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エイム・アルロー/名を拾いに

 場所を移すと言われ、私は席を立った。

 歩く私の前後に隊員がひとりずつ。あちらの強い希望で現在ギルドとの交渉を任されてはいるが、私が罪人であることに変わりはない。

 今の私。エイム・アルロー。三十歳。警邏隊本部の副隊長のひとり。ハントの悪事の片棒を担いだ罪人かつ告発人。今は本部に軟禁され、ギルドとの交渉と引き継ぎが終われば追放の身だ。

 私自身の目的を果たした今、もちろん警邏隊に未練はない。

 だが。

 名も。年齢も。性格も。言葉遣いも。何もかも変え、過去を捨て。

 ただひとりの兄をも目的の為犠牲にした自分。

 そんな自分が。何も持たないこの私が。ここを出たあと、今更何者になれるというのだろうか―――。



 貧しい村で、俺は気付いたら兄と暮らしていた。

 本当は兄ではないこともわかっていた。しかし兄は俺を本当の弟のように慈しんでくれた。

 ロクに働けないこどもに村人のあたりはきつく。年が明けてすぐに、ただひとり気にかけてくれていた『おばあちゃん』が亡くなってしまったあと、追われるようにふたりで村を出た。

 兄の年は十三。町まで行けば働き口があるかと思ったが、現実はそう甘くない。もともと金など持っていない俺たちは、道々ある食べられるものと時折施される食い物でかろうじて命をつなぎながら彷徨った。

 そんな中で出会ったひとりの男が、俺たちを拾ってくれた。

 男は名乗りもしなかったから、俺たちはただ『おじさん』と呼んだ。

 おじさんは俺たちを孤児院のある町まで送ると言い、そこまでのほんの数日、共に過ごした。

 おじさんもほとんど荷物も金も持っていなかった。着の身着のまま、ふらりと出てきたような格好で。体格はいいのに怯えたように背を丸め、何もかも諦めたような目をしていた。

 おじさんは俺たちに独り言のように色々話し、その話からおじさんは元警邏隊の要人で、冤罪で追放されたのだと知った。俺たちから話しかけるとすぐに口を噤んでしまうおじさんは、気付けば何度も何度も謝罪の言葉を呟いていた。

 自分さえしっかりしていれば。

 自分さえ騙されなければ。

 あれ程の犠牲は出なかったのに。

 その時は何のことかわからなかったが、苦しそうに、祈るように、謝り続けるおじさんの姿に、彼の無念と後悔を知った。

 やがて目指した町を目前に、おじさんは身ひとつで姿を消した。

 死ぬつもりなのだと、幼いながらもわかっていた。

 追いかけることはできなかった。

 ただ兄とふたりで泣いた。



 自ら死ぬことを決めながらも自分たちに優しくしてくれたおじさん。

 自分たちには何もない。このまま無為に生きるくらいなら、おじさんの無念を晴らす為に生きようと決めた。

 相手は警邏隊の要人。もちろん孤児には途方もない目標だ。

 このまま孤児院ではなく警邏隊に入るという兄は、俺には追わなくていいと告げた。

 俺はまだ幼く、働けるようになるまでまだ六年もある。その間に、おじさんのことも自分のことも忘れていいのだと、そう言われた。

 それを拒んだ俺は、どうせここでは誰も自分のことを知らないのなら、今までの名も年齢もすべて捨てて、四年で追いかけると兄に言った。

 孤児院に行かぬまま警邏隊に入るには、今までどこに住んでいたかも話さなければならない。

 俺が別の名を名乗り年をごまかすのなら、兄と共に村を出た『俺』の存在が宙に浮く。

 途中で死んだことにするということは、兄との絆を断つということ。たとえ警邏隊に入っても兄弟とは名乗れない。

 そう言われても引かなかった。

 先を想像するには俺は幼く、目の前の使命感に心を奪われていた。

 そのときの俺が持つ唯一のもの。

 兄との絆を失うということが、どういうことなのか。俺は気付かないままだった。

 新たに『エイム』と名乗ることだけを兄に告げて。

 四年後に、と笑う俺に比べ、何かを堪えるような顔で俺を見つめていた兄は、俺を抱きしめ、元気で、と呟いた。

 これが最後の抱擁になることを、兄だけはわかっていた。

 別の町の警邏隊で入隊希望を出すという兄と、そこで別れて。

 お互いまともに顔を合わせるのはそれから十八年後。俺が兄を断罪した、そのときだった。



 名と年齢を偽って孤児院に入り、四年後に警邏隊を受けた。本部で一年の見習いを経て配属された先に兄はおらず、どの支部かもわからないまま数年が過ぎた。

 その間に見聞きしたこととおじさんの話から、おじさんが本部の副隊長であったことと、辞めさせられた直後に警邏隊ではなくギルドで多くの犠牲者が出た『イルヴィナの奇跡』といわれる騒動あったことを突き止めた。

