三八二年 動の十八日
朝食を出し終え、仕込みも一段落したククルは、ひとりカウンター席でクライヴのレシピを見ていた。
ジェットたちは朝早くに町を発った。
ようやく顔を見せたナリスは、いつも通りの笑顔で夜食の礼を言ってくれた。昨日のぎこちなさは消えており、安心して送り出すことができた。
―――皆に話してくると、ジェットは言った。
辛い記憶を何度も話さなければならないことは、今のジェットにとっても辛いことなのだろうが。
それでも笑って、ジェットは旅立った。
(エト兄さんは強いわね…)
英雄ではないとジェットは言うが、英雄として生きてきたことに変わりはない。
願わくば皆がそれをわかってくれるようにと、心から願う。
手元のレシピに視線を落とす。
ここに父がいたなら。何と言ってジェットを送り出しただろうか。
深く、息をつく。
急に静けさが増したような気がして、ククルは無意識に己の身体を抱くように腕を組んだ。
もうここには誰もいないのだと。主張するように静寂が広がっていく。
(…私、ひとり…?)
ひやりとしたものが胸の内に流れ込みかけた、そのとき。
「ククル?」
ドアベルの音と共に入ってきたテオが、己自身を抱え込むククルに声をかけた。
はっと顔を上げ、ククルが振り返る。
「テオ…?」
「……どうかした?」
眉を寄せて問う声に懸念の響きを感じ取り、何でもないと首を振る。
「そうだテオ。これ、作ってみようと思って」
広げたレシピを指差して、微笑むククル。
「エト兄さんが食べられるって印もついてるし、次に来てくれたときに出せるように挑戦してみようかなって」
入口で立ったままのテオが、ふっと息を吐き、表情を和らげる。
「見せて?」
普段通りの声音で返し、テオはククルの隣へ行った。
「じゃあテオ、おやすみなさい」
「うん、おやすみ」
裏口の鍵がかけられたことを確認して、テオはその場から離れる。目と鼻の先の宿の裏口、その前で立ち止まる。
昼間のククルの様子が気になっていた。
明かりの消えた店の前で泣いていた、あの日のことが思い出される。
色々あったが、クライヴたちが亡くなってからまだ季節ひとつ分しか過ぎていない。ときに思い出し、沈む気持ちになるのは当然かもしれないが。
(…何ていうか…らしくない…?)
今までも悲しんだり落ち込んだりするククルを見てきている。しかしあのククルの姿は、自分の見たことのない姿なのだ。
何となく、不安を感じる。
ジェットや両親に相談したほうがいいのかもしれないが、自分でも漠然としかわからないことを上手く説明できる気もせず、中途半端に口にすることでククルの耳に入り、彼女が気に病むことは避けたかった。
(…しばらく様子を見るか)
あまり長時間ひとりにしないようにしようと決め、テオは扉に手を伸ばした。




