三八二年 動の十七日 ④
ダリューンの部屋で、ふたり向き合い座りながら。ジェットは目を伏せ、小さく呟く。
「ナリスに頼れって怒られた」
イルヴィナの話をして以来不機嫌だったナリス。
店から戻ると自室前で待っていてくれたナリスから、ようやく本音が聞けた。
『自分もジェットを支えたい。だから頼ってほしい』
そう、言われた。
ナリスの言葉は本当に嬉しかった。―――師匠としては、少し情けなくもあるけれど。
「なぁダン」
「何だ?」
「何とかなる、かな」
イルヴィナでのことを歪めて広められる前に、英雄自身の口から語ってこいと言われた。
ナリスとリック、ククルたちに告げたあとは、各地を回って出資者たちに真実を話していく。
すべて話して、それで去るならもうそれでいい。
ギャレットは笑ってそう言い、行ってこいと背中を押してくれた。
どう話せばいいかと尋ねたら、ジェットの言葉でいつも通り好き勝手に話せばいいと、ウィルバートは投げやりな言葉とは裏腹に、珍しく柔らかい笑みを見せてくれた。
イルヴィナの真実を―――あの日、あの場所で命懸けで戦った皆のことを、世に知らしめること。
それをずっと、願ってきた。
その為にずっと、英雄として生きてきた。
思わぬ形にはなったが、それでもやっと皆のことを話せる。
あとはそれを信じてもらえるか、だ。
ジェットを見返すダリューンが、そんなこと、と笑う。
「何とかする、んだろう?」
何を弱気になっているんだと、言外にそう言われた。
それもそうだと苦笑して。
ククルたちも。ナリスとリックも。皆が自分を信じてくれた。
イルヴィナのことを知るダリューンたちに支えられ。先達たちに英雄として立つすべを教わって。ライナスはずっと帰る場所であってくれて。
(…本当に、今までどれだけ助けてもらってきたんだろう…)
本当は英雄ではない自分。
だがそれでも、この二十年、自分は英雄で在ったと認めてもらえるのだとしたら。
それは間違いなく、自分の周りの皆のおかげだ。
「なぁダン」
声音は柔らかい。懐かしむように瞳を細めるジェットの笑みから苦さが消える。
「俺、ホント恵まれてるよな」
答えず、ダリューンはジェットの頭をくしゃりと撫でた。
恵まれてると嬉しそうに言う弟弟子に。
ダリューンは何も返せなかった。
イルヴィナでひとり生き残ったジェット。彼の苦難はむしろそこからだった。
身体はもちろんだが、何より心の傷が深かった。
火や大木を怖がり、肉と果物を一切食べられなくなった。寝付いたと思えば叫んで飛び起き、自分だけが生き残ったことを侘び続ける。
英雄になることを決められてからは、皆の命懸けの功績を自分ひとりの手柄にする罪悪感と、英雄にならねばならない重責が加わった。
心身共に病むジェットに、しかし休息の間はなく。
後発隊のリーダー、ゼクス・フォルナーが中心となって秘密裏に英雄の教育が行われたが、あまりにも過酷で。
せめてもと思い一緒に訓練を受けた、五体満足でふたつ年上の自分ですら、音を上げたくなる程のものであった。
一刻も早くジェットを英雄たらしめることが、一番本人を守る為になることは理解していた。
しかしそれでも。まだ十四歳になったばかりの、こんなにも傷付いた少年に。
揃いも揃ってどうしてすべてを背負わせているのかと。
周りの大人を、そして何もできない自分自身を、不甲斐なく思った。
そして同時に、せめて自分だけはジェットの甘えを許す存在になろうと決めたのだ。
二十年。その間に。
イルヴィナの真実が明るみに出たとき、ジェットが私欲から英雄になったのではないと証明するすべはない。
だからこそ、彼自身を信じ、認めてくれる存在―――味方を増やすよう行動した。
最大の理解者であるギャレットが事務側に回ってくれたことで、少しずつ、上層の言いなりにならざるを得ないギルドの体制を変えてきた。
そのギャレットが事務長になり、上層も半分以上取り代わり。
悲願はもうすぐ―――もうすぐ叶うところまで来ているのだ。
どうしてこんなに急に事態が動き出したのかはわからないが。
それでもずっと人の為に生きてきた弟弟子を守る為に。
今でき得る、最善を。
「ジェット」
小さく名を呼ぶ。
「もうひと踏ん張り、だな」
突然の言葉に、どこかきょとんと見返して。
「頼りにしてるよ、ダン」
変わらぬ笑顔で、ジェットが応えた。