 地方の一隊員にはたいしたことは調べられない。まずは本部に配属されようと思い、必死で腕を磨いた。

 そして四年前に本部に配属され、そこでようやく兄を見つけた。

 しかしその頃には、俺は自分のした過ちに気付いていた。

 同じ職場に兄がいるのに。

 俺のただひとりの家族がいるのに。

 既に他人の俺には声もかけられない。

 本当に―――本当に、後悔した。

 そしてあの日の愚かな選択は、さらに俺の首を絞めていく。

 一年経ったある日、本部に新しい副隊長が来ることになった。

 ハント・ベレスト。兄の同期だった。

 そしてその直後、数度にわけて兄から大量の荷と、長い手紙が届いた。



 世間がギルドの英雄誕生に沸く中ギルドから警邏隊へ鞍替えし、同い年の英雄にいい顔をしないハントを怪訝に思っていたという兄。それからおじさんの素性と『イルヴィナの奇跡』に辿り着き、ますます疑念を深めたという。

 本部での見習いの間の一年弱、ハントの動向を窺いながらも友人としての立ち位置を得た兄は、偶然か必然か、ハントと同じ配属先となり、さらに情報を集めていった。

 都合のいい配属先。実力以上の功績。頻繁な本部からの呼び出し。初めから疑いの目で見ている兄からすれば、ハントにはおかしなことが多かった。

 ハントが隊長としてルバーナへ配属されたときも、兄も一隊員として異動となった。

 そして、先に行ってろと言われ、ハントよりも先に本部に配属されたのだが。

 ―――本部の隊長たちとハントの関係を探っていることを気取られたようだ。自分に先はない。だからあとは頼む。

 手紙にはまるで他人事のように書かれてあった。

 ハントが本部へ配属されるその日に、僅かな事実と捏造した不正を本人に突きつける。示された不正が嘘であるということを暴いてハントに取り入れ、と。その不正が捏造だという証拠と共に、兄から俺に託された。

 それが何を意味するのかなど、考えるまでもない。

 手紙の最後には、俺に押しつけることになってすまないとの詫びと、立派に成長した姿を見られて嬉しかったという言葉が添えられていた。

 俺に選択肢はなかった。

 唯一の、そして最後の兄とのつながりを文中の指示通りに燃やして処分しながら、涙と共に自分の中から感情が抜けていくのを感じた。



 そして俺は兄を切り捨て、目論見通りハントに取り入ることに成功した。

 追放された兄はおじさんと同じように姿をくらませた。おそらくもう、生きてはいない。

 それからはハントの悪事の片棒を担ぎながらその証拠を集め、おじさんの追放当時の隊長たちとの関係を探った。

 二年前に上層を一新してからのハントはまさしくやりたい放題で。隊長と俺、そして自分。五票の内三票を手中にし、思うままに振る舞ってきた。

 ギルドに対して手を出し始めたのもこの頃で。あまりに杜撰な接触の仕方に、何度こちらが痕跡を消したことか。

 ハントの英雄への執着を知り、英雄を軸にギルドのことを探ることにした。そうして見えた、イルヴィナの事実とハントと当時の隊長たちの関係。そして、おじさんの追放された理由。

