三八二年 動の三十六日
「ごちそうさん。世話になったな」
そう言ってニカッと笑うのは、老人と呼ぶには少々体格のいい男性。青い眼を細めて礼を言う。
「また馬に乗るのは堪えるが、仕方ないな」
溜息混じりにぼやくのは、同じく老人と呼ぶには動作のしっかりした男性。ククルが止める間もなく朝食のトレイをカウンターに返してくれた。
ギルド員でも住人の縁者でもない老人ふたり連れという奇妙な宿泊客。
ククルも最初は少し怪訝に思っていたが、ふたりの言動を見る限り悪い人には見えなかった。
「ありがとうございます。お気を付けて」
そう言って頭を下げると、ふたりはにっこり笑って店を出ていった。
テオとふたり、顔を見合わせる。
「珍しいお客さんだったわね」
「うん。父さんは心配ないって言ってたけど…」
何か引っかかることがあるのか、首を傾げるテオ。
ライナスの町は、穏やかな日々が続いていた。
夕方になり、また見慣れぬ客が来た。
扉を開けたのは赤茶の髪の青年。少し長めの前髪が完全に目元を隠していた。
青年が押さえる扉から、杖をついた老人が入ってくる。
お好きな所へどうぞと声をかけると、青年は慣れた様子で椅子を引いて老人を座らせ、自分も向かいへと座る。
この時間、しかも荷物も持っていないということは宿泊客だろう。
住人たちには好きに頼んでもらったり、こちらから勧めたりするのだが、宿泊客など勝手のわからない相手にはメニューを渡している。
渡されたメニューに目を通した老人は、そのまま向かいの青年へと手渡す。
「儂はシチューを」
「………」
青年がぼそりと何か呟いた。
「す、すみません。もう一度…」
「同じもので、と」
全く聞き取れずに慌てて尋ね返すククルに、老人が代わりに答えてくれた。
もう一度謝ってから、ククルはカウンターに戻る。
(…悪いことしたな…)
もちろん聞き取りにくい話し方ではあるのだが、あの距離で聞き逃してしまうなんてと反省する。
(次から気を付けないと)
何度も尋ね返して不快な思いをさせたくない。
そう心に決め、ククルは食事の用意を始めた。




