて。
「私こそお礼を言わなければならないくらいです。エト兄さんの為に、本当にありがとうございます」
微笑んで、ククルは頭を下げた。
二時間程してヴェインが戻ってきた。見覚えのある老人ふたりと、見たことのない男性がひとりついてきている。
「上手くいったようだな」
「乱暴な策だったが、何とかなってよかった」
口々にそう言い合うのは、ゼクスと入れ替わりに町を発ったふたりだった。
ノーザン・フレイトとメイル・バルシェ、共にゼクス同様元ギルド員と名乗る。
「儂らは下見と顔つなぎだ。ヴェイン」
ノーザンの言葉に、ヴェインは無言で宿に向かった。
残る見慣れぬ男は溜息をついてゼクスを見る。
「…やっぱりあなたでしたか」
「まぁ、このふたりが来た時点でわかってただろう」
そう言って笑うゼクス。
「ククルさん。こいつはミルドレッドの支部長だ」
「ミラン・モーリッツです。うちの若いのがご迷惑をおかけして、本当にすみません」
アレックと同じくらいの年だろうが、何というか、苦労が顔に出ていた。
「ククルといいます。こちらこそ、叔父がいつもお世話になっております」
襲われかけたというのに場違いな程呑気な応対をするククル。
「…さすがジェットの姪…だな…」
「…ああ。大物だな…」
ノーザンとメイルの呟きは、幸いにもククルの耳には届かなかった。
ヴェインとアレックが捕らえた六人のギルド員を連れてきた。
憑物でも落ちたかのようにおとなしく並ぶ少年たちの顔をひとりずつ見、ミランは溜息をつく。
「自分たちが敵う相手かぐらい、見てわかるようになれ、このバカが。お前らは顔を知らんだろうが、絶対に知った名だからな」
「おいミラン、儂のことか」
「当たり前でしょう? ゼクス・フォルナーさん」
わざとらしく名を言ったミランに、少年たちがひっと声を上げる。
「英雄使い…」
「気にいらない事務員を半殺しにしたって…」
「弟子を感情のない殺戮人形に…」
「否定はせんが、ロクな噂がないな」
どこか面白そうに笑うゼクス。
「まぁお前らが誰の甘言に乗ってこんな真似をしたのかは、あとでゆっくり聞くとして。…どうしてジェットを狙うのに賛同した?」
後半、どこまでも冷えた口調に。
少年たちは動きを止めた。
「生き残った。それだけの理由で英雄となったあいつには、その名はふさわしくないとでも?」
少年たちは答えなかった。ゼクスとヴェインに圧倒的な差を見せつけられ、頭も冷えたことだろう。
口調は落ち着いたものであったが、見下ろすゼクスの視線には相当の怒りが含まれていた。
肌を刺すようなそれに、少年たちは縮こまる。
「確かに、あの日のジェットが戦闘においてどれだけ役に立ったのかはわからん。だが、それからの奴がどう在ったのかは、儂の噂なんかよりもよっぽどお前たちの耳に届いているだろう」
二十年経った今でも英雄と称されるジェット。それだけの努力と振舞いを、彼は貫いてきたのだから。
「人を守るのが本来のギルド員の役目。それから外れたお前たちに、ジェットをどうこう言う資格はない」
ぴしゃりと言い切り、ゼクスは六人を睨みつけた。
とりあえずは宿の部屋を借りて、ひとりずつ話を聞いていくらしい。
「これで片が付くといいですね」
宿へ連れていかれる六人を見送りながら、ミランが呟く。
「ようやく会いに行けますかねぇ」
想いを馳せるように視線を遠くへ向ける。
「ジェットは毎年当日に現地に行っておってな。ミランは表向きイルヴィナの件との関わりを隠しておったから、一度も行ってないんだ」
そんなに不思議そうな顔をしていたのだろうか、ゼクスがそう説明してくれた。
「…そう、だったんですね」
ジェットは一体どんな気持ちでそこを訪れていたのだろうか。
本当に。自分は何も知らないままだった。
少しの寂しさと共に、今年からはせめてここから祈ることにしようと、ククルは思った。
ゼクスたちも宿へ行き、人手が必要だろうからとテオも戻った。
ククルはひとり、店で皆の昼食の準備に取りかかる。
ドアベルの音に顔を上げると、ヴェインが入ってきた。助けてもらった礼を言おうと、ククルは手を止めカウンターを出る。
「ヴェインさん。さっきはありがとうございました」
近付いて見上げると、ヴェインの口元に明らかに笑みが浮かぶ。
突然の表情の変化に驚くククルの前で、ヴェインは顔を隠す前髪をかき上げた。
笑みを浮かべて自分を見る翡翠の瞳。自分たちよりも少し上だと思っていたが、こうして顔が見えるとそう変わらない年なのだと気付く。
ヴェインは笑みを深くし、一歩ククルとの距離を詰めた。
「ロイヴェイン・スタッツ。ロイでよろしく。孫なのは本当だけど、ギルド関係のときはヴェインで通してるから、髪下ろしてるときはそっちでお願い」
(誰…?)
ヴェインとは全く違う声と口調に、ククルは唖然としてヴェイン―――ロイヴェインを見上げた。
「ククルって呼んでも?」
「あ、はい」
「やっと話せて嬉しい。ククルかわいいし、ヴェインの俺にも優しいし。早く話したくって仕方なかったんだ」
何とか頷いたククルに、もはや別人としか思えないロイヴェインの言葉は続く。
「ゆうべだって、あれ何? 俺の不意打ち聞き取れたの、じぃちゃんたち以外でククルが初めてなんだけど?」
「あ、あの…」
「それにククルってば店にいる間ずっとこっち気にしてるよね? あれいつもやってんの?」
ずっと黙っていた反動か、それともこれが素なのか。とにかくロイヴェインの話は止まらない。
その別人っぷりにもまだ順応できていないククルは、ろくに返事もできずにうろたえる。
その様子をにっこり笑って眺めてから、ロイヴェインはすっと顔を寄せた。
「話したいこと、まだあるからさ。どこかでゆっくり―――」
言いかけてやめたロイヴェイン。ククルから少し離れ、入口を見て舌打ちをする。
直後、扉が開いた。
「じぃちゃん早すぎ! もっとゆっくり来てくんないと!」
「急いで来たに決まっとるだろう、このバカタレがっ!」
息を切らせながらも怒鳴りつけたゼクスに、だって、と返す。
「もうこれ時間外だろ!」
「ロイでもヴェインでも! 見境ない真似はやめろと言っとる!」
怒鳴り合う祖父と孫。完全に置き去りのククルはどうしたらいいかわからずただ立ち尽くす。
うるさいなぁ、とぼやいたロイヴェインは、ククルにまた来ると告げて、脱兎の如く逃げていった。
全く、と呟き、ゼクスはククルを見る。
「…ククルさん、すまない。今回は急襲の懸念があったんで、気配察知に長けたあやつが必要だったんだが…あの通りの性格でな。相手にせんでいいからな」
頷くのも、否定するのも、何か違うような気がして。
ククルは諦めたようなゼクスの言葉に苦笑するしかなかった。




