三六二年 実の三十六日
北の地イルヴィナ。
三六二年実の三十六日、大規模な討伐が実行されることになった。
事の発端はギルドへの報告。
イルヴィナの奥地、神樹と呼ばれる白い大木付近に多数の魔物を見た、というものだ。
事前の調査の結果、ギルドは一斉討伐を指示した。
先発隊八パーティー三十名。
後発隊六パーティー二十四名。
二段階に分けて投入し、魔物を殲滅することになった。
先発隊のリーダーはレトラス・シオン。最年少十三歳のジェット・エルフィンを率いての参加は少々物議を醸したが、最終的に問題はないとされた。
イルヴィナの最奥に崖のように聳える岩壁があり、その手前の高台に白い樹頂が見える。
三時間の行軍の後、きつい傾斜を登り切った先。先発隊が踏み込んだそこは、何とも異様な光景だった。
岩壁の奥まった場所に聳え立つ、枝葉も幹も白一色の巨木。その木には、一抱え程の白い果実のような塊が八つぶらさがっていた。根元には泉。他の木はなく、足首程の下草が一面に生えている。
しかし、報告されていた魔物は一匹も見当たらなかった。
調査を始めた先発隊。隊員のひとりが神樹の幹に触れた直後、白い塊が落ちてきた。その色を黒に変えながら、徐々に魔物の姿を取る。
八つの塊―――魔物を倒し、即座に退却の判断をしたレトラス・シオン。しかし、一歩遅かった。
身体を襲う大きな地響き。
神樹の根が、魔物の死体と高台周辺の木々を貫いた。灰に変わるように、ざらりと跡形もなく崩れていく。
地面を支える木の根を失い、傾斜の土はなだれ落ちた。先発隊は高台に取り残され、退路を失った。
木々の養分を吸収したということなのだろうか、神樹に再び白い塊ができ始める。
数十の塊が一斉に落とされ、戦闘が始まった。しかし倒しても再び根に吸収され、新たな魔物が落とされる。
終わりなどないことは、目に見えていた。
中央に火を熾し、倒した魔物をくべることで再吸収は防ぐことができたが、変わらず神樹は魔物を落とし、火の勢いは強くなる。
時間が足りないことを悟ったレトラス・シオンは、神樹自体に火をつけることを決めた。
短い謝罪のあと、各自守るべきものを守れ、という最後の命と共に、神樹に火がつけられた。
塊の落ちる数と速度が増す。倒れた仲間が根の犠牲になるのを見、それからは仲間の身体も焼いていく。
限られた範囲で戦うには、魔物の数は多く、火の勢いは強すぎた。
やがて魔物だけでなく、人も火に巻かれ始める。
喉を焼く熱気と肉と脂の焦げる臭いが満ちる中、戦いは続いた。
突如襲った地響きに、少し離れたところで待機していた後発隊が異変に気付いた。駆けつける最中、目的地に火の手が上がる。
現着したものの、高台までの坂は崩れ、絶壁からは白い触手のような木の根が何本も突き出ている。
土を積み、石を積み、手当り次第に切った木を積み。いつ根が飛び出してくるかわからない恐怖の中、壁に足場を差し込んで道を作る。
時間が経てば経つ程高台から舞い落ちる火の粉の量が増えていき、近付けば近付く程熱気が増す。
半分程登った頃、再び轟音が轟いた。
ようやく高台に上がった後発隊は、目の前の惨状に言葉を失った。
おそらくは神樹であろう黒焦げの大木が倒れ、未だ黒煙を上げている。火はあらかた消えてはいたが、靴底から伝わる程熱された地面。
魔物はおろか、人の姿も一切なかった。
絶望的な状況の中始まった捜索。地面に散らばる黒い塊が仲間の遺体と魔物の死体であることは、そのあとすぐにわかった。
神樹の根元側、窪みの縁に立てられた、辛うじて剣だとわかる金属の細い板。その下に人影を見つける。
土の壁に伏すようにもたれかかるその遺体は、比較的損傷の少ない前面と支えに突き刺されていた剣から、レトラス・シオンの弟子、アッシェ・ロードだと判明した。
そしてその身体の下に、顔だけ残して土に埋められたジェット・エルフィンの姿があった。
まだ息があることを確認し、乾いた土を掘り起こす。
ジェット・エルフィンが助け出された直後、神樹がざらりと崩れ落ち、黒い粒子となって跡形もなく舞い散った。同時に残った根元も同じく黒い粒子となり消えていく。
後の推論では神樹自体が魔物であった可能性も示されたが、もはや証明するすべはない。
根元の崩壊のあと、神樹の根を失った高台が大きく崩れた。突然抜けた足元に、熱砂を被って火傷を負った者は数名出たが、重傷者はいなかった。
崩れたことで帰路は容易く、後発隊二十四名は、先発隊一名と共に総員撤退した。