 おじさんの無念を晴らす前に捕まるわけにはいかず。慎重に時期を見て、ギルドと接触した。

 ギルド事務長のギャレット・ハーバス。同じく二十一年前の真実を追う彼が事務長であったことを、俺は感謝するべきだろう。



 連れてこられた場所は、いうなれば監視のできる応接室といったところだ。隣室から様子が窺えるようになっている。

「お待たせしてすみません」

 先に到着していたハーバス事務長。謝ると、とんでもないと返される。

「先に座らせてもらっています」

 柔和な笑みだが、そう甘い男ではないことはよくわかっていた。

 現にミルドレッドの元隊長が、今はセレスティアの娘のところに監視付きで身を寄せていることも既に知っていた。ギルドの諜報は余程優秀らしい。

 セレスティアの訓練場を貸すことへの礼を言われ、日程の調整をして。

 ギルドからは、二十一年前の本部隊長たちのギルドへの虚偽報告についての詳細を示すよう求められていた。

 裏も取れたので本人たちを招集してある。数日で調書も取れるだろう。

 善良なふたりの副隊長との顔繋ぎもしてある。

 私の役目ももう少し、だな。



「…警邏隊を辞めると聞きました」

 ひと通り話し終えたあと、不意にハーバス事務長が尋ねてくる。

 顔を上げると、会談中より和らいだ眼差しが私を見ていた。

「辞めるというより。私は罪人なので」

 真相を暴くという目的があったとしても。私がハントの悪事に加担したという事実は変わらない。

「望めば酌量されるでしょうに」

「……警邏隊に未練はありませんから」

 穏やかな声につられてつい本音が洩れる。ハーバス事務長は表情を変えずに、そうですかと呟く。

「残念です。アルローさんとならこれからもいい関係が築けると思っていたのですが」

「あのふたりは優秀ですよ」

 残るふたりの副隊長。きちんと事実を見極め、私のことも正しく裁いてくれた。

 話してくれたら。巻き込んでくれたら。どうしてひとりで何もかも、と、ふたりに泣かれ、辞めさせざるを得ないことを謝られた。

 私は自分が思っていたよりも、ひとりきりではなかったらしい。

「辞めたあとはどうされるのですか?」

 そう聞かれても、答えることはできなかった。

 私の目的はおじさんの未練を晴らすこと。そのあとのことなど、何も考えていなかった。

 目的を果たした今はただ漠然と、おじさんと兄のように、いつの間にか消えればいいのだと思っている。

 もちろんそれを目の前の男に話すことはないのだが。

「……そう、ですね…」

 だから代わりに。

「…捨てた名を、拾いに行こうと思います」

 警邏隊に入ると決めたあの日、深く考えずに捨てた名を。

 失った兄との絆を。

 取り戻せないことはわかっている。それでもあの場所で兄を思い、そのうち果てることができればいい。

 ハーバス事務長はじっと俺を見据えていたが、やがてふっと息をつく。

「二十年以上前の落とし物なら、探すのも大変でしょうね」

 信用を得る為に、自分のこともある程度は話してある。もちろん名を変えたこともだ。

「……時間だけはありますから」

 そう返すと、違いない、と笑うハーバス事務長。

 柔和な笑みはそのままに、向けられる強い視線。

「……言葉を崩しても構わないかな?」

 突然のことに少しうろたえながら頷くと、ありがとうと返される。

「君が警邏隊を辞めてしまえば、私の肩書など意味のないものだろうから。よければ事務長ではなく私個人として、ギャレットと呼んでほしい」

 この人は何を言い出すのだろうかと。

 意図がわからず、私は頷きもせずハーバス事務長を見返した。全く気にした様子もなく、彼は続ける。

「知っていると思うが、私は元実動員でね。事務職に移るまでは旅生活だったんだ」

 直接聞いたわけではないが、色々調べた中には確かにその情報もあった。

「今ではこうして本部に寝泊まりするような生活でね。中央を出るのは年に数度…片手で足りる程で。時々あの頃の生活が懐かしくなるんだよ」

 見据える青い眼に力が籠もった。

「君が名を落とした町にも行ったことがある。…実動員の頃だから、二十年程前になるかな」

 ハーバス事務長に孤児院の場所までは話していない。

 ただ見返すことしかできない私。

「おそらく君も十数年振りだろう? 名を見つけてからでも構わない。よければどんなふうに変わっていたか、また話しに来てほしい」

 そこで私が何をしようと思っているのか。

 目を逸らさぬまま続ける彼に、おそらく私の考えは読まれていたのだと知る。

「中央には来辛いだろうから私が出向こう。セレスティアでもマデラでも。ああ、いっそライナスでもいいね。本当にいいところだから、時間があるなら長期滞在をオススメするよ」

 それを口実に、私も出かけられるからね。

 いたずらを思いついたこどものような表情で笑うハーバス事務長。

 まっすぐ向けられる眼差しに、かつての兄の瞳を思い出す。

「どうだろうか? 私がここを抜け出すのに協力してくれないか?」

 私を慈しむ、その瞳に。

 私はすぐに言葉を返せずに、ただうなだれる。

 訪れた長い沈黙の中、ハーバス事務長はそれ以上何も言わずに待っていてくれた。



 深く息をつき、顔を上げる。

 変わらぬ眼差しのハーバス事務長。

「…お言葉に甘えてギャレットさんと呼ばせてもらいます。……()のことは、今はエイムと」

「ありがとう、エイムさん。今はということは、名を見つけたら教えてくれるのかな?」

 変わらぬ声音ながら少し安堵の響きがあるように思うのは、俺の気のせいなのだろうか。

「…いつになるかはわかりませんが」

 答えた俺に、嬉しそうにギャレットさんが笑う。

「楽しみにしているよ」



 そうしてまた、部屋に戻りながら考える。

 警邏隊にいるのもあと少し。

 ここを出て、あの日捨てた名を拾いに行って。

 そのまま果てるべきなのか。

 名を知らせに行くべきなのか。

 捨て置いた名を前に、しばらく考えてみてもいいのかもしれない。

 幸い、時間だけはあるのだから―――。

 需要はなさそうですが、ジェット側の物語的には大事な部分を担うエイムでした。

 説明文ばかりですみません。

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[一言] 最後の最後でキーマンになった エイムの独り語りがここでくるとは すべての人には そのように行動するだけの理由も背景もあって 重要な決断をする人ほど それに見合う決意、覚悟を持っていることが…
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